鱗十文庫のnote

主に歴史系の随筆を書きます。 本名は省略しますが、字は彩龍、号は竹陰、無憂庵、文史斎、…

鱗十文庫のnote

主に歴史系の随筆を書きます。 本名は省略しますが、字は彩龍、号は竹陰、無憂庵、文史斎、三多堂、湖北散人など。 これまで使ってきたペンネームは、T.N生、九笹彩龍、角田文彦、香青玉、川村薫、南部龍三などなど。 よろしくせぎゅ!

最近の記事

#50 函館のおもいで

 青森県青森市で育った筆者にとって、北海道函館市は身近な街であった。とは言っても、実際に訪ねたのは小学校6年生の修学旅行、高校のラグビー部の合宿で2回、30歳過ぎて地元で数年間働いていたときに1回、再び上京して結婚してから1回の計5回しか行っていない。天気のいい日には、陸奥湾の先、津軽半島と下北半島の間に津軽海峡を挟んで北海道が見える。函館そのものではなかろうが、あのあたりが函館かと遠望していたものだった。現在は知らないが、筆者が小学生の頃は、青森市の小学生は函館に1泊旅行を

    • #49 鶺鴒の話

       筆者の職場の軒先に鶺鴒(セキレイ)が巣を作っている。もうすぐ巣立ちかもしれないが、雛の鳴き声もたまに聞こえてくる。鶺鴒は草むらの茂みや物陰など地面に営巣するものだとばかり思っていたので、はじめは燕(ツバメ)の巣だと思っていたが、雨風を凌げれば建物の下屋でもいいようだ。  遠目ではハクセキレイかセグロセキレイか分かりづらかったが、眼下部に白い部分が多いのでハクセキレイと思われる。実はハクセキレイは、20世紀以前は北海道や北東北にのみ分布する鳥であり、本州は主要な生息域ではなか

      • #48 史記と四季

         昨夜のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、何と言っても『枕草子』のエピソードが秀逸であった。まさか『枕草子』で泣かせてくれるドラマがあろうとは。傷心の中宮定子は、傷心たる理由がある。天皇の外戚となることが栄達の根幹にあった時代に、父藤原道隆の期待を一身に背負って入内し、中宮となったものの、御子を授からぬ間に道隆が病没、伊周も隆家も罪を得て配流となり、力のある公卿の後ろ盾無き后の子供は立太子できる保証のない状態に絶望してもおかしくはない。ドラマの中ではわずかに触れられただけである

        • #47 五位以上

           今夜のNHK大河ドラマ「光る君へ」では、まひろ(紫式部)の父、藤原為時がまず淡路守に任じられ、除目後に転じて越前守に任じられる件があった。このような事態は当時としても珍しいものであったらしく、朝野の関心を集めている。そもそもドラマの中で為時本人が言っていたように、正六位上が国司に任じられる可能性は低く、なってもせいぜい下国の淡路守が妥当であった。なぜか直前に従五位下に昇叙したが、それでも大国の国司は従五位上が原則であり、10年以上散位であった為時にとって越前守は望むべくもな

        #50 函館のおもいで

          #46 正鵠考

           物事の要点をつかみ、的確な指摘をすることを「的を射る」または「的を得る」と表現する。かつては「射る」が正解で、「得る」は誤用とされていた時期もあったが、現在ではどちらも正しいと考えられている。これは、『三省堂国語辞典』第三版(1982年刊)が初めに誤用として記載し、第七版(2013年刊)で改めて正しい用法として掲載したという経緯がある。「的」は弓矢の的(まと)であり、弓矢ならば射るものだろうという常識的判断や「い」と「え(ゑ)」は混同されやすいという日本語独特の発音の問題も

          #45 天人の譜

           京都学派の東洋学者、長廣敏雄博士(1905~1990年)の随筆集『天人の譜』(淡交新社、1967年刊)を入手できた。詳しい内容は知らなかったが、筆者が長年興味を持っている人頭鳥身の迦陵頻伽や共命鳥についての記述があり、十数年来探していた。博士は京都帝国大学で濱田耕作門下として学び、東方文化研究所(現在の京都大学人文科学研究所)では梅原末治の助手として水野精一らと大陸へ渡り、南北響堂山石窟や龍門石窟、雲崗石窟の調査を行っている。もちろん、筆者にとっては学史上の人であるが、戦時

          #44 町田久成のこと

           前回少し触れた東京国立博物館本館裏手の庭園は、隠れた名所としても知られるが、そこにひと際大きな石碑が建っている。上部の篆書には「町田石谷君碑」とあり、東京帝室博物館(東京国立博物館)初代博物局長(博物館長)町田久成の顕彰碑である。明治43年(1911)建立であるから、久成の十三回忌に関わる建碑と推定されている。  町田久成は天保9年(1838)生まれの薩摩藩士であり、町田家は代々薩摩国日置郡伊集院郷町田(土橋)村を領した島津家庶流の家柄である。同じく領地であった日置郡伊集院

          #44 町田久成のこと

          #43 東博のユリノキ

           上野恩賜公園に建つ東京国立博物館は、我が国の中央博物館にして最大の博物館である。もちろん日本最古の博物館でもあり、東博(とうはく)の略称で知られるが、異称として「ユリノキの博物館」とも呼ばれていたという。これは、本館前に存在感たっぷりのユリノキの巨樹が生えているからであり、春の新緑、初夏の花、秋の紅葉と我々の目を楽しませてくれる。何よりも夏の木陰は心底ありがたいものである。  ユリノキは北米原産のモクレン科ユリノキ属の落葉高木で、成長がとても速いことから広い敷地の庭木や街路

