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読書感想文が大嫌いな私が、何故書くことをやめなかったのか

読書感想文が苦手でした。本を読むことは大好きで、読んでいる時は何の雑念もなく物語にのめり込み、溶けてしまうのではないかと思うほど脳みそはフル回転、軽い眩暈も感じながらも文字を追い続ける子どもでした。

なのに、読書感想文が書けない。

進研ゼミの「読書感想文講座」の説明に沿って物語の概要をまとめ、登場人物を整理し、印象に残った部分に付箋をつけながら再読する。良い意味でも、悪い意味でも真面目すぎる子どもでした。

いざ原稿用紙を目の前にすると手が完全に止まってしまい、思考がショートするのです。付箋を貼った部分を読み返しても、原稿用紙に視線を移した瞬間頭が真っ白になり、読書中の感動も共感も痛みも驚きも、全部消えてしまうのです。

どうしても書くことができず、母親に手伝ってもらいながらボタボタと涙を流して書く読書感想文。滲んだ鉛筆の黒と濃く残った消し跡でよれよれになった原稿用紙を思い出すとぎゅっと胸が痛くなります。

そんな私が、なぜ、今このように文章を書き続けているのか。
幼い頃から文章を書くのが好きで~というライターさんが多い中、なぜ自分が言葉を使って生きていきたいと思うようになったのか、これまでと最近の自分の考えをまとめつつ、「書くこと」について考えてみたいと思います。


読書感想文という拷問

『ゼツメツ少年』を読んで号泣したのに

夏休みの小学生に立ちはだかる最大の難関「読書感想文」。
課題図書がいくつか指定され、私たちは感動したことや考えたことを具体的に書くことを求められます。

私が書いた中で一番印象的だったのは重松清先生の『ゼツメツ少年』です。現実なのか、夢なのか、空想なのか、真実なのか。重松先生の暖かい言葉で登場人物全員の人生が少しずつ繋がりあい、半分くらい読み進めたところからは涙が溢れて続きを読むのに大変苦労しました。

しかし、時は小学校6年生の夏休み。本を楽しむだけではなく感想を書かなければいけません。付箋を付ける間もなく言葉の世界に引き込まれていた私は、記憶を辿りながら印象的だったシーンに印をつけるべく再読を試みます。

はい、号泣!


何度読んでも、流れも結末もわかっているのに、涙が溢れて止まりません。(私は割とどの本にも感情移入しやすいタイプなのですが、後にも先にも嗚咽するほど号泣した本の中でこの『ゼツメツ少年』に勝る本はありません…)

ページをめくりながら、泣きながら、付箋もつけながら、私は再読・再再読を終えました。

  • 「この物語がいかに面白かったか」

  • 「どこがどのように素敵だったか」

  • 「なぜこんなにも泣けたのか」

同じ時期に本を読み終えた母親と感想を語り合いました。

よし、これは間違いなく書ける!今回は無理して感動した点を探したわけではないし、上手く書ける手ごたえを感じるぞ!

カードは揃っていました。あとは手持ちのカードを丁寧に並べ直すだけ。満身創痍で原稿用紙を広げます。


…何も、書けないんです。

国語でよく聞く「答えはないから自由に書いていいよ」の罠

小学生の私にとって、解いた問題にマルをもらって褒めてもらうことは何よりも嬉しい瞬間でした。そんな私の前に立ちはだかるのはここでもやっぱり読書感想文。

皆さんが子どもの頃の国語の時間に、

「自分の考えを書け」という問いには答えがないから自由に書いていいんだよ

とよく言われませんでしたか?

私、あれって罠だと思うんです。記述式問題と言っても文章から読み取れることを書く形式と、文章を読んで自分が考えたことを書く形式がありますよね。今話題にしているのは後者ですが、この手の問題で確実なマルがもらえるのは、

「日本社会の一般常識と倫理観に即した意見であり、かつ問題文の意図を組み込みながらも自身の新しく斬新な視点を用いて構想された、読み手が納得できるもしくは新たな知見を得ることができる文章」

です。

高等教育の現代文では、問題文の意見と自身の意見が反対だとしても具体的な根拠と説得力のある理由を挙げることができれば、現代文の授業としては丸をもらえます。

でも、小学生にはそこまで求められていない。

読者が感動するように意図して書かれた部分には素直に感動し、

読者が怒りを覚えるように意図して書かれた部分には一緒に怒り、

読者が悲しくなるように意図して書かれた部分には涙を流す。

それが当然にできていることを前提に、小学生の自由作文は評価されます。そしてやっぱり、読書感想文もこのことを前提に「さて、お前の感想は?」と聞いてくるのです。

然るべき部分に対して「感動しました」「怒りを覚えました」「悲しくて泣きました」という感想を持ち、「私が○○だったらこう思います」と新視点を練り込むやり方で読書感想文はおそらくマルをもらえます。

