うつ病と読書

うつ病を患ってから6年ほど経っている。寛解はほぼ絶望的だが、それでも生きていかなければならない以上、気分が落ち込んでも勤め続けられる職場や、メンタルコントロールの技術が必要だ。

うつ病になるまであまり読書家ではなかった、なのでうつ病以前の読書の感覚があまり分からないのだけど、今現在本を読もうにもメンタルや気力に左右され集中できないのが辛い。

本は待っていてくれる。急かしもせず、早く読めと鬼電してくる事も無い。けれど、人間の側は勝手に焦る。それは、資本的自由主義の風潮から来るのかもしれないし、そもそも人間に備わった生存本能なのかもしれない。

本が読みたい。内実を細かくは捉えきれていないけれど、確かに読みたさは有る。

そもそもうつ病がある程度回復しているから、そこそこに本が読めるというのもある。そこは認めて相応の感謝をしなければいけない。だからといって、読めない苦しみが減るものでもない、難しい。

うつは脳機能障害でもあり、僕の実感としては実存の悩みも平行していると思う。存在の不確かさ、「自分ってなんだろう?」、社会に生きている事への罪悪感。色んな事柄に自分存在を揺るがされている。

どうしたら鬱をキレイさっぱり払えるのだろう。無理だと思う。それは、生きる上でのインフラが充足していて、必死にならずとも生きられるのに他人との軋轢が避けられない、その根本的な人間存在の弱さに直面しているからだ。

うつ病と読書という話に戻ろう。

うつ病だから読書できない事はない。それはある程度回復している状態で、そして感情の起伏が上向きに時に限る。

どうしても気分が底の時は何にも興味が湧かず、読書はおろか日常生活すらままならない。それを受け入れるしかないと思う。そうあるべきではなく、そうでしかないのだと思う。

うつ病の寛解見込みがどうであれ、僕も他のうつ病を患うだれかも、生きていかないといけない、死ぬまで。

であれば、自分を痛めつけて奮い立たせる様な蛮行をせずとも、自分の気の向いた時にでも本を読み、飽きたら本をほっぽり出し、そしてまた心が望む時にでもまた本を手に取るのも良いかもしれない。

うつ病は本当に辛いです。目に見えない話なので理解者は少ないです。それでも死ぬまで生きなければいけない以上は、泣き言を言って立ち止まってばかりもいられません。

症状の軽い時は動き、重い時は休み、自分の「身体」の微かな声に耳をすませて、ゆっくりと人生や本と向き合いたいと思うのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?