          #43 東博のユリノキ

          #42 宗仙寺掃苔録

           前々回書いた六条院界隈の寺町のうち、高倉通にある大平山宗仙寺(曹洞宗)は拝観できなかったが、墓域を歩くことはできた。というのも、ここには京焼を代表する陶工の名跡である高橋道八の累世墓があると知っていたからである。  高橋道八とは、江戸後期から京焼(清水焼)の窯元を代々受け継ぐ名跡であり、初代道八は元文5年(1740)~文化元年(1804)の人である。伊勢亀山藩士の次男坊で、名は光重、字は周平といい、松風亭空中と号する。武士をやめ、京へ出て陶工となった。やがて独立して粟田口に

          #42 宗仙寺掃苔録

          #41 新楽府考

           昨夜のNHK大河ドラマ「光る君へ」で、まひろ(紫式部)は図らずも一条天皇に拝謁し、白居易の「新楽府(しんがふ)」を引いて、科挙のような制度を日本にも導入すべきと説いた。歴史的にはこのような場面はありえないものではあるが、後に藤原道長の娘である彰子付きの女房として宮中に上がった際には、中宮彰子に対して「新楽府」を教授したことが『紫式部日記』に書かれている。なお、「新楽府」は唐代の詩人白居易の著作集である『白氏文集』に収録された諷諭詩50篇であり、平安時代の日本にも招来され、当

          #40 六条院界隈を歩く

           今年1月半ば頃、京都を訪ねた際、下京区の六条院周辺を歩いた。以前、六条河原院や塩竃山上徳寺についても書いたが、このあたり一帯は寺町となっていて、渉成園から現在の五条通へ上がる富小路通を中心に小寺院が甍を連ねている。  この日は京都駅から歩いて東本願寺の前を右折し、渉成園を横目に間之町通を上がった。途中、かつての六条道場歓喜光寺(時宗)の跡地に建つ佛願寺(浄土真宗大谷派)に手を合わせつつ、富小路通から長講堂を訪ねた。とは言っても、長講堂は通常非公開であるから、山門の外から拝む

          #40 六条院界隈を歩く

          #39 蜀犬日に吠ゆ

           今夜のNHK-BS「謎の古代文明・三星堆」は、興味深く視聴した。中国四川省広漢市に所在する三星堆遺跡は、紀元前2000年~紀元前1100年頃に栄えた都城遺跡であるが、祭祀坑から膨大な数の青銅製品や黄金製品、象牙、玉器、タカラガイなどが出土したことにより注目を集め、黄河文明、長江文明とは異なる四川省独自の高度な文明が存在したと騒がれたこともあった。筆者も学生時代の平成11年(1999)に、実際に現地を訪ね、三星堆遺跡博物館で出土品の数々を実見したことがある。また、我が国におい

          #39 蜀犬日に吠ゆ

          #38 運命の疫癘

           疫癘(えきれい)とは、疫病の流行のことである。今夜のNHK大河ドラマ「光る君へ」で関白藤原道隆の後を継いだ実弟道兼は、後世「七日関白」と呼ばれたように、関白就任の日に倒れ、そのまま還らぬ人となった。以前も書いたように、当時、長徳元年(995)は疱瘡(天然痘)が大流行しており、道隆を除く7人の公卿が同時期に死んでいる。  すなわち、関白藤原道兼(関白藤原兼家三男)、左大臣源重信(宇多天皇第八皇子敦実親王四男にして左大臣源雅信実弟)、大納言藤原済時(左大臣藤原師尹次男)、大納言

          #38 運命の疫癘

          #37 煉瓦の積み方

           先々月、京都市内を歩いた際、同志社大学室町キャンパスの建物の煉瓦(レンガ)積みが特徴的であることに気づき、写真を撮っておいたが、それが「アメリカ積み」という積み方(組積法)であることを知った。我が国における近代建築に西洋式の煉瓦積みが普及していることは知っていたが、実際には「イギリス積み」以外は実見したことがなかった。  煉瓦の歴史を語るつもりはないが、我が国古代には仏教建築とともに塼が大陸から招来され、おおむね基礎や床構造として使われ、建物本体の構造物として利用されること

          #37 煉瓦の積み方

          #36 長徳は長毒に通じる

           昨夜のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、飲水病(糖尿病)がひどくなり、政務が執れなくなった関白藤原道隆が、なんとか強引に嫡男伊周に権力を継承させようと必死になり、一方、一条天皇は親政への思いをますます強めていく流れであった。疫病(天然痘)が蔓延する市井とは峻別させる必要があるためか、道隆の症状の進行は3週に亘っており、まずは身体の倦怠感、次に視力の低下と喉の渇き、ついには手先のしびれまで演出されていた。  前にも書いたように、疫病退散のために正暦から長徳へ改元されるわけである

          #36 長徳は長毒に通じる

          #35 野に咲く花もまた天下のものだ

           春は花の季節であり、花が気になる季節でもある。早春の蝋梅、梅から春本番の桜、ハナミズキと咲いてきて、今はツツジが盛りとなり、これから藤や菖蒲、サツキの季節となる。しかし、有名な花ばかりでなく、春は様々な花の季節であり、民家の庭先はまさに百花繚乱の態をなしている。  筆者が通勤する海老名市門沢橋駅から職場までの5分強の道すがら、3月から4月前半には雲南黄梅(オウバイモドキ)の黄色が目を引いた。同じモクセイ科ソケイ属の黄梅の近隣種であるが、花弁が少し小さい。原産地も同じ中国西部

          #35 野に咲く花もまた天下のものだ