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文化とは女性的

文化発展論でも書いたが、
食文化などの実生活に関わる
現実的な物ではない実利のない文化、
狭義の文化とは感情表現だ。

良い文化,良い作品とは
より抽象的な感情を
表現し刺激する物である。

ところで、男女の精神には違いがある。
男性は本能的,知性的で女性は感情的だ。
ここで言う感情的は
感情で知性,理性が侵されている
ヒステリックな様子を指してはいない。

単に外界から受けた刺激に対し、
本能で反応するか、
知性で反応するか、
感情で反応するか、
外界に対し、
本能で働きかけるか、
知性で働きかけるか、
感情で働きかけるかといった違いだ。

感情が主体的である様を
感情的と言っている。
感情表現,感情の発露と共感を軸とする、
テンションの高い女性同士の会話は
まさにその意味で感情的だ。

主体となってる機能はよく、
その機能を主体としてない個体や
集団よりもその機能が優れている。

知的な事が好きでよく考える人は
生まれつき知能が高いのだ。
同様に女性は感情が発達している。

感情が発達しているとは何か?
より抽象的で繊細な感情を
持っているという事だ。

そして、より良い文化とは
より抽象的な感情を刺激する作品だ。

故に(良い)文化とは女性的なのだ。
結論だけを話すと机上の空論と
感じられるだろうから具体とも絡めて話そう。

ホラー映画には幽霊が出てくる。
その幽霊はほぼ女性だ。
それは何故か?

女性の方が感情を刺激するからだ。
文化とは感情表現であり、
見る者の感情を刺激する物だが、
その内容の要素は男性であるよりも
女性である方が感情を刺激する。

女性が感情的だからだ。
女性は感情的であり、
女性と他者の意思疎通は感情的になる。
女性は他者の感情に働きかける力が強い。

女性は感情を主軸に動くのだから
他者は目の前に女性がいる時、
その女性の感情を予測したり、
共感しなければいけない。
だから、感情が刺激される事になる。

また、母と乳児における
感情の非言語コミュニケーションは
母が乳児の感情を読み取り、
乳児の感情を的確に刺激するが、
男性はこれができない。

感情が発達してないから
乳児の感情を刺激する事も
乳児の感情を読む事もできない。

男性は本能的で知性的であり、
幽霊の様な感情的恐怖を
相手に起こす事はできなく
本能的な恐怖を与える事はできる。

そもそも、男は怖いだろう。
暴力的な男やガタイの良い男は怖い物だ。
だが、それは狂気的な女性や
幽霊の恐怖とは異なる。

夜中に女性が公園で
ケタケタ笑っていたら怖いが
男性がそれをしてたらただの馬鹿に見える。

次に歌のイラストが
女性,美少女ばかりである事だ。
ボカロの歌をてきとうに見てみよう。
KING,グッバイ宣言,からくりピエロ,
天ノ弱,千本桜、その動画に
使われているイラストはみな美少女だ。

女性の方が感情を刺激するからだ。
女性の方が文化的だからだ。

歌手も女性ばかりだ。
ボカロの声は女性(的)だし、
アニソンも女性の歌手が多い。
最近の文化、発展した文化である
最新の文化において歌手は女性ばかりだ。

Joysoundで1970年に生まれた人が
歌った歌のランキングを見たが、
それぞれの歌の歌手は1位から
女,女,女,女,男,女,女,女,女,女と
TOP10にいる男性歌手は
10人中1人しかいない。

これは女性の声が感情を刺激するからだ。
優しい声,可愛い声,綺麗な声,
痛切な声,激情、怒りや強さでさえも
女性の声の方が感情を刺激する。

Vtuberが女性ばかりなのも同じ理由だ。
ホロライブは女性ばかりで
一応,男性もいるが知名度は低い。
Vtuberは文化的だからだ。
女性の喋りの方が文化的、
女性の声の方が文化的だからだ。

