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探究する職場から「社会の資産」をつくる ー教育事業開発と人材育成の経験から

ぼくは今、「創造性の土壌を耕す」をパーパスに掲げる経営コンサルファーム、株式会社MIMIGURIで働いています。

今日は「それまで教育事業づくりをしていた自分が、なぜMIMIGURIに入ったか?」について、書いてみたいと思います。今同じように教育事業に携わっていたり、あるいはなんらかのサービス開発と人材育成を兼任していたりする方に、読んでもらえたら嬉しいです。

これまでは、「どうしてMIMIGURIに入ったんですか?」と聞かれた時、「子どものワークショップをやってきましたが、組織が良くないと良いサービスも育たないことを実感したので、組織づくりの仕事をしたいと思ったんです」と説明していました。

まぁ嘘じゃないんですけど、かれこれ5年同じ説明をしてきたので飽きてきて、別の言い方を探りたい気持ちが出てきています。

だから、前職の2015〜2019年を振り返ってみたいと思います。

ただ、書いてみると、今のぼくが振り返るからこそ出てきている言葉であり、当時はそこまで考えていなかった言葉ばかり出てきました。まぁでもそれでいいんです。過去を訂正しながら生きていくのが大事だなと、東浩紀さんの『訂正する力』を読んでいて思うのです。

ぼくは当時、乳幼児向けの教育サービスの開発と現場運営の両方に関わっていて、スタッフの人材育成も担っていました。そこで見たのは、人々の学びがサービスを変えていく希望と、大きな組織構造のなかで培った知的資産が消えていく悲しみだったのです。

乳幼児親子向けの新規事業開発とUXデザイン

新規事業を立ち上げたものの、最初は全くお客さんが来なくて、毎日焦っていました。これじゃ仕事がなくなってしまう、と。

当時のチームメンバー、マネージャー、そしてアドバイザーで関わってくれていた方々と日夜議論を続けて、開発の手を動かし、あくなき探究を続けました。そこから徐々に人に知られて、ファンがついてきました。

デザイン思考という考え方や言葉が流行した当時、「ユーザーの観察からはじまる」という方法は、社会学のゼミで学んで、児童館にたまる中高生をめぐるフィールドワークで卒論を書いたぼくの性に合っていました。

観察を通じて、乳幼児とその保護者のまなざしを借りながら現場を見ていくと、「ここにペインがあるなぁ」とか「こうなったら面白いのに」とか、発見やアイデアに満ちていきます。そのアイデアを形にして、UXを改善すればするほど状況が良くなっていったのです。

もちろん、収益には苦戦していました。費用対効果として会社の期待は売上だけではありませんでしたが、当初から人気に火がつき稼働率50%を見込んでいたところ、実際は15%程度でした。見込みの甘さが酷かったことは、言い訳できませんね。笑

作家性を織り込み、「仕事の意味」を修繕する人たち

そんななかで、スタッフの人材育成にも関わっていました。子どもと関わる経験がほとんどなかった人たちに、ファシリテーションにおける「見立て」の考え方を共有するところからはじめました。

人によって子どもの考えや特性の「見立て」が異なります。だから、ファシリテーション現場の振り返りを通じて「見立て」を交換し、お互いの「見立て方」を盗みあって、ファシリテーションのわざを編み出していこう、という学習方針でした。日々現場で起きていることを体験して振り返ることを繰り返していきました。

そのなかで、ファシリテーションの芸風として、自分の趣味を活かす人が増えてきたのが印象的でした。

お笑いが好きだったMさんは番組の司会やライブの「客いじり」を参考にしていました。客いじりから毒気を抜いたMさんの振る舞いは気配りとユーモアに溢れて、保護者の方から人気を博しました。

DIYが好きだったKさんは、ワークショップで使うツールの開発に情熱を燃やしました。矢面に立ってパフォーマンスするタイプではないKさんは、人工物を通じたファシリテーションで、赤ちゃんたちが道具に試行錯誤する様子を見て、笑みが溢れていました。

猫が好きなHさんは猫の身振りにファシリテーションの知を見出していました。これにはぼくも驚きました。子どもにスッと近づいて静かに見守ったかと思ったら、スッと離れていく。この付かず離れずの距離感にこだわりを持ったHさんの振る舞いは信頼感を生み、Hさんの接客で入会を決めるお客さんも増えていました。

こんなふうに、この職場では、ひとりひとりの「作家性」とも呼ぶべきまなざしを通じて、それぞれの日常のなかでファシリテーションという仕事のあり方を探究していました。人には人の、知られざる「作家性」があり、その「作家性」を織り込みながら仕事の意味ややり方を修繕していく。ジョブ・クラフィティングの実践者たちの変容は、ぼくを興奮させてくれました。

