【歌詞考察】back number「冬と春」〜雪と魔法がとける時〜

ティザーの一節を聞いた時から、運命の曲になる予感がしていました。
※「冬と春」の歌詞ネタバレオンパレードです。リリースまで歌詞も見たくない!初見の喜びを大事にしたい!という方は、リリース後にぜひ読みに来てください。

それでは、はじまりはじまり。



信じられない、信じたくない

私を探していたのに途中でその子を見つけたから
そんな馬鹿みたいな終わりに涙を流す価値は無いわ

▶︎「私を探していたのに」="あなた"は最初は"私"が目的(本命)だったのに
▶︎「途中でその子を見つけたから」="私"と付き合う前に"その子"に出会って目移りしたから。
▶︎クズ〜〜!この野郎〜〜〜〜〜!タンスの角に足の小指ぶつけろ!!!と思ってしまうような歌い出し。『怪獣のサイズ』と同じく主人公が酷い負け方をするところから始まります。
▶︎「そんな馬鹿みたいな終わり」="その子"に目移りした"あなた"に捨てられる、酷く惨めな終わり方
▶︎「涙を流す価値はないわ」=泣いてなんてやらないわという強がり。どことなく『赤い花火』の主人公を彷彿とさせます。
▶︎この場合の「涙を流す」というのがどういうことを意味するかと言えば、起きた事を真っ当に受け止めて傷つくということです。"私"にとっては、「真っ当に傷ついてやる価値すらない」と思うほどに、屈辱を感じているということでしょう。
▶︎ごもっともですよね。そんな男忘れてさっさと次に行った方がいい。しかしながら、心はそう簡単に区切りをつけられないのだということが次節で描かれています。


ままならない心

幕は降りて 長い拍手も終わって
なのに私はなんでまだ見つめているの

▶︎「幕は降りて」=お芝居(物語)は終わって
▶︎「長い拍手」=カーテンコールも終わって
▶︎つまり、誰がどう見ても"私"と"あなた"の恋は終わってしまったとわかる状況で、それでもなお、"私"は"あなた"を「まだ見つめて」いる。見つめるのをやめることができない。
▶︎「なんで」と疑問形にすることで、頭ではもう終わったとわかっているのに、心がまだ"あなた"から離れられないというままならなさが伝わってきます。


雪がとける。魔法もとける。

嗚呼 枯れたはずの枝に積もった
雪 咲いて見えたのはあなたも同じだとばかり

▶︎"私"だけが、"あなた"との幸せな未来が待っていると勘違いをしていたことの表現です。
▶︎"私"に見えていたのは花が咲いている景色=2人で春の訪れを迎えた景色=2人が結ばれて幸せになると思っている。
▶︎"あなた"に見えていたのは、ただ枯れ枝に雪が積もっている冬の景色=2人で春を迎えることはないということ=2人が結ばれる未来はないと思っている。
▶︎同じ景色を見ているというのは、2人が同じ気持ちだという表現です。明るい未来が待ってると思っていたのは"私"だけだったのだという残酷な現実を、「見えているものが違う」ということで表現しています。

嗚呼 春がそっと雪を溶かして今見せてくれたのは選ばれなかっただけの私

▶︎「春がそっと雪を溶かして」、花だと思っていたものが消え、ようやく"私"は「選ばれなかった」という現実を知ります。
▶︎「だけの」という表現は、言い換えればそれしか残らなかった、それが全てだったということです。それまでどんなに幸せでも、どんなに思っていても、これから先"あなた"と幸せになれないのであれば全部無意味で、"私"の元に残るのはただ「選ばれなかった」という結果のみ、ということでしょうか。


言い訳をさせてよ

あんなに探していたのになぜだかあなたが持っていたから
おとぎばなしの中みたいにお姫様か何かになれるものだと

▶︎"私"が何を探していたのかは現時点ではわかりませんが、とにかく「あんなに」と言うくらい必死で探していたものを「あなたが持っていた」というのは、"私"が"あなた"に対して運命を感じる十分すぎる動機になるでしょう。
▶︎そして、そんな運命的な相手に出会えたのだから、このまま「おとぎばなしの中みたいにお姫様か何かになれるものだと」思ってしまった=この先きっと2人で幸せになれる、と期待を膨らませていたことが伺えます。


ガラスの靴を捨てたのは誰?

面倒くさくても最後まで演じきってよ
ガラスの靴を捨てた誰かと 汚れたままのドレスの話

▶︎運命を感じ、未来を信じていた"私"とは裏腹に、"あなた"はその子を見つけ、"私"を蔑ろにしていきます。"私"との関係を続けることが「面倒くさくなって」しまった"あなた"は、"私"にとっての王子様を演じることをやめてしまいます。
▶︎ここでの「ガラスの靴を捨てた誰か」は"あなた"のことでしょう。シンデレラは、12時を迎え急ぎ帰る際に、ガラスの靴を片方だけ残して城を去ります。王子は残された片方の靴を手がかりに国中を探してシンデレラと再会する、というのが原作の筋です。「ガラスの靴を捨て」=王子様がシンデレラを探すのを辞める="あなた"は"私"との関係を続ける気がないということを表しています。
▶︎魔法が解けて家に帰ったシンデレラは再び元の暮らしに戻ります。薄汚い灰まみれの服を着て、継母や義姉たちにこき使われる日々です。原作であれば、この後王子様が迎えにきてハッピーエンドを迎えますが、この曲の場合、王子="あなた"は「ガラスの靴を捨て」てしまっているので、シンデレラ="私"は「汚れたままのドレス」で過ごす、つまり、幸せを掴めなかったということになります。


