姉の結婚

姉が結婚した。
3歳離れている姉。派手なケンカをした記憶は無い。かといって仲良しエピソードが浮かぶ訳でもない。
姉のことを「お姉ちゃん」と呼んだことが無い。お互いを名前で呼び合う。
妹を持つ母が「お姉ちゃん」と呼ばれていたことが嫌だったから、名前で呼び合うようにさせたという話を聞いた。
似たような名前の姉妹で、自己紹介するときは必ず姉の名前も紹介する。
そうすると素敵な名前だと褒めてもらえる。自己紹介の先制攻撃に便利だ。

私はいつも姉の人生をなぞるように生きてきた。
体育祭はあの競技が楽だからそれにしな。文化祭はこの係が楽しいよ。
中学校はこのリュックにするとかっこいいよ。校則はここまでなら指導されないよ。この先生はやさしいよ。あの先生は厳しいから気をつけて。

美術のセンスに優れていて、要領が良い姉。
誰かが敷いたレールの上を走りたくないと葛藤する主人公の作品が多くあるけど、私は喜んで敷いてくれたレールを歩いた。
言うとおりにするとまるで人生2周目のように学校生活を楽しめた。楽しい方。簡単な方。

3歳違いだから、姉が卒業した中学に新年度入学する。姉が卒業した高校に新年度入学する。追いかけるように同じ学校に進学した私は「あの子の妹か。じゃあ優秀なんだね!」と初めて会うのに好印象を持たれる。
コツコツまじめに取り組むことが苦ではない姉は、人間関係を構築するのが上手い。その恩恵を受け続けた10代だった。


小学校からイージーモード学生生活を進んできた私は、コツコツとかゼロから努力とか、そういうのが苦手だった。論理的に考えるのが好きな姉は高校で理系の道に進んだ。それができない私は文系の道に進んだ。要領のいいふりをして生きてきたから、勉強もコミュニケーションも苦手だった。苦手なことをだれにも言えなかった。

という自分のコンプレックスは置いておいて、姉が好きだ。
姉の敷いたレールを歩けなくなった私は、不器用ながらも自分の人生を生きている。
地道に努力をした姉は東京の大学に進学した。
大学1年生の夏に帰省してきた姉はヒョウ柄の服を着ていた。数ヶ月東京で過ごすだけで、北海道の素朴な女の子はこんなに変わるのか。

服装の趣味は変わっても、姉妹の距離感は変わらなかった。
会っていない間に取った写真を自慢しあい、好きな曲を聴かせあう。これは今でも変わらないやりとりだ。

どうやら姉に彼氏ができたらしいと知った。姉は男女分け隔てなく友達が多くて、妹ながらにモテるんだろうなと思っていたが、実家で暮らしていたときは彼氏がいた話は聞いたことがなかった。
母親が姉の住むところへ遊びにいったときに挨拶したらしい。良い子だったよ、とのこと。

22年夏、家族のLINEにプロポーズされたことを報告した。その彼氏と結婚する。ずいぶん長いこと付き合ってたな。
うれしい気持ちが溢れた。家族の幸せは何よりもうれしい。
でも同じくらい寂しかった。10代の頃からずっと同じ人と時間を共有して、お互いが生活の一部になり、結婚しても変わるのは苗字だけだねと言える関係性がうらやましかった。
寂しくてうらやましいなんて、嫉妬じゃないか。
姉の結婚に嫉妬するのがはずかしくて、そんな気持ちは隠し「おめでとう」と絵文字いっぱいで伝えた。

2024年4月、結婚式があった。結婚式来てねとあらかじめ言われていたから、張り切って準備した。

幼少期に叔母の結婚式に参列したことはあったけれど、自分の意思で生きるようになってからの結婚式は初めてだった。ご祝儀もピン札で用意して、カワイイご祝儀袋を選んで買った。
オシャレな友達にドレスを選んでもらって、親とアクセサリーやカバンを買いに行った。髪型も美容室を予約して、可愛くセットしてもらった。この日のために2年くらい髪を伸ばした。花嫁の妹なのでね。