マルが欲しい私は、このわかりきった法則に素直に応じれば良かったんだと今は思います。

でも、私はそれができませんでした。なぜできないのか、感動した部分があるはずなのになぜ書けないのか、当時の私はそれがわからず、ただ何も書けない自分と過ぎていく時間をただひたすらに恨むばかりでした。

今だからわかることですが、私が読書感想文を苦手としていたのは、人と違う私でいたいという思いが強すぎたことが原因だったのです。

秀のマルと可のマル

私の中の葛藤は「人と違う私でいたい」vs「マルが欲しい」に表されます。

で、さらに厳密にいうと「可」のマルではなく「秀」のマルが欲しい。

ただ合格点をもらうための感想文だったら、進研ゼミや学校が提示する枠の中で先ほど述べたように文章を書けばよいのです。

だけど私が書きたかったのは、読み手があっと驚くような唯一無二の感想文。

その時の私は、たとえ皆が注目するような部分だろうと、文章の書き方を工夫したり斬新な視点から切り込んだりすれば十分素晴らしい感想文になることに気がつけませんでした。

私ならできるはず。

私なら皆と違うところに気がつけるはず。

私なら一味違った感想文に仕上げられるはず。

根拠のない自信と異常なまでの自己肯定感とプライドに満ちた、可愛くない小学生だったのかな。

「秀」を取るためにはちょっと変わったことをしなければならない。

この考えは、正直、今でも正しいと思っています。

でも、この意識に囚われすぎて素直な感想が殺されてしまったことも事実です。

殺された感想は白紙の原稿用紙となって私の目の前に現れ、真っ白な迷宮に閉じ込められてしまいました。

なぜ言葉で生きていこうと思うようになったのか

私にとっての言葉。人魚にとっての海。

文章を書いている時、私はとても気分がよくなります。

落ち着かない思考や無意識のうちに積もっていた考えが、何かを書いているうちにするすると出てくるからです。

文章を書いている時、私は自分がコンクリートの都会で生きる人間というより、実は深い海で泳ぎ暮す人魚だったんじゃないかと思います。

二本足でテクテクと歩く人間が感じる風より、尾ひれで海をスーッと割くように泳ぐ人魚が肌に感じる水の方が、遥かに爽快な気がしませんか?

陸では生きていけない人魚が海で自由になれるように、物質的な世界になんとなく居心地の悪さを感じる私は、言葉の世界で自由になれる。

幼い頃から人魚に憧れがあったからか、たった今ぼんやりと思いついた比喩ですが、意外としっくりきました。書くことに集中しすぎて呼吸を忘れ、ちょっと経った後に激しい眩暈と息切れを感じることもあるくらいだし…

多分書くことが好きな人は、厳密にいうと書くことが好きなのではなくて、書いていると本当の意味で息が吸えるようになるから、なのではないでしょうか。……いや、主語が大きいな。そんな難しく考えてないよ!ただ書くのが好きなんだ!っていう方には謝ります。

言葉と生きたい理由

なぜ私は書き続けているのか。

結論!

「言葉を紡ぐことが楽しいから」

これに尽きますね。

自論ですが、生きていくことの意味は「楽しい」という感覚を知ることだと思っています。私は、書くことで自由になって、書くことで息を吸えるようになる。そうやって言葉と向き合っているうちに、心が浮き立つようなワクワクした気持ちが育ってくるんです。

やっぱり楽しいんですね、文章を書くって。

ですが楽しいばっかりで生きていくのって、現実的に不可能です。人間生活にお金は必要ですからね。そこで思いました。文章でお金を稼ぐことができたらどれほど素晴らしいかって。

しかし「お金を稼ぐことができる文章」と「自由に楽しく書きなぐる文章」は違います。というか、私はまだこれらをイコールにできるほど熟達した小説家やエッセイスト、そもそも奇想天外で人の興味を引くおもしろ人間ではない。

(このもやもやに関してはこちらに詳しく書いているのでよかったらご一読ください)

だから悩むのです。才能を思うがままに操って爆発的な影響力を与えることのできる天才ではないから、こうやってうじうじ考えているのです。

けど、今はそれでいいのかなと。

書くことで生きて行こう、と決めた今、改めて自分と物書きについて考えることはいつか道に迷った時に力をくれる気がします。数年後の私の考えがどう変わっているか、この文章と比較するのも楽しそうだし!

憎き読書感想文への愚痴から、なぜ書くことを止めなかったか、まで話が飛躍してしまいましたが、書きたいことをとりあえずはまとめられたと思います。

皆さんの物書き人生はいつから始まりましたか?現在ライター業で収入を得ている方は、なぜその道を選んだのですか?物書きが100人いたら、100通りの回答があるはずです。いつかお聞きできたらなと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました!また次回お会いできることを楽しみにしております。




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