春が連れてきた残酷な真実

嗚呼 冬がずっと雪を降らせて
白く隠していたのはあなたとの未来だとばかり
嗚呼 春がそっと雪を溶かして今見せてくれたのは知りたくなかったこの気持ちの名前

▶︎ここでも"私"の期待と勘違いが描かれています。"私"は「おとぎばなしのお姫様かなにか」のように、"あなた"と結ばれ幸せになる未来を夢見ていましたが、「春がそっと雪を溶かして」=時が経過して見えてきたのは、辛い現実と「知りたくなかったこの気持ち」="私"がどうしようもないくらい"あなた"を好きになってしまったという残酷な事実でした。


砕け散ったガラスの靴と私の心

似合いもしないジャケット着て

▶︎ここ、めちゃくちゃマウントとってるな〜と思います。「似合いもしない」という見下すような表現の中には、

①"私"は"あなた"がジャケット似合わないってこと知ってますけど?
②わざわざ似合わないくせにジャケットを着るなんて、"あなた"は本当にわかってないのね。
③"私"の方が"あなた"のことわかってるのよ。誰よりもわかってるの。

という、"あなた"を誰にも渡したくない強い気持ちが込められた一言のように感じます。

酔うと口悪いよねあいつ
「でも私そこも好きなんです」
だっていい子なのね
でもねあのね
その程度の覚悟なら私にだって

▶︎「酔うと口悪いよね」は第三者の発言で、それに対して憎き"その子"が「でも私そこも好きなんです」と返す。「いい子なのね」と認める素振りを見せつつも、「でもねあのね」と追い縋るようにすぐさま切り返し、「その程度の覚悟なら私にだって」と結ぶことで、どうして私じゃダメなの?という怒りと悲しみが込み上げてくる様子を表現しています。


他には何もいらなかったのに

嗚呼 私じゃなくてもいいなら私もあなたじゃなくていい
抱きしめて言う台詞じゃないね

▶︎あれだけ、「幕が降りて長い拍手が終わって」もなお見つめ続けるくらい未練があって大好きだった"あなた"に対して、ここで初めて「あなたじゃなくていい」という凄まじい拒絶の言葉が登場します。では何故、"私"は好きだったはずの"あなた"にここまで強烈な言葉をぶつけるのかと言えば、それだけ"私"が、"あなた"にとっての唯一になれなかったことに深く傷ついたからです。
「どうして私じゃだめなの?」「なんでその子なの?」という悲しみが怒りへ昇華したことが、強い拒絶に繋がったのです。
▶︎果たしてその時を迎えた"私"が、本当に"あなた"を抱きしめ(られ)ながらこんな台詞を言えたのかどうかは定かではありませんが、「抱きしめて言う台詞じゃないね」という、少し冗談めいた、自嘲混じりの口調が、"私"の強がりを感じさせ、切なさを強めているように思います。

嗚呼 枯れたはずの枝に積もった
雪 咲いて見えたのはあなたも同じだとばかり
嗚呼 春がそっと雪を溶かして今見せてくれたのは選ばれなかっただけの私
ひとり泣いているだけの
あなたがよかっただけの私

▶︎「だけの」という言葉の使い方が見事です。「あなたがよかっただけの」の裏には、「他には何も望まない」という言葉が隠れています。"私"がどれだけ"あなた"に心を惹かれ、そして一連の出来事によりどれほど傷ついたのか、一言で伝わる表現だと思います。



【総括】解像度が高すぎるからやっぱり実体験なんだと思う


「酔うと口悪いよねあいつ」の部分とか、経験した人じゃないと書けないんじゃない?って思うレベルで情景が鮮明に浮かぶ歌詞で、鳥肌が立ちました。比喩表現の使い方も、例えば「シンデレラ」になぞらえている部分とか。「シンデレラ」ってすごく有名で誰もが知ってるお話だから、それを例えに使うことで主人公の置かれている状況や抱えている思いが、より一層受け手に伝わりやすくなってるのかも。想像しやすいもんね。
個人的に痺れたのは、主人公が彼との関係をお芝居という虚構に位置付けている(幕は降りて、長い拍手も終わって/おとぎばなしのお姫様かなにかにでも/ガラスの靴etc…)ところです。お芝居って、(言い方は悪いけど)作り物で、嘘で、必ず終わりがあるものじゃないですか。自分の恋をそんなものに例えてしまう、この崩れ去った感の表現、すごくないですか?



【蛇足】雪と花 見立ての歌について


どーーーーしても書かずにいられなかった。私、大学時代に上代文学(ざっくり言うと奈良時代以前の文学)をかじったことがあって、(もしこれを読んでいる人の中に上代文学の有識者の方がいたら怒らないで生暖かい目で見て欲しいんですけど)、今回の歌詞で使われた「雪を花と見間違える」っていう表現、すごく近いものが上代文学の中で使われているんです。「令和」の元ネタになった文章が含まれていることで一時ちょっぴり有名になった、万葉集の「梅花の歌三二首」という、大宰府で開かれた貴族の梅の花見の宴会で詠まれた32首の歌の中に、「梅の花が散る様子が、雪が降っているように見える」という歌があります。この表現技法を、古典文学の世界では「見立て」と言うんだけど、花と雪の見立ては古く中国から伝わって古代の貴族に親しまれてきた表現です。
ティザー第1弾を聞いた時、サビの歌詞を聞いて、「『見立て』じゃん!!!ゼミでやったところだ!!!」と大興奮すると共に、「多分、万葉集の表現技法なんて知らずに作詞してるだろうし、これがナチュラルに出てくる依与吏さんってもしかして貴族だったのか……?雅じゃん……」なんて考えたりしていました。オチはありません。

それでは、またいつか。

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