三月

躁鬱の脳内

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最近の記事

不運な人に遭遇するひと

僕はよく、不運な人に遭遇する。 学校へ行くために家を出て通学路を歩いていると、僕と同じ学校の制服を着た女の人が前を歩いている。 その僕たちの上をカラスが飛んでいる。 なんとなくわかる。 カラスのフンが、彼女の肩に落ちるんだろう、と。 そんな事が頭に浮かんだ矢先、 「ビチャッ」 案の定、カラスのフンが彼女の肩にクリーンヒットした。こういう時、大抵はスルーして通り過ぎるか、優しい人であればハンカチを差し出し大丈夫ですかと声をかけるか。 僕は、声をかける勇気もないしハンカチ

    • たくさんのバンドマン達が根拠のない、たくさんの「大丈夫」を歌ってくれる。それだけで、大丈夫になる。

      • 昔の記憶

        これまでの人生を思い返すと、残念ながらいい思い出よりもよくない思い出の方がすっと出てきたりする。それは色々なジャンルの、よくない思い出。トラウマとして残ってしまっているのか、悲劇のヒロインぶりたくてそうなってしまっているのか。どちらにせよ嫌だなぁ、、 よくない思い出は色々なジャンルがあるのに対して、いい思い出のジャンルは限られている。その大半を”音楽”というコンテンツが占めている。まだ二十年しか生きていないし経験したものが少なすぎるというのもあるけれど、それほど音楽は私にとっ

        • 小さい頃から、”夜” が好きだった。 深夜まで起きて、真っ暗な部屋でテレビショッピングを観ている時間が大好きだった。わたしと同い年ぐらいのみんなは寝ているだろうに、わたしだけが起きている特別感が堪らなく心地よかった。この時間に起きているのは自分だけだと、小学校低学年の私は本気でそう思っていた。けれど実際、そんなことはなかった。深夜に働いている人ももちろんいて、昼夜逆転している人なんてこの世に何人居るのだろうか。 けれど小学生の私はそんなこと知る由もなかった。 親は仕事で疲れ

        不運な人に遭遇するひと

          自分のインスタを見返しては、「いい写真だなぁ」とか「いい文書だなぁ」とか思っている。

          自分のインスタを見返しては、「いい写真だなぁ」とか「いい文書だなぁ」とか思っている。

          卯月軍団自殺予定支部

          最近はもっぱら、VTuberの動画ばかり観ている。配信をリアタイで観ることは少なく、主に切抜きを中心に観ているのだが最近、とてつもなく”いい”切抜きを観たのでそれをみて思ったことを残しておきたいと思う。 それは、「卯月コウを見る理由」 という、卯月コウがひとつのマシュマロについてお話(返答?)をする動画だった。 そこで卯月コウが話していた内容がとにかく、今の自分に刺さって仕方なかった。コメント欄にも書いてあったけれど、今の時代に本当に必要な言葉が確かにあったと思う。 (

          卯月軍団自殺予定支部

          やる気、元気、森脇。

          1.日常 ここ1ヶ月、仕事に行けていない。 春は精神的に不安定になる人が多いそうなので私も例外ではないのか?と考えた。しかしそれに該当するのは新しい環境で生活が始まった人や、周りもしくは自分自身になんらかの変化があった人だと思う。 私はもう何年も、同じ生活を繰り返している。 職場もずっと同じで毎日同じ人と顔を合わせ同じ仕事内容をこなして同じ道を通って、生まれた時から住んでいる家に帰る。 職場に不満はひとつもないと言ったらそうでもないけれど、それでもこうなってしまった原因

          やる気、元気、森脇。

          星野源という人

          「くせのうた」 この曲を聴くと、どうしようもない気持ちになる。マイナスな意味では決してなくて、どうしようもなく、どうしようもなくなってしまう。どうしようもない気持ちになったときに彼の優しくも冷たい音楽を聴く。そして、どうしようもない気持ちにまたなるのだ。心が晴れやかになる訳でもなく、どちらかというと曇ったままで、ただそれまで棘棘していた気持ちの針がすっとなくなり、荒んだ心に彼の「まぁ、落ち着けよ」とでも言っているかのような声がすっと入ってくる。癇癪起こしがちなわたしにとって

          星野源という人

          音楽が止まるということ

          CDJ中止の説明文を読んでいて、 涙が出そうだった。 音楽やバンドに関心がない人たちからしたら 「こんな状況下ではなから開催しようとすること自体おかしい」 そう思う人もたくさんいるのだろう。 私も正直なところ、「無理」だと思っていた。 たくさんのライブが延期になり、そして振替公演が決まり、それも中止になった。 それでも開催されたライブもあった。あの一件以来、ライブハウスで感染者が出たというニュースは見ていない。 中止なったライブは規模や集客が大きいものが多いように感じた

          音楽が止まるということ

          謝罪

          「申し訳ない」 という感情を人より強く感じてしまう人間は非常に生きづらいだろうなと思う。わたしだ。 そう思ってしまったが最後、2.3日、酷ければ何週間でも脳内で謝り続けていることがある。ほんとうに何か悪いことをした訳ではないし、とんでもないミスをしでかした訳でもない。じゃあ何故謝っているのか。 思い込みである。 「あのときああ言ってしまったけど、傷つけてしまっただろうか、だとしなら申し訳ないなぁ」とか「あのときこうしてれば、もっと違う結果になったんじゃないのか」とか、