【小説】『あの日の温かさを』
鉛筆の持ち方が違うと、叱られた。
箸の握り方がみっともないと、叱られた。
反省が足りないと、また叱られた。
遊具に乗っていたら、取り合いになって、突き落とされたのは僕の方なのに、先に譲らなかったあんたが悪いんでしょと、叱られた。
お母さんは、僕を叱る。
お父さんも、僕を叱る。
お母さんに叱られて泣いていたら、もっとしっかりしろって、お父さんのげんこつが降ってきた。
僕は何をしても、だめだ。
叱られる度に、今度は間違えちゃいけないと思って、何かをする前にものすごく一生懸命考える。一生懸命頑張って、間違えないようにする。
でも、叱られちゃう。
僕は、お母さんとお父さんの本当の子供じゃないのかもしれない。こんなにだめな僕は、よその子なのかもしれない。
小学2年生の時、小さな妹が産まれた。僕は叱られなくなったけど、何をしても妹にはかなわなかった。
テストで100点をとっても、体育のサッカーでゴールを決めたよって報告しても、お母さんもお父さんも、「ふうん」って。
妹は、産まれたての時は寝てばっかりで、でもそのうち起き上がったり、はいはいしたり、つかまり立ちしたり、喋ったり、笑ったり、次々できることが増えていく。
僕は何も変わらなくて、僕はどんなに頑張っても妹には負けちゃうみたい。
あまりにも僕のすることができてあたりまえだから、お母さんもお父さんも、僕に興味がないのかな。
僕は弱虫。
僕は意気地なし。
一人きりの時、叱られないようにべそべそと泣いた。
僕は、本当は、お母さんとお父さんの子供じゃないんだ。
そう思わないと、お母さんとお父さんにごめんなさいの気持ちが止まらなかった。
友達の家に犬がやってきて、見に行った。
かわいい犬で、柴犬っていうんだって。
丸っこくて、ふわふわした子犬。
目がきらきらして、しっぽはくりりっと巻いている。
友達が、その子犬を抱っこしてみる? って聞いてくれたから、僕は恐る恐る抱いてみた。
妹だって抱っこしたことないのに、落としたらどうしようって、手が震えた。思ったよりも重たくて、ずっと温かかった。
慎重に抱っこして、その茶色くて柔らかい毛並みにほっぺを寄せてみると、犬がくるりと振り向いて、いきなり僕をペロリとなめた。
なんだか分からないけど、嬉しくて、嬉しいのに、寂しくて、悲しくて、僕は犬を抱っこしたまま、わあわあ泣いた。
犬はわあわあ泣く僕にびっくりして、身を捩ってどこかへ行ってしまった。
僕はすぐに泣き止むことができなくて、友達も友達のお母さんも、僕が犬に噛まれたんじゃないかって思ったみたいだった。
友達のお母さんが、どこかに行っていた子犬を連れてきて、噛んじゃだめでしょうって叱るから、僕はどうしていいのかもっと分からなくなった。
違うんです。その犬は悪くないんです。僕は噛まれていないんです。勝手に泣いているだけなんです。
でも、僕は泣いてばかりで、一言もその気持ちを言葉にすることができなかった。
僕は、なんの罪もない犬が叱られるのを見ていることしかできなかった。胸が苦しくなって、もうこの家に来るのをやめようと思った。
またその犬を見たら、その時の犬がわけも分からず叱られる様子を思い出す気がして。
僕のせいで、しょんぼりして、ぷりぷりと元気に動いていたしっぽが、へたんと地面に落ちていく様子を思い出してしまいそうで。
それでも僕は、その犬の温かな重みや、僕の頬をなめた時のざらざらした舌の感触を時々思い出しては、ふふっと笑った。
ある日、小学校から帰ると。お母さんもお父さんもそばにいなくて、妹が一人でベビーサークルの中で泣いていた。
お腹がすいたのか。オムツを替えた方がいいのか。どこか病気なのか。
妹の泣き声は段々激しくなり。僕は焦った。
