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日々に遅れて

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詩・散文詩の倉庫03
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日々に遅れて

結局やって来なかった夏の記憶は、知らず知らずのうちにうす桃色の花の蕾に封じ込められる。名前を知らない花の開花を薄明のなかで反芻しようとしても、顔の無い夜の方にするすると逃げて行き、掴もうとする手はただ宙を泳ぐばかり。 早朝のごく限られた時間だけ朝日の射す場所でしか生きられない食虫植物のモウセンゴケは、密生する腺毛に朝露を付着させ、捕らえた光虫を小さな渦巻形に丸めてから、じんわりと消化してゆく。雫から弾け跳ぶ光の予感だけが私を生かしている。 やって来なかった? いや、気が付

光る髭

レース越しにうっすらと 円い鏡の見える出窓は 雲の螺旋階段ではなかった 月から吊り下げられた ゼラニウムの鉢でも コスモスの咲く庭でもなかった ただ私を送り出す人が 立つためにある出窓 朝の舗道を歩く それぞれの 靴跡は剥がされて 風の波紋を漂っては 消えて行く方向へ 顎先は誘われて 剃り残しの髭の二つ三つに 鈍く光るものを触知して ふと佇む 灰色の敷石のうえ 花はもう 散り果てている 代わりに芥が 花を模写して舞い踊る それは小さな 螺旋階段であり 街路樹に降り注ぐ

おまえが何も 言わないから 私は冬が来ると 冷えた頬に 爪を立てて 忘れかけていた 名前を呼ぶけれど 声はひとつひとつ 空に攫われて やがて真っ白な 結晶になって 舞い降りて来る 部屋の中で 椅子に腰掛けて 空気の襞を じっと見つめる 視野を漂う 血管の細切れの幻 脊柱の後ろを 蟻が這うような 感覚を 引き剥がして 氷の壁に 投げつける たそがれる 窓に張り付いていた 遠いむかしの おまえの声の 残響が だんだん 干からびて 縮んでいって 雪の夜空に 攫われて行くのを 手

なわ跳び

冬晴れの児童公園 野良猫が生垣から顔を出して じっとこちらを窺っている  /かけとび  あやとび/  /ステップとび 去年はできなくて癇癪を起こしていた ふふ、まあ頑張れよ と思っていたのに 今では二年生女子の中でも上手い方らしい  こうさとび/  /にじゅうとび  はやぶさ!/ なんとなく 本当になんとなく 焦ってくる中年後期の男 (ぼくができなくてもいい筈なのに‥‥)  /普通の/なわ跳びなら/  ぼくも/こないだから/やってるよ  /(フィットネスの

幸福論

冬の朝 目覚ましアラームが鳴る のそのそ布団から這い出る あ 今日は日曜日だった また布団にもぐり込む ああ 至上の幸福それは二度寝 これを毎日体験したい アラームにスヌーズを設定する 月曜日の朝 目覚ましアラームが鳴る のそのそ布団から這い出る あ 真の起床は20分後 また布団にもぐり込む ああ 至上の幸福それは二度寝 (( カラスが鳴いてるぞ 何が悲しゅうて窓のすぐ外の電柱に止まる? カラスなぜ鳴くの? そういや黒カラスとジミー・ペイジのライブCD持ってたかな 

友人

ゴルフ焼けしたいいオヤジになった 今では大阪の支社長さんだ  「僕らの音楽を解ってくれる人は、   この街に一人いるかいないかってところだ。   だけど、これだけは確実に言える。   僕らは凄いことをやっているんだよ。」 かつて 君の言葉は 僕を鼓舞した チラシやポスターを手作りして 小さな画廊でフリー・インプロヴィゼーション 聴きに来た八人中七人は仲間内だった 僕らはそれぞれ孤独な 地を這うちっぽけな蟻に過ぎなかった 僕らは世界をノイズの大河に戻そうとした そ

赤信号の交差点で停車した 今日は遠くの山並みがよく見える はて こんな風景だったかな? ビルが二つ取り壊されて 見晴らしが良くなったのだ 跡地は舗装されて駐車場になり その奥にコンビニが出来ている 青信号に変わって左折した 光と影のコントラストが強くて こちらの通りも知らない街みたい 橋を渡って少し走って右折して ホームセンターの園芸コーナーへ 知らない店に来たような秋の朝 知らない花の鉢を買おう