だが、男性的な感情を歌った歌なら
男性歌手が歌ってる事の方が多い。
それでも、それすらも、
私は女性が歌ったバージョンの方が
好きな事が多いし、
実際、女性のイケボはかっこいい。
男性にはないかっこよさがある。

男性的感情を歌った歌ですらも
男性歌手は女性歌手よりも
優れた歌唱を出来る訳じゃないのだ。

女性は先天的に歌が上手い。

また、ボカロという最先端の歌、
文化的に優れた歌、
そして、歌唱技術の制限から解き離れた歌が
女性キーの歌ばかりなのは
女性の声が歌に適しているからであり、
今までの歌は男性が歌えるように
低くしたり、もしくは、
人間が歌える様に低くしてあった。

これに関しては例示するまでもない。
男性キーのボカロの歌は少な過ぎて、
わざわざ、女性キーが多い事など
例示で示すまでもない。

ボカロPは男性ばかりだが、
彼らが創る歌は女性キーばかりであり、
歌手として活動する様になった
元ボカロPの米津玄師は
ボカロ時代と歌手時代で
歌の高さが1オクターブくらい違う。
歌手になってからは自分でも歌える様に
男性キーで創っているのだ。

また、ボカロの歌は方向的に女性的だが
位置的には超女性的と言っていい。

例えば、wowakaの歌、
アンハッピーリフレイン,ローリンガール,
ワールズエンドダンスホールは
最高音がhihiシ,ドに達していて、
一般的な女性の最高音hiレからは
4,5音階も離れている。

シャルルの最高音はhihiラ、
天ノ弱の最高音はhiファ、
乙女解剖の最高音はhihiド#、
KINGの最高音はhiソとボカロの歌の多くは
一般女性の最高音を超えている。

文化は女性的、
より良い文化は女性的と言ったが、
それは方向性としての女性的であって、
位置的な意味での女性的ではない。

逆説的な言い方だが女性よりも女性的な方が
文化として素晴らしいのだ。
Vtuverの多くはとても感情豊かで
声が女性よりも高く、
女性よりも女性的な声、
女性よりも女性的な性格をしている。
美少女のイラストだって、
現実の女性はそんなに可愛くない。

歌が持つ女性性はまだある。
歌詞には主観があって、
というか歌詞とは主観的であり
その主観には性別がある。

そして、その主観の多くは女性だ。
何故なら歌詞は文化的であり
感情的であり、感情表現には
女性がうってつけで、
感情的な文、感情的な歌詞は
自然と女性的になる。

女性的だから歌詞の一人称は
「私」「僕」といった
女性的もしくは中性的な物で
男性で使う人がそれなりにいる
「俺」という一人称を使った歌は少ない。
あっても昔の歌ばかりだ。
イケナイ太陽とかそうだろう。

より良い文化は女性的と言ったが、
それはつまり昔の文化程,
男性的という意味でもある。

昔ながらの、ボカロでもアニソンでもない、
テレビで流れる様な、
顔出しした人がグループを作って、
顔を出して歌う歌達は
ボカロやアニソンに比べて
男性歌手が多いし、
男性主観の歌詞の歌が多い。

演歌とかそうだし、
軍歌とか昭和前期、戦中戦前の歌、
教科書に載る古い歌にいたっては
男性歌手,男性主観の
歌詞である事の方が多い。

とても昔の歌は風景を語ったり、
戦う勇敢さを語ったり、
親への敬愛を語ったり、
とてもつまらないし、
クソ真面目な男性といった感じでら
感情的という感じが弱い。

今の歌でも男性主観の歌詞の歌はあるが、
女性的男性主観である事が多い。
1つ目は少年的。
子供は感情的なので、
感情的な男性は無邪気で楽観的で
夢を抱く少年,男の子だ。
2つ目はセンチで繊細な男。
悩みを持ち、荒んだ男。
女性の様に寂しさや憂鬱な感情を持つ男だ。
1つ目はピースサイン,
カサブタがそうだろう。
2つ目はコールボーイだ。
あまり有名な歌の例が
思いつかなくて申し訳ない。