普段「汚い手で触らないで」と言われているし、きっと今も手は洗ったけど、妹を触るには汚いのかもしれない。
どうしようか迷っている間に、妹は引きつけを起こしたみたいに、泣きじゃくって、呼吸まで苦しそうになった。
僕はベビーサークルにそっと近寄って、そうっと妹のお腹に触れて、それからそうっとさすったり、なでてみた。
「大丈夫。もうすぐお母さんが来るから。もう少し、待ってて」
妹は僕がなでてもさすっても、泣き止む気配がなかった。
困り果てながら、妹のお腹をなでていると、お母さんが突然部屋に入ってきて、目を三角に釣りあげた。
「なにしてるの! 汚い手で触らないでっていつも言ってるでしょう」
「だって……」
お母さんは、妹をさっと抱き上げて、「遅くなってごめんね。どこも痛くない?」とあやした。
妹は嘘みたいにふにゃふにゃと徐々に泣きやんだ。赤ん坊の丸い瞳が僕のことをお母さんの肩越しにじっとみた。
透き通るような白目に、黒々とした綺麗な瞳。
僕は打ちのめされたような気持ちになって、その部屋から走って逃げ出した。
お母さんは何も言わなかった。追いかけても来なかった。
走って、走って、気づいたら、友達の家の前に来ていた。
あの犬にもう一度会いたかった。
時間は夕方をとっくに過ぎていて、あたりは真っ暗だった。
庭先に繋がれているのを知っていたから、そっと門扉を開けて、犬小屋に近づく。
犬は僕が来るのを知っていたかのように、小屋の前ですっくと立って、僕を待っていた。
小ぶりで、くりりっときつく巻いたしっぽは、今日もぷりぷりと小刻みに揺れていた。
僕は膝をついて、そっと犬に手を差し伸べる。
「この間はごめんね」
犬はぷりぷりとしっぽを揺らして。はっはっと笑うように息を吐いた。
友達の家から、暖かそうな光が漏れてくる。その光の影の中で、僕は犬をなでた。犬は僕がなでるがままになって、耳をちょこちょこと動かした。
「また、会いに来てもいい?」
犬ははっはっと息を吐いて、ペロリと自分の口周りを舐めた。
犬が動く度にちゃりちゃりと首輪についた鎖が鳴るから、家族の人が不審に思ったのかもしれない。
突然玄関の電気がパッと点いた。
「また、ね」
僕は急いで立ち上がって、門扉の方へ走った。
犬はくんくんと鼻で鳴いて、僕を追いかけようと鎖を限界まで引っ張っている。
門扉を出て閉めようとしたとき、がちゃんと玄関の鍵があく音がして、がらがらと引き戸が開けられた。
僕はすんでのところで、さっとしゃがんで、家の人との鉢合わせを避けることができた。
胸が痛いくらいドキドキした。
「誰もいないよ」
友達のお父さんだろうか。大人の男の人の声が言う。
「お前は番犬には向かないのかなあ。そろそろ寒くなるから、玄関に入れてやろうか、どうする?」
「そうねえ」
僕は会話を最後まで聞かずに、また走り出す。
もう、会えない。あの犬に会えない。
家の中に入れられてしまったら、もう会えないんだ。
だって、もう僕はあの家に行けないんだし。
頭ががんがんするほど悲しかった。
がむしゃらに走っていたら、大通りの真ん中に出てしまった。
歩行者信号は赤だった。
眩しくて目が開けられないほどのヘットライトたちが迫ってくる。
足が凍りついたように動かなくて、僕は道路の真ん中で、光の洪水に釘付けになった。
どうしよう。
思ったのは一瞬で、永遠で、次の瞬間、僕は強い衝撃を受けて、体が遠くに飛んでいくのを感じた。
【今日の英作文】
恋愛漫画に反対する気持ちは全くないけど、自分がしたいとは思いません。
I have nothing against romance manga, but I don't want to be in love with someone.
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