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IPC日記 Spring term2024 1ヶ月目

overwhelmed

11人の仲間たちとお別れをしたのも束の間、お別れを惜しむ間もなく、今度は70人の新しい仲間がやってきた。

welcomeボードをつくって迎える準備を。2週間一緒にすごしたからこそ、不安も楽しみなきもちも共有できる。2週間一緒に過ごしたメンバーとの絆がぐっと深まった気がした。


正直、今の人数感がちょうどみんなの顔と名前が一致して、心地いい距離感とスペース。
ここに70人が一気に来ると思うと、新しい出会いがあることのワクワクよりも、また関係をつくり直すことへの緊張と不安やそわそわの方が大きかった。

そんなわたしたちを見てなのか、朝のmorning fellowshipで先生たちは「今の君たちが楽しみなことは?」「逆に不安なことは?」と声を聞いてくれた。

続々と新しいメンバーが来る中で、学校がバタバタそわそわしている中、わたしは先生が開いてくれたヨガに参加した。
思いっきり深呼吸をし、自分の身体を感じ、心を落ち着ける。

そのおかげもあってきもちよくバディーを迎えることができた。
(新しくきたメンバーにはそれぞれ2週間先に滞在しているひとがバディーとして割り当てられ、サポートすることになっている)

そこからはじまった100人での暮らし。
正直、最初は楽しいというよりも慣れない100人の空間、いろんなひとのそわそわ、緊張、不安…いろんなごちゃまぜなきもちを感じ取りすぎてしまって、気を使うがあまり疲れてしまうことの方が多かった。
そして、感情がいっぱいいっぱいになってしまって、なぜか涙がとまらなくなった。自分でもなんで泣いているのかわからない、悲しいわけではないのに、うれしいのに。

この日、コミュニティカフェで「scar(傷)」について話す時間があった。
ここなら大丈夫と思える人たちがいて、彼らの声を聴けたことがとても嬉しくて、それを受け止められるみんなも素敵だなと感じた。

この日はなんだかぼんやりしてしまっていて、夜ご飯を逃してしまったけれど、ラーメンを分けてもらった。(やさしい…)

このラーメンがとてもおいしくてあったかくて、沁みた…結局IPCメンバーに支えてもらった。
あせらずゆっくり、自分のペースと心地よさを大事にしながら慣れていこうね。
ひとには言えるのに自分には厳しくしちゃう。

たまには思いっきり日本語で話したいことを話す時間も大事。
聴いてくれて話してくれる日本人の仲間がいることにも支えてもらっている。
英語ばっかりで話すのはしんどくなるときもある。


escape

ちょうどいいことにAarhusでIPC卒業生の方とお会いすることになっていたので、これはいい機会と思い、学校を少し離れることにした。
早朝、ひとりで電車とバスに乗るのは少し不安だったけれど、無事に乗り込み、ゆられること片道4時間半ほどの長旅。

体感型の展示が多い
雨の音を聴く
リラックスできる椅子が置いてあったりするのおもしろい。
やっぱり自然の絵が落ち着く。


カフェでいろいろお話できたのもいい時間だった。
はじめましてとは思えないくらい、ずっと素敵だなと思っていたけど、
お会いしてお話しするたびに、ひとことひとことにとても共感できて心地よい方だった。
日本でなにができるかな。。。。
かわいすぎるキャンドル。おうちで灯すようにお土産にした。
気になっていたgender museum。ここもやっぱり参加型の展示が多い。
考えさせられる問いがいくつも。
デンマークでは68のジェンダータイプが選べる
帰ってくるとカラオケ大会が開かれていた笑
ちょっと気持ちが楽になっていて、楽しめた。

「先生」の姿

IPCの先生たちの姿が素敵だ。
一番に先生たち自身が「学ぶ」こと、ここにいることを心から楽しんでいる。
元々は生徒だったけど、IPCの理念に惚れ込んでここで働くことを決めたという人が多いのもなんだか納得。
先生でもありながら自分の好きなこと興味のあることを楽しんでいて、それらを学びとしてIPCstudentsにシェアしている感覚というか。
ある先生のことばがこころに残っている。
”Not from curriculum,coming from the heart"
評価も成績もないフォルケホイスコーレだからこそ、先生の経験や興味関心に生徒たちの学びたいことを重ねて、もちよって授業がつくられている。
純粋にそのテーマを学びたいから学ぶし、やってみたいからチャレンジする。
そこに学びのモチベーションが生まれる。