そして、完全に男性主観な
最近の歌は恋愛系の歌に多い。
高値の花子さん,香水,ベテルギウスとか。
あと恋愛系と呼ぶのかわからないが
下ネタに走ったYSP。
それとその界隈は全く分からないが
ラップもそうだろう。

これらは古いジャンルに属する。
古いから男性的なのだ。
今、例に挙げた歌で
ボカロとアニソンはいくつあった?
0だ。

その歌を歌う人達は文化的ではない。
お洒落が好きで、
いかにもリア充といった感じの
チャラい男性がそれらを聞いたり
歌ったりしてる所はよく見た。

彼らは男性の中でも男性的であり、
本能的な人達だから、
昔ながらの歌を好むのだ。

歌の話はここら辺にして
次は漫画,アニメを話そう。
漫画,アニメ、そう物語では
主人公が男性な事が多い。

これは一見、文化とは
女性的であるという説の反証に思えるだろう。
だが、そうではない。

物語とは目的があり、
主人公は目的意識が強く、
目的の為に努力し、
広義であれど戦わなければいけない。

歌詞も抽象的なだけで
物語ではあるが、
歌だったら日常の悩みを
歌ったものも多く、
歌詞の中で歌詞の主観が
目的を叶える様子が書かれていない。

歌詞は聴いてる人の持つ今の感情を刺激し、
抽象的な歌詞を使って、
その人の状況や悩みを持つ人を共感させる。
その上で色々な想いを上乗せする物だから
その人の状況や悩みから離れて、
勝手にゴールしたり、
失敗されても感情移入できない。

片思いしてる人の日常を歌った歌なのに
歌詞で勝手に告白して振られたり、
告白して交尾して結婚してはいけないのだ。

そういう点で歌詞と狭義の物語は異なる。
アニメ,漫画などの物語は
逆に言うと目的を達成しなきゃいけないから、
頑張らなきゃいけないから、
男性が主人公に適している。

戦略性や目標を持ち、
努力する事は男性の性質だ。

また、頑張る描写で
わかりやすいのは戦闘なので
バトル物の漫画,アニメは多い。

受験で苦しんで頑張る主人公よりも
敵に殴られて苦しんだり、
強い相手に勇気を持って
立ち向かう主人公の方が
頑張っていると感じるのだ。

それに戦いは守る事にも繋がり、
別の目的も派生する。
将棋も戦っているが、
将棋で人は死なないし、
家族も恋人も親友も飛車に殺されたりしない。
1番に守るべき王将は別に恋人じゃない。

バトル漫画における主人公の性別は絶対的だ。
女性主観の歌詞の歌を男性が歌うのは
違和感ないが(サウダージとか)、
ドラゴンボールの主人公を女にしたら
物凄くつまらなくなる事は断言できる。
幽遊白書,ハンターハンター,ブリーチ,
はじめの一歩、どれも主人公の男性性は
本質的でありそれを取り除けば、
もはやその漫画とは呼べない。

歌手の女性性よりも遥かに
バトル漫画の男性性の性別性は強いのだ。
女性が殴り合ったり、
女性の腕がもげたりしても悲惨なだけだし、
「女性にこんな役割を押し付けて、
周りの男はどうしてるんだ」
という気分にしかならない。

男と女が戦ってたら素直に見れないから
主人公が女なら敵も女。
女が戦ってるのを黙って見てる
男がいても不快だから
物語から男を排除するしかない。
それはコストが高いのだ。

ただ、アニメ,漫画は
目標が明確にある作品だけじゃない。
ギャグ要素の強い日常系の作品や
リアルさの強いドキュメンタリー的、
もしくは体験談の作品だと
女性が主人公な事が多い。

癌の体験談や出産の体験談など
女性の漫画家は自身の体験を
漫画にする事が多いし、
ギャグマンガの
キルミーベイベー,日常,
ドクターストップアラレちゃんは
主人公が女性である。

