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当時16歳の私が脳腫瘍、うつ病、パニック障害を乗り越えた話とコツ

16歳になる春、高校に入学前の私は友達と野球の練習をしていました。

パーンと、フライが上がりボールを目で追っていると、なんとボールが2つに見えたのです。


すべての始まり

初めは携帯のしすぎだろうと親にも叱られていましたが、高校に入学した直後に野球部に入った。私は相変わらずボールが2つに見えたり、黒板の字も重なって見えたり、さらにはものすごい頭痛に襲われていました。

頭痛が出た頃に脳外科を受診しました。頭痛を軽減させるための点滴を入れたり、最初は頭痛が軽くなったことで喜んでいて、はじめての点滴にも感動した記憶があります。

初めての点滴

病院からの診断

次の日にCT検査とMRI検査を受けることになり検査をしてMRI室から出てくると待合室に母親がいませんでした。

自分の体に異常が起きていることにはすぐに理解できました。

実際の写真(テレビ局に取材されました)

そのまま診察室に呼ばれそこにはMRI検査の結果が載った写真と主治医の先生と母親がいました。

先生:「〇〇君(私の名前)今日から入院しようか」

という感じで入院が決定しました。

診断を受けた私の心境

実際に脳腫瘍と診断された私の心境は意外にもほっとしていました。

ショックを受けたり、悲しみよりも先に早くこの痛みを取りたい、今の状況が知れてよかった
そんな感情になっていました。

闘病生活の始まり

すぐに入院が決まり、大きな大学院の病院に入院しました。

まずは脳腫瘍の種類がわからなかったので、先に検査の手術をしますということで、入院した2日後ぐらいに検査の手術がありました。

検査手術後

正直、この検査結果が1番心配でした。
種類次第では、自分の人生も終わりかねないと思っていたからです。

結果は、ジャミノーマということで、化学療法、放射線治療等での治療法があると言うことだったので、その治療に入っていきました。

化学療法

治療で最もきつかったのが、この化学療法です。点滴から体内に入っていくのですが、お昼を過ぎて夕方に入る頃に
倦怠感、吐き気、寒気、人の声や物音が直接体に響くような感じ、病院食のお皿の匂いで吐く

など生活をする上で何もできない状態になってしまいます。これは腫瘍の細胞を殺すだけではなく、良い細胞までやっつけてしまうので、こういう反応が出るみたいです。

髪の毛も抜け落ちて、病人みたいな見た目が出来上がってきた頃に、看護師さんに言われた言葉が

「髪の毛が抜けてきたということは、薬が効いてる証拠だよ。よかった!」

と言ってもらえて、私にとってはすごく救われた言葉でした。

放射線治療と摘出手術

化学療法と放射線治療で細胞が消滅すれば、手術はしないということだったのですが、細胞が残っており、最終的には摘出手術をすることになりました。

化学療法を3クール乗り越え、消えていなかった細胞を手術で取ることが決定しましたが、その時も私は早く手術してくれという感じでした。笑

これで腫瘍が取れれば、また野球に復帰できると思っていたからです。

手術前
手術後


無事に手術が終わり、いろんな言葉をかけてくれた看護師さんや一緒に闘病していた小学生の男の子との出会いや、支えてくれた家族など、様々な感情が入り混じりながら無事に退院することができました。


第二の始まり、鬱病とパニック障害

退院した頃には、10月になっており、私は野球部に復帰することができました。

しかし、ここで私を襲った出来事が著しい運動能力の低下でした。

4ヶ月もベッドの上で、ほぼ寝たきりの状態で過ごしていたわけですから、筋力がものすごく衰えていたのです。

走り方すらも忘れていて、人間こんなになるんだと病気をした時よりもショックを受けました。

また推薦で高校には入学していたため、誰よりも結果を出さないといけないと自分で自分を追い込んでいき、それに応えられない自分に納得できず、うつ病を発症してしまいました。

脳の手術をすると、そういうことが起きると言うのは消えたことがあるのですが、その時期とも重なったのかもしれません。

同時期にパニック障害も出てきて、教室に座っているのもできなくなるような状態にまでなりました。

私は学校に行くことができなくなり、家のベッドで1日を過ごすということを1年繰り返しました。

周りの同級生が活躍している話や楽しそうな学校の様子を見て、さらに気分が落ち込んだのを覚えています。

そうしている間に、自分の高校野球が終わり目標だった復帰も叶いませんでした。

私は、公立の高校から通信制の高校に転校し何とかできることから始めようと取り掛かることに決めました。

元の高校の先生方のフォローもあり、無事に転校させていただき、そこから大きく人生が変わってきました。

通信制の高校は、週に1回登校しそれ以外はお家で過ごすと言う制度でした。

私は目標だった高校野球が終わったこともありほっとしている気持ちとプレッシャーから解放されたような気持ちでいました。

ですので、その週に一回の登校日以外には自分で運動はすることに決めました。

本当に腹筋、1回から始めて徐々に回数を増やしていきました。

筋トレで見つかった目標

私が筋トレを少しずつ始めて、筋肉がついていくことに自信がつき、行動の範囲も広くなってきた頃にトレーナーになりたいと目標ができてきました。

高校3年生で進路を決めないといけなかったこともあり、その目標に向かって体を作ると言う目標ができたことが今なってすごく大きなことだったと思います。

鬱の気分を解消させるには

私がうつ病だった頃は何もせず、1日が終わってしまうことにとても焦りを感じてかと言って動けるわけではない。そういう自分をすごく責めていたと覚えています。

何か行動しようとするときに大きく出ようとしてしまうため、結局行動できず何もできないと言うパターンが何回もありました。

だから私は小さい事から始めようと腹筋1回と決めてそこからスタートしました。

その目標が達成できたら、今日はもう何にもしない!と自分を甘やかす。そうすることで、少しずつ自分を許せる心が出来上がってきます。

うつ病の人は、もっとこうしなきゃと責任感の強い人が多いような気がします。しかしもっと今のままでもいいと、自分を褒めてあげることがすごく大事だと思います。

私の好きな本に、今のあなたがちょうどいい、今の周りにいる人がちょうど良い、今の暮らしがちょうど良い

ということが書いてあります。

今はダメだ。もっとこうなりたいと自分を叱咤激励するのではなく、今日もよくがんばった。自分。今のままでも十分と褒めてあげるのはいかがでしょうか?

パニック障害は出るが気にしない

パニック障害は私は今でもたまに出ます。笑
フェリーに乗っている時や運転している時、などどタイミングは本当にわからないですがまだあります。

これが治るのかは分かりませんが、明らかに頻度は減っているので、治るんじゃないかなぁと気にしていません。

また、パニック障害が起きたとしても正直◯んでもいいやと思うとすーっと引いていきます。笑

今の私が目指すもの

若い人ではなかなかできない経験をさせてもらった私が今目指すべきものは

自分もあの時誰かに救われたように、周りの人を救ってあげたい、悩みを解消してあげたい。それが私の目指すべきものだと思っています。

だから、私は、トレーナー(整体師)になり、体の不調もそうですが、メンタル的な悩みを相談されることも多いです。

お客様が気分が晴れたと言ってくれたときには、自分はこのために生きているんだなぁと思えます。

私自身が活動し続ける限り、なるべくたくさんの人のお役に立てればいいなとこれからも思っております。

ここまでお読みいただきありがとうございました。
お読みいただいた皆様も悩んでいる事ありましたら是非ご相談ください。

この記事があなたのお役に立てれば嬉しいです☺️
ありがとうございました!

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