同じテーマでも、そのタームによって授業の内容も形式も全然違うのだとか。
そのとき、その場にいた先生と生徒とだからできる一期一会な授業。
授業計画はあるけれど、とてもflexibleでわたしたち生徒の声がちゃんと届いているなと感じる。
脱線することもしばしばだし、今日はみんななんだか疲れてるから映画みよっか、なんてことも。
わたしが知っているのが日本での授業だから、どうしてもそこと比較してしまうけれど、いかに日本の学校の授業が決められた通りに進めることに縛られているか、を感じる。

先生たちもここに暮らしているひとが多いからこそ、家族ぐるみのつきあいでまるでちいさなまちみたい。
なんだかその雰囲気もいいな〜と思う。

今回のタームの授業の紹介もただ、どんな授業をするのか内容を話すだけではなく、先生たちのこれまでの背景、人生ストーリーからはじまる。
なぜ、この先生がこのテーマに興味があるのか。どんな経験をしてきているのか。
このテーマのおもしろいところ、こんなことをみんなとできたらいいなと思っているよ。
どの授業も本当におもしろそうで、選ぶのが大変だった。
いろんな授業やテーマから自分の興味があること、知りたいことを選べるのもいいなと感じる。
その週は、会うたびにみんなとどの授業を取ろうかと話していたけれど、授業の組み方もひとそれぞれで、
ある人は自分の興味のあること、学びたいことを中心に取っていて、
ある人は普段の自分だったらチャレンジしないことにあえてチャレンジすることにしたそう。
ある人は週28時間、午前と午後1つずつとるという縛りがあるため、正直あんまり気が進まないけれど、選択肢的にはこれかな、で選んでみた人もいるという。
でも、そうやって取った授業が意外とおもしろかったり、自分がこれまで出会ってこなかったような学びに出会うきっかけになることもある。
選べることもまたフォルケホイスコーレという学校らしさであり、素敵なところだなと感じる。

もうひとつ、感じること。
それは先生が授業で出す問いが答えがない広くてオープンな問いであるということ。
答えがないからこそ、正直、これまで考えたこともなかった、ということも多いし、なんて答えたらいいんだろう…と戸惑うこともあるけれど、それでも、考えてみる、話してみると、自分の考えに改めて気づけたり、一緒に話した子からの視野や考え方がなるほど〜と思うこともあって、すごくおもしろい。
みんながそれぞれに考えたこと感じたことを重ねて広げて、またそこに重ねて…
正直、きれいな答えがでることはないし、先生もまとめたりしないから終わりがない。
時間が来たらそこまで。という感じ。
だから授業がおわったあともぐるぐるするし、全然すっきりしない。(いい意味で)
授業は何かを得る、完成させるというよりは、考えるきっかけをつくる、ピースをもらうはじまりの場、機会なのかもしれないなと改めて。
全然違う授業をとっているはずなのに、そこで学んだことがつながってくることもあって、結局、ここか〜となる瞬間も学んでいておもしろいところ。
すべては複雑につながっている。

privilage(特権)について考える。
あなたの国での特権はなんですか?あなたには特権がありますか?
どの特権が必要だと感じますか?
あなたにとって"equality(平等)"とはなんですか?
平等についてどんな問いを持っていますか?
snowball
問いを書いて投げる。そんな方法もあるんだ〜と思った。

ちがいをもちよる

たくさんの「ちがい」を感じるIPCでの日々
30カ国以上の国から集まってきた109人の仲間達。
国籍、年齢、性別、文化、宗教、生活スタイル…はもちろん
価値観のちがい、モチベーションのちがい、認知のちがい
考え方のちがい、個性のちがい、願いのちがい
わたしたちは「ちがい」だらけである。
国も違えば育ってきた環境も違う。
だから毎日至る所で「ちがい」に出会い、感じる。

