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SEOは本当に物書きに必要?心からそうだと言える人はいますか?

皆さんこんにちは、堀詩です。
今日書きたい、いや、自分のためにも書かなければいけないと思っていることはズバリ「自分の将来にとってSEOを勉強することのメリットは何?」です。


長期インターン面接を受けてみて

先日、webライティングの長期インターンに応募しました。2回面接の機会をいただき、志望動機や自己PRなど色々お話するわけですが、話をしながらこれまでの自分がどれほど浅はかだったか気付かされました。

私の志望動機

私は将来ことばに携わる仕事で生きていきたい。
それは物書きだったり、編集や校閲だったり、様々な選択肢があります。1番の望みが叶うのであれば、作家・エッセイストを名乗りたい!

だけど、

一般人------------>著名作家

が達成できるまでの道のりは、本当に未知数。SNSが普及した今、バズって時の人になる可能性もあれば、慣例通り文学賞へ投稿をし続けて注目を浴びるようになる可能性もある。

とにかく何が起こるかわからない世界です。

その道を進みたい私はこう考えました。

何が起こるかわからないから、今持てる武器、今得られる経験は積極的に拾っていこう!

エッセイやブログ、web記事も、広く「ライティング」と捉えた時、SEOの知識は間違いなくプラスになる!

そう、思ったんです。

「堀さんのゴールの遠回りにはならないの?」

と、面接をしていただいた方に言われました。


唖然。


遠回りになる、という視点で考えたことがなかったからです。SEOの知識やwebライティングは絶対に就活で有利だし、言葉に携わる者として得でしかないと思っていました。

しかしこの一言でハッと目が覚めたんです。

果たして、私はSEOを凝らしてPV数でお金を稼ぎたいのか?

いや、そうじゃない。

いっっっっちばん根底にあるのは、自分の思いを綴ったエッセイで成功することだと気が付いたんです。

ずいぶん前の自分が抱えていた葛藤(リンク貼っておきます)の答えがここで出ました。

「商業ライティングと物書きのプライドは果たしてどう折り合いをつけていくべきか。私の答えは「二種類のプライドを持つ」に集約されます。二種類のプライドとは言葉巧みに鮮やかな文章をひねり出す物書きとしての誇り、そしてユーザーの求めに的確に答えることができるプロの情報提供者としての誇りを指します。」

この時はこうやって記事を締めました。だけど、面接で言われたんです。

あの記事読んだけどさ、正直自分でも納得いってないでしょ?」

…そうやって言ってくれる人に出会えたのは幸せだと思いました。優等生であろうと、各方面に敵を作らないようにしようと、取り繕った「諦め」は簡単に見透かされるのだと。

私は、SEOライターになりたいとは思っていない。

SEOライターは「SEOライター」として優秀

もう一つ、面接で心に刺さった言葉を。

「例えば、堀さんの就活で「SEOライター」としてインターンしてました、というのをウリにするとするじゃん?そしたら堀さんの強みはSEOの知識だってことになるけど、「SEOライティングができる人材」として企業に採用してもらったら企業は当然その仕事を堀さんに求めるよね。

「SEOライターはSEOライターとして確かに優秀。だけどそれって本当に堀さんが周りに期待されたいこと?

何も言えませんでした。だって、私はSEOライターとして、たくさんPV数が稼げるライターとして認められたいわけじゃないから。

私は「この人の言葉遣い素敵だな」「この人の考え方面白いから好きだ」「この人はこの問題についてどんな風に文章を綴るんだろう」、そうやって思ってもらえるような物書きでありたい。

無条件に就活で活かせる~なんて呑気に考えていましたが、将来のビジョンや物書きとしてのプライドが高い私にとって(言葉選ばずに書くね)、SEOライティング経験はプラスになるどころかどんどん自分の夢とかけ離れていくのではないか、そんな風に考えはじめるようになりました。

やりたくないことは続けられない

その企業さんが一番大切にしていることは、企業の求めることとインターン生やスタッフがしたいことのマッチングだと聞きました。

もし、「私はエッセイスト的な立場で活躍したいからSEOとは無縁だと薄々感じていながらも、まぁどこかで強みになる可能性もあるから嫌々ながらもやってみるか」という思いがあるのだったら、辞退した方が良いと言われました。

やりたくないこと、しょうがなくやっていることは辛くなるんだ、と。

焦って将来を考えるばかりに、一番大切なことを忘れていました。いやなことを自分に強いる人生は、時として必要であり、時として無駄であるのだと思います。

諦め…きれてる?

面接にて、私は自分の「諦観」についてお話しました。

私の人生観はまさに諦観。人生なるようになると思っているし、何事も運命、目先の事象に囚われずただ息を吸って吐きながら、五感に任せて生きていきたい。

作家やエッセイストの夢もそう。確かに著名になりたい!だけど、急に有名になるなんて無理でしょと現実的な自分もいる。だから以前の記事のように「個性的な物書き・SEOライターという二種類のプライドを持つべき」なんて書けるんです。

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「エッセイストとして成功するのは難しいことだと思います。だからSEOを武器にしたい」

簡潔にいうとこのような趣旨のことを面接で発言しました。

そして
「本当にそう思ってる?」

と返されたのです。

思ってないんです!!!!!!!!!!
成功したいんです、物書きとして、純粋に文章が好きだとあなたの言葉が好きだと言ってもらえる物書きになりたいんです!!!!!!

自分は諦められている、現実的に思考できている、と勘違いをしていたんですね。本音に気が付いた瞬間でした。

物書きとしてどうありたいのか

私は現在ここ、noteで日々思うことを書き記したり、自分のホームページでSEOもどきのブログを執筆したり、大学広報との連携でインタビュー記事を執筆したり、色々な場面で文章を書いています。

私は、物書きとして純粋に言葉と遊んでいたいです。もちろん共感してくれる人がいたら嬉しいし、私の文章が読者にとって素敵な体験になったらとても光栄です。

書くことで息ができるのだ、と以前書いたことがあります。↓

これは嘘じゃないんです。私が「良い子」の自分から脱出して、自由になれるのがことばの世界だと考えているんです。

きっとnoteを読んだり書いたりしている皆さんは、ことばに対する感度が高い方が多いですよね。今回の物書きとSEOという問いに対して何か思うことがあればご意見いただけると幸いです。また、皆さんが書いた「是非読んでほしい!」というエッセイなどあれば教えてください!

ここまで読んでいただきありがとうございました。またお会いしましょう!


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