漫画,アニメの話に関連して
イラストの話をすると、
イラストは大抵,美少女だ。
かっこいい男のイラストは
腐女子的な印象があり、つまり、
腐女子という狭い界隈でしか人気がない。
これも女性の方が感情を刺激できるからだ。
かっこよさや男らしさよりも
可愛さ,綺麗さ,エロさの方が強く伝わる。

かっこいい男に比べ、
ショタと男の娘はよく描かれるが、
それらはとても女性的だ。
そもそも、漫画,アニメの作画だって、
男性キャラですら目が大きく、
鼻が細く小さく女性的だ。
男塾みたいな男の描き方は昔々の話だろう。

膨大な数の美少女の絵に比べ、
男性の絵が全然ないのは
男も女も女が好きという事だ。
男も女も猫が好きだが、
ゴリラを好きな人は限られる。
美少女の絵を女性も男性も
強く可愛いと思うが、
ムキムキのキャラを見て、
強くかっこいいと思う人は少ない。
せいぜい、男性が弱くかっこいいと感じる。

自分は刃牙の範馬勇次郎が好きで
そのイラストを部屋に飾ったりするくらい
かっこいいと思うのだが
美少女のイラストや猫を見た時の
可愛いという感情の方が強度は遥かに上だ。
イラストで伝えられる感情は
男性的感情の方が少ないのだ。
男性的感情は女性的感情よりも
具体的であり、本能的であり、
即ち文化的ではないからだ。

さて、作品としての文化の
女性性を語ったが今度は
文化を楽しむ者の女性性を語ろう。

小学生の頃を思い出してくれ。
休み時間,自由帳に絵を描いてたのは誰か?
絵が上手かったのは誰か?
リコーダーやピアノを好んでたのは誰か?

みんな女子だっただろう。
女性が文化的だからだ。
絵を描くのも楽器を奏でるのも
歌を歌うのも女性の方が上手いし、
やってる人も多い。

作品を熱く早口で
テンション高く語るのも女性だ。
漫画,アニメ、ゲームに対して
感情的になれる、
心の底から楽しめるのも女性だ。
Vtuberのゲーム配信を見ればわかるが
男性のゲーム配信よりも
感情豊かに、ゲームに反応している。

男性の配信者だったら、
「はぁ!?」「クソがー!」
「ここはこう攻略しよう」
「よっしゃあ!俺の勝ちぃ!」
の4パターンの発言ばっかだろう。

クリアする事ばかりに重きが置かれ、
楽しむことを忘れている。

1つの作品や1つのキャラを
推すのも、強く好きになるのも女性に多い。
1つのラノベ作品を推すだけの
ツイッターアカウントを作る女性を
前に見たが男性にそれはいない。

オタク文化を1番,
楽しんでるのは女性なのだ。
歌も女性が1番いきいきと歌う。
ハイテンションでノリノリで歌ったり、
感情を込めて歌える。

男性オタクも女性的な人が多い。
男性オタクは女性的だし感情的だ。
まぁ、陰キャというのは女々しいもんで
その女性性が人から良く見られるか
悪く見られるかはその人に依る。

男性オタクはデブとガリ(チビ)が多いが、
それらは感情的だ。

デブは運動を好まない人が多く、
本能が弱い。だから、感情的な事が多い。

ガリ(チビ)は運動能力が低く、
運動を好まず、本能が弱い。
そして、チビとは女性的だし、
筋肉がない事も女性的だ。
だから、ガリ(チビ)は女性的だ。

文化的に先進的な者達である
オタクは女性的なのだ。
人間性とは知性と感情だが、
知性に優れた者は学者で、
感情に優れた者は創作をする者とオタク、
特に女性のオタクだろう。
vtuberは創作もするから、
文化的に最高峰の存在と言える。