式には親戚一同が参加した。祖父母たち、叔母たち、叔父、両親。
控え室には新婦の親戚もいた。ご挨拶のときには、この人は私のお義兄さんで、新郎のご両親のことは何て呼ぶのだと考えるなど、やけに緊張してしまった。素敵な優しそうな家族だった。

新郎新婦は大学の同級生だから友人の参列も多かった。
私は友達が少ないから、私が式を挙げても新婦側はスカスカになることが想像できて悲しくなった。

式はとにかく涙腺を刺激させようという意思がある演出だった。
父も新郎もド緊張していた。式の前にバージンロードを歩き新婦をエスコートする練習をしていたが、ぎこちなさすぎて大爆笑だった。本番は上手くできていた。

思えば、式の前に家族みんなやたら喋るしいつもしないようなおふざけをしていた。
きっとみんな緊張していたんだと思うし、力を抜くと泣いてしまうような気がして、家族みんな変なテンションになっていたんだろう。私も変なテンションだったから親戚一同の集合写真で変顔をした。本当にごめんなさい。


滞りなく式は終了した。誓いのキスが来るときはどんな顔をして見届ければいいか焦ったけど、誓いのハグだった。ハグかい。



披露宴は一変して、泣かす演出の無い、楽しい式だった。
大学で知り合った新郎新婦だから、大学時代の共通の友人がとにかく盛り上げていた。
””感動の手紙とか、サプライズとか、泣ける演出はいらない。友達との思い出づくりに時間を割いた方が良い””と両親はあらかじめアドバイスしていたらしい。
円卓のネームカードの裏には手書きのメッセージが書かれていた。私はそれだけでうれしくて泣きそうになった。両親のネームカードにはメッセージが無く、これはお手紙朗読フラグだと一人でドキドキしていたけれど、姉にこっそり聞いたら力尽きて書くの面倒になっただけとのことだった。妹で力尽きるなよ。

そういえば入籍いつしてたっけ?って聞いたら、式の当日の朝に走って届けに行ったらしい。おもしれー花嫁。

新婦のお色直しの時間にはビデオレターが流れた。新郎新婦の成長過程を写真で振り返りながら、一緒に写っている招待客にメッセージを伝えていた。
新郎の後に新婦の思い出が流れて、最初が私宛だった。
一番の友だちだと思ってるよ、というメッセージだった。
こんなに姉に嫉妬とコンプレックスを抱きながら生きているとも知らず、まっすぐに伝えてくれる姉。うれしかった。
参列者がだれも泣いていないのに、私だけ泣くのは絶対に嫌だったから、涙をこらえるのに必死で、そのあとにどんなメッセージが流れたのかはよく覚えてない。

披露宴ではとにかく撮影に徹した。油断すると泣きそうになるし、両親は挨拶回りで忙しそうだったから、式の様子をとにかく残そうと思った。
新婦の写真は友人やカメラマンが沢山撮っているだろうから、参列者のリアクションを撮影していた。後日姉にデータを渡したら喜んでくれた。


式の翌日、それぞれの家に帰る前に姉と話した。
ご祝儀もらったのに引き出物用意してなくてゴメンとのこと。
親戚も両親も引き出物をもらっていて、私にだけ無い!と冗談で言ったのが本人に伝わっていた。
あんなにうれしい言葉をもらっておいて、心の狭い妹であることを反省しつつ、一緒に遊びにいくときのホテル代を出す、という約束を取り付けた。
姉と2人で旅行するのは初めてになる。楽しみだ。
上下関係をつけず対等に扱ってくれた親の影響でわがままな妹に育ってしまい、面倒なこともたくさんあっただろうけど友人として気さくに接してくれる姉が大好きだ。



結婚式の日、次は妹ちゃんの番だね、とめちゃくちゃ言われたのでマッチングアプリに登録した。知らない人と猫被って連絡とりあうのがしんどくてなかなか進展しません。先が思いやられています。


この記事が参加している募集

#結婚式の思い出

1,427件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?