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うたふ兎🐇
2024年5月19日 06:53
人間は言葉を知って語り始めてから実に長い長い話をし続けます。声で、体で、文字で。時に独り心の中で。文は人なりといいますがむしろ人は文なりといいたくなるほどです。文の外にある世界は人間にはわからないのでとりあえずは置いておいていいような気がしています。
2024年5月18日 06:19
何かをしようかやめておこうか迷うことは誰しも日常的にあります。そのときには「安眠のできそうな方」を選ぶのはありだと思います。心が高ぶったりハラハラしたりあるいはくよくよしたりしない方。ぼくには合っている選び方です。自分の器のほどがわかります。
2024年5月17日 06:35
芭蕉は言葉で風雅の誠を取り出したのでしょうか、それとも言葉で風雅の誠を作り出したのでしょうか?言葉の前に認識があるのか、言葉の後に認識があるのか?その堂々巡りの外に目を向けます。認識と言葉とはいずれも今より一瞬遅れているのでしょう。
2024年5月16日 07:02
言葉はそのふるさとの雲から生まれて誰かの声や筆に表れます。そのとき少なくともその誰かには知られます。そしてほかの人も聞いたり読んだりするかもしれません。用が終わると言葉は雲に帰ってゆきます。図書館の古典はまだ用が終わっていなくて帰れないのです。
2024年5月15日 06:47
褒めるにせよ責めるにせよ自分が自分に対してするときはエスカレートしがちだと思います。自分は自分に対しては面と向かって違和感を表せないからです。なかなか自分を客観的に認識するのはむずかしいです。感覚ですが七割ぐらいでいったんはよしておくのがいいと思います。
2024年5月14日 06:47
笑いとは自分が常識の側に立っているという感覚に立って、何かが常識と違うのはここだと認識することで起こるのだと思います。常識の側という感覚が正しいかどうかは別です。常識と違うというのも優劣とは別です。ギャグもユーモアもエスプリもあります。
2024年5月13日 06:47
懐かしい昔の知り合いとネットで再会することがあります。お互いに気遣いし合ってフォロー以上の会話にならなかったりします。でも相手をみつけたことだけでもお互いに伝わればまずはよかったと思うようにしたいです。固有名詞で存在を認め合うことはふだん稀なはずだからです。
2024年5月12日 06:33
人生で勝負とは一回こっきりではなく、時間が続く限り、ゲームの種類も相手も変わって、二回戦、三回戦と、ほぼ無限に連戦が続きます。勝ち続ける人はいません。負けのダメージを小さくしてとにかく生き続けるのがきっと賢明です。勝ち誇ってもつぎに勝つ保証はないです。
2024年5月11日 06:58
友達とは会う頻度が高い人とすると、ぼくには友達はいないと言えます。でもたった一度会っただけ、しかももうこの世におられない人で友達と思いたい人がいます。友達と思えば友達だ、でよいことにしたいです。一方通行でもよいことにしたいです。ぼくの勝手な新ルールです。
2024年5月10日 06:34
ネット空間は人の脳と脳とがほぼ緩衝材なしに接する、という話の続きです。肉体という緩衝材がないので、読み飛ばしのような方法で自分を守るようになります。読み飛ばさない情報を選ぶのでなくて。それに加えこの情報の洪水です。受信のない発信が膨れ上がっています。
2024年5月9日 06:35
ネットの世界はあたかもお互いに脳と脳とが直接隣り合ったような世界です。さらにスマホは脳を身体の外に日常的に持ち出します。人と人との間の緩衝材があまりないのは便利なようで不便でもあります。書籍は空間と時間との緩衝を隔てて現れるところが異なります。
2024年5月8日 06:26
遊ぶとはほかの人との共通の話題をつくることでもあります。年の離れた人同士でも話題ができやすいです。しかも必ずしも一堂に会さなくても。詩歌を作れば詩歌の話題、絵を描けば絵の話題、音楽を聴けば音楽の話題。無理に相手の年代の話題を仕入れなくてもできるでしょう。
2024年5月7日 06:31
生活の上ではいろいろ思いもしないことが起きますがそれでも毎日何か書きたいと思っています。自分は書くと元気が出てきます。深呼吸みたいな効果でしょうか?ため息を深呼吸に解消する感じでしょうか?そして笑顔を取り戻そうとするのです。
2024年5月6日 06:28
笑顔の取り戻し方。これはむずかしいですがむずかしいと思わなくなるまで気が済むのを待つのがよさそうです。気分転換をはかりながら。一人だけで解決しようとせずに環境の変化に乗るのもありでしょう。無理に笑わなくてもいいつもりで。今日は自分に言い聞かせています。