秋日

マテバシイの高枝から 蔓植物の太いのが垂れ下がっている 山の手入れで根を伐られたのだろうか 子供の頃 こんな蔓に掴まって ターザンの真似をして遊んだものだ ちょっとやってみるか えいっと飛び付く ぶら~ん ぶら~ん 枝葉がバッサバッサ揺れる 山の斜面を蹴って グオーン 戻って ぶら~ん また蹴って グオーン 戻って ぶら~ん 一回転 ぶ~らり 逆戻り ぶ~ら ぶ~ら 腕がアップアップ 着地しよう おおっと 尻餅をついてしまった ズボンをパンパン叩きながら ふと道

クビキリギス

自転車を止めている時に気が付いた ハンドルにクビキリギスが止まっている じっと見ていても動く気配はない 尖塔のようにとがった頭 長い翅をピタッと閉じて 左右の後ろ足を高く立てている 秋にはこんなに大きくなるのか  荷物を置いたらまた見に来てやろう 玄関のドアを開けて荷物を床に置く 切り花を早く水に漬けなくては スリッパを履いて室内灯を点ける パソコンのスイッチを入れよう シンクで洗面器に水を張って 新聞紙を解いて切り花を漬ける 買って来た消耗品をそれぞれ収納して パソコ

夏の風

夏の風が吹く庭の 片隅に転がっている 枯れた紫陽花の鉢 乾いた土ごと取り出そうと 敷石にゴンゴンと当てたら 鉢がひび割れてしまった ひび割れは夏の風に押されて 庭から道路へ伸びて行き 田んぼや野山を走り抜けて 遙か遠くの積乱雲を浮かべた 青い海に沈んで行った とうに見失ってしまった時間と もう叶うことのない願いと共に‥‥  「干乾びた花と茎を切り落として   紫陽花の株を庭に植えましょう」 そう言って笑う君の声は 風鈴よりも涼しいから 私はカレンダーと天気

一輪車

七つになったあの娘が やっと乗れるようになった がんばった甲斐があったね 練習に付き合った私は思うのだ 中高年の足腰の衰え防止に 一輪車はいいんじゃないか 五月のゴールデンウィークに イオンで買ってやった一輪車 今度は独りで売り場へ行って 人目を気にしながら跨ってみる 乗れても自慢はやめとこう おおっと 跨ることができない ペダルに足も掛けられない 絶対ひっくり転げて怪我をする ぽっこりお腹に良さそうなのに‥‥ 未練たっぷりで売り場を立ち去った そして 日々は過

シャリンバイ

 自宅前の歩道脇に小さな植栽地がある。十二月の夜、ヤマモモの樹の幹にホタルのような光点がびっしりと群がり、枝からはレモン色の光がグラデーションを描いて流れ落ちる。サツキとオトギリソウの植え込みでは、赤と青と緑と橙色の光が賑やかに点滅している。  だが、玄関のドアを開けて真正面に見えるのは、それらイルミネーションを背景にしたシャリンバイの、洞窟の入り口のような黒々としたシルエットだ。独り飾りをまとわず、周囲の光を捕獲し、吸収し、紡錘形に肥え太ったブラックホール。光は永遠に解き放

笑いの亀

ずいぶん久し振りに 笑いのツボにハマった レンタルの古いコメディ映画 『 裸の銃を持つ男 』だ レスリー・ニールセンぐっじょぶ! 笑いのツボは温泉スパにあったのを ダイハツの軽トラに乗せて持ち帰っていた 身体がすっぽり入るツボ風呂だ いや 間違えた これは壺風呂じゃなくて  甕風呂だった 私は笑いのカメにハマったのだ お尻からザッブンと漬かると あひゃひゃいひゃひゃうひゃらららんザッパーン 笑いが四方八方へ溢れ出た 何処からか笑いの亀が這い出て来て えひゃらお

或る日の光景

日曜日のショッピングモール お洒落な私服姿の女子高生が二人 通路のソファチェアでお喋りしている その向かいのソファチェアでは 髭ボサボサに野球帽のおっさんが のけ反り姿勢で大鼾を掻いている 街でよく見掛けるあの人だ 相当な年齢 臭うようなボロを着て いつも手押し車を押して歩いている 積み荷は汚れたナベヤカンその他ガラクタ 書店コーナーへ向かいながら 今見た光景を思い出す 女子高生の一人がスマホカメラを構えて おっさんのソファチェアにそっと歩み寄り 大口を開けた寝