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ガウディと、図録を買いたくなるパターン(展覧会感想)ーArtとTalk㊴ー

皆さんこんにちは、宇佐江です。
今回は、現在名古屋市美術館で開催中の『ガウディとサグラダ・ファミリア展』の感想を交えながら、
「図録を買いたくなるのは、どんな時か?」
について考えてみた回です。

それでは参りましょう~。

(本文はエッセイ形式でお送りします。)

名古屋市美術館で開催中の『ガウディとサグラダ・ファミリア展』。
週末はかなり混んでいるという情報を見て、施設側でおすすめされている金曜5時以降に行ってみた(同館は祝休日を除く金曜は午後8時まで開館)。
しかし、想像以上に夜間も人出がある。コインロッカーはどこも満杯。
久しぶりに、リュックを前に抱えてそのまま展示室へ入る。

いわずと知れたスペインを象徴する建築物、サグラダ・ファミリア。美術ファンでなくても、バルセロナに旅行で訪れたなら外さずにはいられないであろう、超メジャー級観光名所である。
建築家アントニ・ガウディが亡くなって約100年経ってもなお、さまざまな人々に受け継がれ、今も創りつづけられているという壮大なロマン。高校生のとき、『美の巨人たち』(テレビ東京)でこの作品の存在を知って以来漠然と、
「自分が生きている間にはこれ、絶対完成しないよな」
と思っていたけれど、なんと今展によれば、いよいよ完成への道が見えてきた段階だという。

ところで、これほど有名にも関わらずサグラダ・ファミリアそのものについて私は何も知らない。たとえば、ガウディはサグラダ・ファミリアの初代建築家ではなく、2代目であることも、展示の中で初めて知った(美の巨人たちの内容は完全に忘れた)。

絵画などとは異なるので、展示のベースは部分的な設計図やアイデア画、または文章などで成り立っていた。序盤は特に説明的な要素が多かったが、順路を進むと徐々に、サグラダ・ファミリアの息遣いのようなものを肌で感じ始めるドラマチックな構成になっている。
ただ、困ったことに、じっくり観たい・読みたい展示にしては鑑賞者が多い。

こういう展示内容&混み具合の時、私はこのような動きをする。

まず、無理に全部を観ようと頑張りすぎない。空いているポイントをスッスッと渡り歩き、どうしても間近でみたいところだけをじっくり集中的に観て、早めに展示室を出る。
そして図録を買うのだ。

「なにっ!?あんな淡泊な鑑賞してたくせに、あいつ図録買ったぞ!」と、誰かに観察されていたら驚かれたかもしれない。今回の図録はボリュームもかなりのもので、お値段も3,300円也と、決して手軽ではない故に。
しかし、私にとって図録とは、こういうパターンの時のためにも存在するのである。

どんな時に図録を買うか?それはシンプルなようで、複雑な問いだ。
単純に素晴らしい展示を観て感動した、図録欲しい!となっても、悲しいかな図録は、印刷のクオリティが想像以上にさまざま。見本を開いてガッカリすることが結構多い。特に、西洋絵画は危険である。
展示室の中で作品が最高に美しいのは、計算し尽くされた学芸員さんのライティング技術のなせるわざだということが、質の良くない図録画像を見るととてもよくわかる。

いっそ、展示がよほど素晴らしくて心に深く残っていれば、図録は手元になくていいや、と思うこともある。
何せ図録はかさばる。
決して安易にホイホイ買ってはならぬ代物だ。私は引っ越しのたびに、たいして荷物量は多くないのに激重の図録たちのせいで、毎回段ボールを小分けにせざるを得ずとても苦労する。

でも、それをわかっていても今回のように、即決でレジに持って行くこともある。

「創造は、人を介して途絶えることなく続くが、人は創造しない。人は発見し、その発見から出発する」


展示の序盤で紹介されたガウディの言葉。
クリエイターは、0から1をつくるとよく言われる。でも、ガウディはまったく違うことを教えてくれた。
奇天烈にみえて、なぜか心地よい造形の正体。それは植物や、自然の摂理のように、すでにこの世に存在するものからガウディが見つけ出した「美」だった。
その結晶のサグラダ・ファミリア。

展覧会が終わっても、ふとした時に手にとって、何度も味わい返したい。
そんな時私は図録を買っている。





今週もお読みいただきありがとうございました。東京、滋賀と巡回した同展は愛知が最終!3月10日までです。
あなたは、どんな時に図録を買いたくなりますか?

◆次回予告◆
『おでかけがしたい。』⑳

それではまた、次の月曜に。


*展示の詳細はこちら↓


*宇佐江の原画、展示中です~。↓


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