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「紙か電子か?」ー25時、コーヒーショップでしたい話②

学生の頃、深夜のコーヒーショップで友だちとよく長話をした。そういう時に交わす会話は、酒席でのダラダラトークと違い、淡々としつつも、互いの核となる部分をちょっとだけ明かし合うようなひりついた時間だった。

おとなになると、明日も仕事だし、夜中のコーヒーショップも随分行ってない。けれどたまには、知的な会話をのんびり誰かとしたい夜もある。

たとえば今夜はど定番、紙か電子かの話。


表題イラスト©宇佐江みつこ

先日弟と蕎麦屋で呑んだとき、子どもの頃読んでいた漫画の話で盛り上がった。週刊誌や月刊誌を買う習慣のなかった私たちは、主にコミックスで漫画を買い集め読んでいた。
当時、ふたりが特に夢中だったのが藤田和日郎先生。
『うしおととら』に感情の全てを揺さぶられ、その後発売になった『からくりサーカス』にさらなる衝撃を受け、何度も、何度も単行本を読み返した。その証拠に目の前の、すでに中年の入り口にさしかかっている弟の口から「あの時ギイがこう言って」とか、「〇巻の時の鳴海がこうしてああして、あれはまじすごかったわ」など、登場人物たちのせりふや行動がぽんぽんと正確に出てくる。私も、確かに覚えている場面は沢山あるが、それにしても思わず「よく覚えてるね」と感心してつぶやくと、

「あー。やっぱ紙じゃない?おれ、電子でも漫画読むけど、最近流行ったあれ(某人気漫画)とかも面白かったけど、電子で読んだから、なんか読み終わったら結構話すぐ忘れる。でも昔読んだ漫画本はいつでも読み返せる。頭の中で」。

私はネットで読める無料漫画を立ち読みしたことくらいはあるが、電子書籍を「購入」したことはない。なので、そこまでキッパリと違いを言われ「へえ~そういうもんなんだ」と思った。

紙か、電子か。

電子書籍がこの世に登場した当時は随分議論を呼んだ気がするが、まわりの知人たちを見ていると、いつのまにか皆うまいこと使い分けている。そして、彼らの話から伝わってくるのが、
「これは絶対手元に欲しい!」
ってなったらリアル書籍を買うそうだ。つまり優先順位が上だと紙、そうでもない場合は電子、という考えの人が令和6年現在は多いらしい。
その現状は単純に、紙派の私としては嬉しい。なぜなら当面、私の愛する紙書籍が無くなることはなさそうだ…という安堵に繋がるからである。



この世は常に変化していて、ただ好き、というだけでは存在することを許されないものたちがどんどん増えている。「利便性が低い」と大多数に思われるものはどんどん淘汰される。そして、そういう利便性が低いと判断されるものほど、私はつい、愛してしまう傾向にある。

たとえば定期。同僚と一緒に帰るとき、私が自動改札機にすべりこませた定期券を見た彼女が「え!なんでICカードにしてないの?!」と驚いた。私は、通勤時にバスとJRを利用しているのだがお得率からしてバスは定期を買わず交通系ICカード、JRのみ紙の定期を買う。なので分けていると説明した。JRの定期を「ピッ」にすることが出来るのも知っているが、財布の中に2枚のICカードを入れておくと磁気が喧嘩するかもしれない。それと、1枚にまとめてしまったら自動改札機でちゃんと毎回、「これは都度払い」「これは定期」と正確に、本当に、判断してくれるかがいまいち信用ならないので嫌だ。
そう説明したが同僚は不思議そうな顔で私を見返した。

旅に出るときもそう。事前にネット(パソコン)で調べた時刻表をちまちまと手帳に書き写し、目的地までの乗り換えを比較・思案している私を見て、件の同僚が「スマホがあれば、現地で、調べられるよ」と甘く囁くが、今のところ私はこのちまちま具合も楽しんでいるし、こうした方が、なんとなくその土地の事情や地理が自分に染み込む感じがする。

と、私の場合はかなり極端な「非・デジタル」であるが、ふだんはデジタルを使いこなしている人だってげんなりすることはあるだろう。そういえば、呑んだ蕎麦屋の注文がテーブルに置かれたQRコードを読み込んで行うタイプだったのには弟も「これ、めんどくせえんだよな」と文句を言っていた。役に立たない姉ですまない。こういう店を利用する際、私は常に一緒にいる人におんぶにだっこである。

もしかしたら。

電子の一番残念なところは、「手に入れた感」が薄いことなのではないだろうか?
先日、久しぶりに運動がしたくてYouTubeを開き、以前よく覗いていた運動系動画のチャンネルを探したら全く見当たらない。あれ?なぜ?と思って調べた結果、チャンネルの主が自分の意志によってチャンネルを閉じたことがわかった。更新が滞っているなあとは思っていたけれど、過去の動画もきれいさっぱり全部消されていて、愕然とした。視聴者さんのコメントを余所で見る事ができ、登録をしたり、動画のお気に入りに保存していたぶんも消されているという。そういう仕組みなんだ~と初めて知った。
デジタルタトゥーとか言うけれど、私の感覚からしたら、デジタルはいつ消えてもおかしくないものという不安定さが常にある。

このnoteもそうだ。

もし将来、noteを運営している会社にのっぴきならない事情が発生しnoteが閉鎖となってしまったら、私が書き溜めたこの記事、「毎週更新150週連続おめでとう!」と紙吹雪を(画面に)飛ばしてくれるこのnoteさんが、なくなったらどうしようと思うと底知れぬ恐怖が込み上げる。

そんな日が来ないと信じたいが、不安を拭い去るためにも誰か、私のこの記事や漫画、書籍化してくれませんかねえ……?





今週もお読みいただきありがとうございました。この話を書こう、って思った帰り道、本屋さんに立ち寄ったら店員さんと、おそらく出版社の営業さんが新刊をどこにどのようにどの部数配置するかを話し合っていて、「過去作とかあんまり並べ過ぎても、お客様の目線と合わないんですよ」とか聴こえてきて、なんかいいなあとほっこりしました。
あなたは最近、紙の本、買いましたか?

◆次回予告◆
『美大時代の日記帳』

それではまた、次の月曜に。


*深夜のコーヒーショップ・トーク。前回はこちら↓

*初めての書籍デビューの話。また味わいたいです。どなたか。↓




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