臼井八景とは―禅宗寺院の境致と臼井城主物語―

 臼井八景は、円応寺の僧・玄海と臼井城主の末裔・平秀胤(號は信齋)
の二人が夫々の八景を漢詩で撰し、元禄11年(1698年)11月晦日に完成
しています。円応寺は佐倉市臼井田にあり、臨済宗妙心寺派のお寺です。
僧・玄海は臼井八景の完成した翌年(1699年)に先師黄洲和尚が亡くなり、
その後に、円応寺24世住職を継いでいます。(玄海30歳)
臼井八景の作者は「宋的」と云われていますが、円応寺には「宋的」と云う和尚は、実在していません。八景の序文に信齋が玄海を「寺の僧的公」と瀟湘八景の「宋廸」に擬えて記していることから、後に「宋的」と変えて伝えられてきたと考えられます。
玄海は、諱は盲亀、字は玄海、八景の筆名は盲亀子です。号は有りません
 僧・玄海の八景詩は、印旛沼周辺を円応寺域と捉え、臨済禅に基づき、
八ヶ所を境致と選定し、心に浮かぶ情景を詠み、又、修行中の煩悩三毒
(貪・恚・痴)の苦しさ、そして「悟り」の心境を表現しています。
一方、信齋の八景詩は、先祖の臼井城主のこと、特に六代興胤、臼井氏
最後の城主十六代久胤の旧事を詠み、又、自らの60有余年の人生を顧みて
八景を詠んでいます。
このように、臼井八景は印旛沼周辺の風景を詠んだ情景詩ではなく、二人
の心入る人間味のある八景詩です。
臼井八景の原文を読み、詩の奥深さ、魅力を感じて頂ければと思います。
(臼井八景・八ヶ寺めぐり実行委員会)


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