本能しかない猿は
群れの序列ばかり気にして、
陰キャ,オタク,チー牛などと
感情的に優れた、
人間的に優れたオタクを中傷するが
本能しかない猿は非人間的であり
人間的に劣っていると差別し返したい気分だ。

やれ非リア,童貞などと言うが、
交尾やつがいでマウントを取る事しか
頭になく、交尾や恋愛と結婚にしか
幸せを見いだせないのも本能的で猿的だ。

婚活垢やってるツイフェミも
オタク差別をするが
いい♂と交尾して、養われ寄生する事しか
頭にないただの猿だ。

オタク文化は彼ら猿には
高尚,過ぎて理解できないのだ。

さて、話を戻そう。
文化(作品)の性別性、
文化を楽しむ者の性別性を語り、
残すは文化を創る者の性別性だ。

これには不思議な現象がある。
文化も文化を楽しむ者も女性的なのに、
文化を創る人、特にそのプロは
男性ばかりなのだ。

ボカロPを列挙しよう。
DECO27,40mp,れるりり,
kanaria,キノピオピー,
バルーン,ハチ、全員,男性だ。
漫画家も男性ばかりなのは
経験でわかっている事だろう。

ネット界隈で、ピアノで有名なのは
ゆゆうたとよみぃだがどちらも男性だ。
イラストレーターも男性ばかり。

小学生時代、絵を描き、楽器を奏で、
文化を「していた」り、
創っていたのは女性に多かったのに
これはどういう事か?

その理由として、
文化を職にする事はハードルが高く、
目標を持ち、努力する事を好む男性が
文化を職にする事が
多いというのが挙げられる。

次に楽しむだけでは
良い物を創れないという事だ。
作曲者もイラストレーターも小説家も
漫画家もただ好きなように、
楽にしたいだけするだけで
良い物を創る事は出来ない。

文化を楽しむ、
誰かの作品を楽しむ事と違って、
文化を創る事は難しく、
ただ趣味で作るだけでも
努力の性質を帯びる。

だから、文化のプロに男性が多い。
歌手に女性が多いのは、
その点を踏まえても、
歌唱において男性と女性の差が大きい事と
歌唱というのは作曲したり、
物語を創ったりするのよりも単純で
声が良い人がただ上手く歌うだけで良いのだ。
物語と違って正解が明らかにある。

歌を歌うのは創るというよりも
するという性質の方が強くて、
故に努力の性質もあまり帯びないのだ。

何の目的もなく、ただ趣味で
歌うのはよくあるし、簡単にできるが、
何の目的もなく、ただ趣味で
絵を描くのはあまりなく、
簡単にはできなく、
趣味でしてるのに、
努力してる様な気分で描く事になる。

ピアノを奏でるのは、
ピアノを聴くよりも疲れるし、
ピアノで曲を創るのは
奏でるよりも疲れる。

同じ文化をする事でも、
どれだけ受身であるのか、
どれだけ創造的であるのかという違いがある。

そして、より積極的で創造的である程、
努力的であり男性的なのだ。

より積極的で創造的になると
完璧主義にもなってそれも男性性だ。

RTAや音ゲーは頭をフル回転させ、
常に次するべき事を画面から読み取り、
0.03秒,程度の誤差しか許されない、
強い緊張感のある競技であり、
強い目的意識、頑張りたいという
気持ちがあるからこそできる。
それは男性的だ。

だから、音ゲーマーは男性ばかりで、
女性は音ゲーをしても、
ちょこっとかじるだけで、
記録を目指して定期的に何年も
同じ音ゲーをする事が少ない。

最初の上達速度で言ったら
女性の方が一般的な男性よりも早い。
めっちゃ音ゲーが上手い人は男性に多いが
ちょっと音ゲーが上手い人は女性に多い。

マリメをする女性が少ないのは
コースを創るのが創造的で、
コース,特にスピランが努力的だからだ。

文化は基本的に女性的だが、
感じる(読む,聴く)

する(奏でる)

創る(書く,描く,作詞,作曲)
という順番で男性的な行いとなる。

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