その「ちがい」をどう受け入れ、折り合いをつけ、どう乗り越えていくか、
問われる。
正直、どうしてもその「ちがい」を受け止めきれなかったり、自分とちがいすぎるがゆえに戸惑うこと、自分の大切にしたいことがおびやかされるがゆえに気持ちが揺れることもたくさんある。
そんな自分にであったときはなんともいえないきもちになる。
みんなに対していい人でいられない自分が嫌だなと思うこともある。
でも、そんな自分がいることも押し殺さず、責めず、そうだよねと一旦、認めてみる。
相手にも自分にとっても心地よい距離や関わり方を学ぶこともまたここにいる上で学べることのひとつなんだろうなと思う。
あるひとが「ここはセラピーみたい」と言っていたことが心に残っている。
本当にそうで、いろんなひとがいるからこそ、それぞれの個性があるし、難しさもある。
だれかの姿やことばがまるで鏡のように自分をうつしたり、はねかえってくることもある。
そんなときに自分はどうするか、どう乗り越えるかを学んだり、チャレンジできるのもここにいるからこそできることなのかなと思ったりする。

他者の人生や考え方に触れて自分の人生を見つめていくからこそ生まれてくる気づきや学びがここにはたくさんある。
あなたとわたしを行き来しながら広げてふかめていく、ひとりじゃできない学び。
世界の縮図がここにある、世界のあれこれをここで体感的に学んでいる感覚。
そんな時間と場所があること
そのプロセス…
これらすべてがフォルケホイスコーレの素敵なところだなと思うし、こういうことがやりたいんだよなと改めて確かめているようなきもち。

「ちがう」ことがあたりまえ。ちがうことをもちよる。
100年以上の歴史があるからこそのつながりとひろがり。
日本でフォルケホイスコーレをつくるにもきっとそれだけの時間とエネルギーがいるんだろうな。
きっとわたしたちだけの世代では終わらないけれど、つないでいくこと。

自分の内側にあるものをつたなくて限りのある自分の英語で話すのはとてもchallengeなときがある。
もっと話せたらいいのに、とくやしかったりもどかしかったり。
落ち込んだり。人とつい比べてしまったり。
言いたいことが言えないのはもどかしい。
伝わらなかったらどうしよう…という気持ちが大きくなって、怖くなって
ことばを飲み込むことも
言いたいことがある時に限ってそのときはうまく英語が出てこなくて、あとからあぁ〜こういえばよかったな、と後悔することもしばしば。
それでも結局はコミュニケーションだからどんなぐちゃぐちゃな英語でも伝えようという意志と聴こう、受け取ろうとしてくれる相手の姿勢があれば、伝わる。
日々ことばの壁の前で試行錯誤しながら学ぶ。


学校の中でいろんなクラブがつくられるようになった。
そのひとつにhyggeクラブがある。
6ヶ月後のわたしに手紙を書いた。
こころのなかにあるものをそのままに安心して話せる、置ける場所があること。
ひらかれていること、
わたしだけじゃないとおもえること、それだけでこころづよくて満たされる。
ぽかぽかとてもあったかいきもち。
careしあえること。
涙が流せるということ
ことばになるものならないもの、それらすべてまるっとよしとして進んでいく。
頭もこころもいっぱいいっぱいになってしまったときはひとりになってひたすらに書き出す、自分で自分をcareする。