対面でのファシリテーションがそのままサービス価値だったので、みんなの学びが深まり、作家性が滲むほどに、お客さんは喜び、サービスが良くなっていくのがわかりました。

職場の人たちが経験を振り返り、気づき、自分の作家性を織り込んで仕事を修繕しながら探究する。そしてその探究を通じて培ったモノの見方を交換し、互いに触発し、技を盗み合う。その学習が、サービスをドライブさせていく。こんなふうに、チームづくりと事業づくりを同時に体験してきていました。

探究の職場から組織、事業、社会の資産をつくる

他方で、会社の方針転換があり、売り上げに貢献できていなかった担当事業にリソース配分がどんどん減っていきました。会社として、この新規事業が生み出した知的資産や人的資産に目を向けてもらえる気配も感じられませんでした。

ファシリテーターを担う現場スタッフは、非正規雇用だったので、事業終了とともに異動もしくは退職になってしまいます。小さなチームは、いろいろあったけど学びに溢れた良い職場でした。しかし、大きな構造に影響を与えることはできませんでした。今思い出しても、悔しいし、勿体無いなぁと思います。

一人ひとりが作家性を織り込んで仕事の意味を修繕し、触発しあって生まれた学びが組織の資産になり、サービスを良くしていく。そのサービスが、ユーザーやその家族、友人の気づきをつくり、それが社会の資産になっていく。多様な組織が、とりわけ教育業界が、そんな組織で溢れたら日本は変わるだろうなと夢を見ていました。

MIMIGURIに入社したきっかけ

そんなビジョンを朧げに抱きながら、ワークショップの企画スキルや人材育成のスキルを活かして働けるかもしれないと思えたのが、ぼくが今所属しているMIMIGURI(当時Mimicry Design)だったのです。

事業継続の雲行きがあやしくなりはじめたのを感じ、ぼくは次のステージを考えなければなりませんでした。その頃に、MIMIGURI Co-CEOの安斎さんが研究者としてぼくたちのファシリテーションを研究対象にし、インタビューをしてくれたことがありました。

そのときのファシリテーションの解像度がエグかったこと、「そんな細かいところを全体のながれとつないで見ていたの!?」と驚いたことから、「なんて知的探究に溢れた組織なんだろう」と興奮して、入社を志望したことをよく覚えています。

社会的な価値をつくる起点になるのは、経験を振り返り、作家性を織り込みながら仕事を修繕する探究であり、それを支え合うコミュニティとしての職場だと思っています。

そして職場を支える組織構造があり、職場の探究が事業の価値になるようつないでいけば、循環が生まれるだろうという手触りと予感は、当時からすでにありました。それを実現できそうな仕事ができそうだと感じているので、ぼくは今MIMIGURIで働いています。

MIMIGURIに入社してからの5年間

入社後は、さまざまなクライアント様の組織づくりに伴走しながら、MIMIGURI内部のワークショップやプロジェクトのファシリテーションを担う職能集団でマネジメントを担ったり、月に1回行われる5時間の全社会議のファシリテーションを担当したりしてきました。

自分の職能観を交換するような対話を積み重ねたり、本音をぶつけ合うような喧嘩をしたりしながら、顧客組織が学び豊かな組織になるようにプロジェクトを推進してきました。

現在は、コンサルティング事業のプレイヤーでありながら、PM、リサーチャー、デザイナー、WSファシリテーター、コンサルタントが在籍する多様職能チームのピープルマネジメントを担いつつ、全社会議のプランニングとファシリテーションを継続してます。

MIMIGURIでも、ひとりひとりの探究とそれを支え合う職場によって賑わいが生まれ、事業をよりよいものに変えていき、社会的価値を生み出していると感じています。

MIMIGURIの探究とは?仲間も募集してます!

ここで語ったような探究と価値、構造を結び合わせているのが、MIMIGURIが提唱している「Creative Cultivation Model」です。直感的に共感していましたが、自分の経験と照らし合わせてもますます、自分の指針となり得るモデルだなぁと感じています。

こちらのモデルは、ウェビナーで詳しく掲載されていますので、ぜひご参照ください。

MIMIGURIでは、組織づくりと事業づくり両方をめぐって、葛藤しながら探究しているファシリテーターを募集しています。

ご興味をお持ち頂けた方は、ぜひお話ししましょう。カジュアル面談をさせていただけたら嬉しいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。いただいたサポートは、赤ちゃんの発達や子育てについてのリサーチのための費用に使わせていただきます。