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節分に思う

関東に住んでいたから、恵方巻という習慣が流行り出したのは私が小学生の頃からだったと思う。
それまでの節分にまつわる記憶といえば、幼稚園の時、園長先生が赤鬼の格好をして現れ、豆まきをしていたくらいではなかろうか。

元はと言えば、関西地方の風習であったはずの恵方巻も、自然と我が家に取り入れられた。
恵方を向いて、願い事をしながら黙って食べるのだという。
家族が無言で太巻を頬張る様子はなかなか滑稽で、その上ひょうきんな弟は何かと笑わせようとしてくる。
つい吹き出してしまう、そんな年ばかりだった。

それがいかに幸せな光景だったか分かるようになったのは、一人暮らしをしてからである。
値引きシールの貼られた恵方巻、恵方巻ロールという名のスイーツパターン、どんな恵方巻を買おうと自由である。
シンとした部屋で頬張るそれは、家族との思い出を回顧するための食べ物となった。
懐かしさや、1人でも行事を楽しもうとする自身への酔いや、いろんな思いが混じり合ったものである。

そんな節分がまたも変化する時がやってきた。
一人暮らしが終わったのである。
二人暮らしになって初の節分は、わざわざ恵方巻なんて買うんだねぇと感心されつつ、早期予約のポイント特典にもつられ予約した。
写真を撮り、かぶりつく。
どちらともなく微笑んでいた。

この節分も、いつ年かまた形を変えるかもしれない。
こうして行事を、家族を、追体験していくのだろう。
形を変えながらも続いていくこと。営みの重さを感じた。そんな節分だった。

#節分 #恵方巻 #エッセイ

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