自分の無知と無力さを自覚する

選択した授業がはじまった。
どの授業もとてもおもしろい。
知らないことを知ることのおもしろさと同時に感じるのは、いかに自分が世界を知らなかったか。知っているようなつもりになっていたか。
自分が学んできたこと、触れてきている情報はいかに一部だったか。
自分の無知を自覚する過程はもやっとしたり、くるしかったり、無意識に遠くしてきたり避けてきていた自分に向き合うことでもあり、それは心の体力をつかうときもある。
世界で起きている悲しくもリアルな事実に、果たしてわたしは何ができるんだろう…という無力感でいっぱいになることもある。
それでも知らないままよりはいい。
知った上でどうするか、自分一人ではどうしようもない大きなものばかりだけれど、ひとりではない。
こうしてIPCでともに学んでいるひとたちがいるということもひとつの希望だなと思う。
ここにきて、学ぶ中で改めて感じるのは、わたしはやっぱり「平和」に向き合いたいのだなということ。
方法はどんなものであれ、世界が少しでも平和に近づくためになにかできることがないか考えて、自分にできる形で世界とつながりたい。
それがもしかすると「フォルケホイスコーレ」のような場を日本でひらくことなのかもなと思っている。
まだまだぼんやりとしているし、ことばにはしきれないのだけれど、たしかに少しずつ輪郭が描けるようになってきている感覚があるし、糸を手繰り寄せるようにこれまでのわたしの人生の中でつくってきた点と点が重なって線として結ばれている感覚がある。
じっくり、ゆっくり、それでも確実に。
果たして、6ヶ月後、どうなっているのだろう。

「アフリカ」と聴いた時どんなイメージが浮かびますか?
どうしてそのイメージがあるのでしょう?
あなたの国でアフリカに関するニュースをどのくらい目にする機会がありますか?
どうして、アフリカからの生徒の割合が少ないのでしょう?

日本にいると本当に中東やアフリカのことについて知る機会がないなと思う。
授業が終わるたびにちがいすぎて、わかるようでわからない〜〜ってなるけど
同じ授業をとっているクラスメイトが言ってた
"Ignorance is leading to violence and misunderstanding"
無知こそ誤解と暴力を招く。が本当にそうだよなと思う。
遠いから、違うから、自分とは関係ないではなく、
自分ごとで考えてみる、近づこうとする努力をあきらめたくないなと。
だから、この授業を選んだ。

同じNEWSでも違った切り取られ方、解釈があること。
自分が普段、どんな情報に触れているか。
何を受け取り、何を信じるか。
入ってくるものだけをそのまま受け取るでいいのか?
なんだかハッとさせられた。


自分を知ることから。

それからconflict resolution
この授業もとてもおもしろい。
日本ではあまり自分の感情や人との関係の築き方について学ぶ、知る授業ってないよな〜〜と思う。
(わたし自身もNVCに出会ってかなり救われたことがあるから、もっとこういう授業が学校でもできたらなと思うこともたくさんある)
自分がなにを感じているのか、自分の感情を把握し、どうしてそんな感情がうまれているのかneedsとつながる。
自分を知ることから他者との関係を考える。
ことばとおなじくらい感情に目を向けられているか。

Conflict is a normal. Conflicts aries from differences.
衝突が起こるのは普通のこと。では、違いから生まれる衝突をどう乗り越えるか。
同じ”conflict"ということばをどう捉えるか、連想するイメージはひとそれぞれ。
では、わたしはどう向き合う?



わたしがたどってきた道。"Education for Life"

色々悩んだけど、教育についての授業をとることにした。
自分がこれまで受けてきた教育についてjourneyという形で書き出し、シェアする。
いろんな国の教育のかたち。
同じ国でもひとによってたどってきた道がちがうし、そこで受ける影響も感じ方もまたそれそれで。

教育にどっぷりだったからこそ
違う分野で自分の視野や世界を広げたいと思ったりもしたけれど
結局、どうやらやっぱりここに行き着くみたい。
わたしにとって教育は切っても切り離せないんだよな
教育=わたしがたどってきた道でもあるんだな〜とjourneyを描きながら感じた。
フォルケホイスコーレ設立の祖Grundtvigの”Education for Life"がまさにここでも。

大好きなコテンラジオの中でも特に好きな回。
”教育とはそもそも人間とは何かを考えること”


いろんな国の人とともに学ぶからこそ。

Exploring DenmarkではDenmarkについていろいろな角度から学んでいく。
いろんな国からきているクラスメイトたちと学ぶからこそ、
比較対象ができて、自分たちの国はどうだろう?と目を向ける機会になる。
あたりまえはあたりまえではなく、ふつうはふつうではない。


(2ヶ月目につづく☞)

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