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リソースない教の棄教の仕方、

「リソースがない」、今日も日本中の各地で叫ばれてます。
可視化したらやばかった。

嘘です、ただの気温ヒートマップです、ごめんなさい。でも、たぶんこんな感じになるでしょう。

民間企業に転職して聞くようになった言葉ランキング1位は「リソースがない」。テレビからもラジオからもそんな言葉は聞こえてこない。ビジネス現場特有の言葉です。

なぜこうもリソース不足が叫ばれるのか。一つは真のリソース不足、もう一つは宗教だろう。

欲望が生み出すリソース不足

転職前は、リソースがないという言葉はほとんど聞くことはなかった。この違いは何か?

「やめる」という選択肢の有無だと思う。

やめるという意思決定を一公務員が行えることはほとんどなく、誰かが決めたミッションの完遂に進むのみなので、優先順位やリソース手当の議論は存在せず、任務をどう達成するかという議論に全振りされる。組織内部は君主制に近いかもしれません。

どっちの世界も経験した身としては、民間企業のおもしろさは、選択肢が無数にあること、その中からやることを自分で決める自由があることだと感じる。

が、これが厄介で、選択肢が無限にある中、あれもこれもやりたいって欲望が膨らんだ結果、リソース不足を生む。

このパターンのリソース不足は”絞り”でなんとかなる。イシューは散乱しているものの中から特定するというよりも、大きな粗い塊から削り出すという感覚に近い。
マグロ食べたい!じゃなくて大トロ食べたい!まで削るイメージ。

ここまで削れば、リソース不足は解消できる。

盲信が生み出すリソース不足

A:これってどうします?
B:リソースがないなぁ…

落ち着け。リソースの計算なんてしてないだろう。「お腹すいたね」「そうだねぇ」みたいなノリの会話になっちゃってる。

「リソースがない」と発する直前、脳内では自分の経験を元にしたHowが構築され、それに必要なリソースが超高速で計算される。そしてリソース不足という結論が導き出される。

そんなことは起きてない。少なくとも私の脳はそんな高性能に作られていない。

世の中には、リソースない教ってやつが蔓延ってて、盲信してるだけなんだ。
リソースがないことを何万回唱えても、それを助けてくれる神はどこにもいないのに。

リソースない教の棄教の仕方を教えよう

発する言葉を「リソースがない」ではなく、「○○を△△までにやるためにはリソースがない」に変える。たったこれだけ。

これをやろうとすると強制的に脳内に思考プロセスを走らせることができる。
ここが議論のスタート地点だ。ここまでくると周りの人がHowを考えてくれるので待ってればいい。目的を達成するためのHowは無数にある。自分の頭で考えられるHowだけで考えるなんてもったいないし、気づいたときには物事は解消する。

もう1つ、別の宗教に改宗するという方法がある。
おすすめは、勘違いリソース無限教です。

私は、ここの教徒です。
自分のリソースを差し出す、それを最初に考える。自分の中でトレードオフを吸収して、トレードオンを生み出さざるを得ない状況を強制的に作る。

脳は事象を二律背反で構造化する癖があるように思う。そのとき天秤に乗ってるものは自分でコントロールする前提になっていないことも多い。この癖に抗うことはめちゃくちゃ難しいので、そうせざるを得ない状況を作り出すのが手っ取り早い。

自分のリソースで吸収しきれないサイズのイシューだってあるでしょう?と教祖様に聞いてみたら、削り出せと仰せ。
なるほど、世の中うまくできているものです。

最後に

何かをやるときにリソースが必要なことは理解しています。
リソースを集めてやりくりすることを諦めてるわけじゃないです。
ただ、リソースさえあれば上手くいくとも思っていないというだけ。

リソースがないなんて一言で片付けずに自由を楽まないと。徳川家康さんも"不自由を常と思えば不足なし”と言ってたし。

選択肢はいつでも自分の手の中にあるんだから。

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