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日々に遅れて




結局やって来なかった夏の記憶は、知らず知らずのうちにうす桃色の花の蕾に封じ込められる。名前を知らない花の開花を薄明のなかで反芻しようとしても、顔の無い夜の方にするすると逃げて行き、掴もうとする手はただ宙を泳ぐばかり。


早朝のごく限られた時間だけ朝日の射す場所でしか生きられない食虫植物のモウセンゴケは、密生する腺毛に朝露を付着させ、捕らえた光虫を小さな渦巻形に丸めてから、じんわりと消化してゆく。雫から弾け跳ぶ光の予感だけが私を生かしている。


やって来なかった? いや、気が付いた時には過ぎ去っていた夏に、喉を盗まれた鳥は雲を乗り越えて飛び去り、すべてのモノは持ち場に戻りながら、部屋にはただ白っぽい沈黙だけが充満している。影のない襞を凝視する時間の静寂が聴こえてくる。


モノの胎内に埋もれて、彼らの温度に浸されたいと切に願う。だが視線はいつも遅れて、東欧の木の玩具が並び、レースのカーテンが揺れる出窓は、取り澄ました顔をしていつもただそこにある。駅の構内の打ち捨てられた暗い空間の、コンクリート壁の細かな剥落の方へ溺れてゆく。


モノたちが運んで行く日々に、私は常に取り残される。私は焦って眩しい戸外へ出て行く。そこでは風に揺れるクスノキの葉叢が、いつも既に何かが過ぎ去ったことを私に告げている。梢の向こうの青空に飛行機雲の白いすじがゆっくりと伸びてゆく。木陰で懐かしい人が涼やかに笑っている。こんなふうに、私はいつも日々に遅れてゆく。





*『詩と思想詩人集2022』参加作品(土曜美術社)
*日本現代詩人会 読者投稿欄(‘22.1月~3月期)
 選外佳作(山田隆昭氏選)を推敲。


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