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25時、コーヒーショップでしたい話①/「チャットGPT」

学生の頃、よく深夜のコーヒーショップで友だちと長話をした。酒席でのダラダラしたトークと違い、コーヒーショップでする話は、淡々としつつもお互い真剣な内容が多かった。

おとなになると、明日も仕事だし、夜中のコーヒーショップも随分行ってない。けれど、たまには知的な会話をのんびり誰かとしたい夜もある。

たとえば今夜は、チャットGPTの話。


©宇佐江みつこ

新聞やテレビでその特集をやっていると、つい見てしまう「チャットGPT」。話題にしといてナンだが、それが一体なんなのか、未だに私はよくわかっていない。
けれど、「生成AI」という言葉が昨今急激に広まり、どうやらそれは、私の愛する芸術畑やものづくりをする人々を危機に晒すかもしれないという、不安なニュアンスでたびたび報じられている。

ふと思う。

もし私に、しがない現在の100倍くらい知名度や需要があり、最新作を待ち望む人が数多いらっしゃるという奇跡的幸福状態として、縁起でもないが、急に亡くなったとしよう。アトリエには描きかけの漫画やイラストが沢山あり、やろうと思えばその続きを生成AIで完成できちゃう。なんなら、過去作を参考にして新作まで発表可能。著作権保護期間が没後70年として、それ以降、宇佐江みつこの新作が読みたいという奇特な方がAIに命令を下し、お望み通りの宇佐江みつこ最新作が堂々、いつかの未来で発表されるとしたら。

それを「嫌」って言う権利、死んじゃったら私、もうないのかな?

AIの技術はすばらしい。ちょうど今日、最新技術を取り入れた結果人材不足に悩む介護現場の負担を減らすことが出来たというニュースが紹介されていた。そうした、省くことのできる手間を減らし、逆に人でしか成し得ないことに時間を回せるというのはとても有意義だし素晴らしいことだと思う。

一方で、AIの活用を無条件に受け入れたら問題になる分野もある。教育や芸術。「考えること」「創造すること」を根本に扱う世界である。

作業効率をよくしたり、より豊かな表現を求めて作家本人が望んで活用しているなら全く問題ない。
けれど、安直なAI使用でコスパを優先した作品を
「うんうん、見栄えもいいし、何より安いし、こーいうので別にいいや」
と、それが読み手またはクライアントの求めるスタンダードになってしまったら、本当に描きたいものをじっくり描くために単価を下げられない作家は、生活できなくなってしまう。
そんな話を漫画好きな知人としたら、

「やー大丈夫でしょ。だって、わかるもん。背景(AI)と手前の人物(作家本人)との画力の差。本当に好きで読んでる人はそういうのも含めてちゃんと見てるから」

と言われて、少しほっとした気もしたけれど、それは現状で、未来はどうかわからない。
美大の教授からの教えで、私は「作品はつくる作家だけでは成り立たない。観てくれる人が存在して、はじめて成り立つものだ」と思っている。
より良いもの、すばらしいものを見たい、読みたい、という想いが、作家の創作を常に支えてくれているのだ。

その、求める想いがどうかAIの便利さに負けないで欲しいと令和5年現在、思っている。




今週もお読みいただきありがとうございました。チャットGPTについて読んだり聞いたりするとなんだかいつも、正体不明の不安に襲われるのですが、そんな中私が唯一勇気を貰ったのは、化学者の野依良治さんのお言葉(2023年5月18日中日新聞掲載)です。
「『責任』は人間に帰属し、道具であるAIは責任を持たない。」
「考える行為にこそ大きな意味がある。(中略)AIは過去のデータから計算するだけだ。」

創造とはなんなのか、なんのために描くのか。
なにを生み出そうとしているのか。
これからも作家として生きていく上で、考え続けなければと思う問題です。

◆次回予告◆
(短編エッセイ)父のロットリング/天国からのデリバリー。

それではまた、次の月曜に。

*宇佐江みつこの創作に対する煩悩はこの中にも色々。↓






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