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2023年の終わりに|「手放してもいい」とゆるすこと

2023年はある意味、たくさんの絶望を知った一年だったように思う。

それは、わたし自身に対してだったり、生き方においてだったり、人間関係においてであったり、さまざまだったけれど、ひとつ、それらを経て学んだことがあるとしたら

「手放してもいい」とゆるすこと

そんな言葉にまとめると思う。
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___「うたうみ」やめたら?

いつだったか、働き方に悩んでいたとき。
ある人にそう言われ、安堵から涙が止まらなくなったことがある。
一人の写真家「うたうみ」という名前にのしかかる期待(実際にあるものというよりわたしが作り出した幻想)に潰されそうになって、自分の未熟さを痛感し、わたしには何もできないと当時は本気で落ち込んでいた。
そういう思考に飲み込まれて、本当に自分のやりたいことすらわからなくなっていたのだと思う。

ああ、やめてもいいんだ、うたうみじゃなくてもいいんだ。
やめたって、生きていける。
そう思えたとき、何かから解き放たれた感覚があった。

でも、実際にはやめなかった。
不安や葛藤はあれど、うたうみとしての活動が好きだったし、これからも続けたいと思った。

手放してもいいと知ってもなお、選んだ仕事や活動は、前よりもとてもしっくりきた。

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恋人との関係においても似たようなことがあった。
お互いに分かり合えないことに直面するたび、何度も何度もぶつかり、そのたびに絶望した。
「何でわかってくれないんだろう。」
「なんでわたしはこうなんだろう。」
「この先もずっとこうなの?」
衝突したり心が折れそうになるようなことを繰り返しながらも、離れるという選択肢は絶対にない、そう思っていた。
けれど、あるとき
この先ずっと一緒にいなくたっていい
二人で一緒にいないと生きていけないわけじゃない
そう心から思えたとき、やっと、
相手に依存するのではなく、自ら意志を持って、一緒にいることをもう一度選択することができた。




肩書きも、仕事も、友人も、恋人も
手放していい
離れてもいい
辞めてもいい
ずっと一緒にいなくてもいい
好きになれなくてもいい
分かり合えなくてもいい
というか、分かり合えるわけがないのだ。

それは、絶望と同時に、救いでもあった。

だから、そう自分に対して大きくゆるせたとき、
それでもそばにおいておきたいものを選ぶようになった。
それでもそばにいてほしい人との時間を選ぶようになった。
好きになれなくてもいいけれど、それでもやっぱり好きだと思えたものを、もっと大切にするようになった。

だから今、わたしのまわりには、心地のいい人との繋がりと、心地のいい暮らしの糧と、場所がある。
自分で選んできたものだから、とても愛おしいし、大切だ。


とはいえ、まだ、誰々にやらされてる、誰々のためにやらなきゃいけない、みたいに、誰かのコントロール下に自ら入っていくような考え方になってしまうときもある。
そういうときほど、不満をこぼしたり、相手のせいにしてしまったりするけれど、それって相手にも失礼だし、そんな自分も嫌になる。


手放すのも、選ぶのも、いつも選択肢は自分の中にあるということ、忘れずにいたいと思う。



「2023年にやり残したことはない?」
少し前に、そんな問いかけをもらうことがあった。
そのときは特に思い浮かばなかったけど、今答えるとしたら。
今の自分の手中にあるものを確認して、自分にとって重要じゃないものは手放してしまうこと、と答えると思う。

2024年にも持っていきたい心地のいいものだけ大切に抱えて、新年を迎えられたら、きっと気持ちいい。



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