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#生き方「否定のない世界に」

人を言葉や態度で攻撃する意味って何だろう?

人は、1人1人違っている。

たとえ大切にする価値観が似ていたとしても、

それぞれ過ごした経験、環境、文化などが違う。

全く同じ考えや同じ思いの人なんていない。

毎日見ている景色の中で、

切り取って記憶する場面も違う。

だから考え方や捉え方、

表現の仕方などに違いがあるのも、

当たり前の話だ。


介護の仕事をしていて、

お風呂に入ること1つをとっても、

それを見ることができる。

お風呂に入ることに関して、

清潔にすることは良いことだと、

共通認識されていたとしても、

「毎日お風呂に入るべきだ」

「たまに入りたくないんだよね」

「1週間に2回入るのは贅沢だ」

と、

実際に色んな考え方や捉え方がある。

それを笑っていう人もいれば、

強い口調でいう人もいる。

色んな表現の仕方はあっていいと思うが、

相手を傷つけることはナンセンスで、

誰が正解だという話でもない。


否定なんていらない。

受け止めるだけでいい。

「そんな考え方もあるのだな」と。

もしお相手との話の中で、

考えを1つに決めないといけない時は、

属する場所のルールに則るか、

諦めずに話し合うのだが、

最終、諦めないといけない時もある。

それは、相手との関係の解消ではなく、

話し合った内容についてのみ、

交渉不成立になっただけのことである。


決して意見をぶつけ合うことが、

ダメだということではない。

ただ、勝ち負けの世界ではなく、

受け止めたり、

その中で理解できることを見つけたり、

新しい考えや思いを見つける作業のように、

捉えられたらなと思う。

互いの考えや思いを混ぜ合わせるように。

人と繋がるということは、

互いで作る折衷案の世界が前提なのだと思う。

その中に、自分の知らなかったことに出会い、

刺激をもらう可能性があると思っている。


自分の意見や思いを押し付けなくていい。

相手の意見や思いで傷付かなくていい。

それぞれ、自分があっていい。

違って当たり前。

心をすり減らす必要もない。

もし心をすり減らしているならば、

ゆっくり休んで、

深呼吸して、美味しいものを食べて、

面白いラジオでも聴いて気分を変えよう。


伝えて、

受け止め合う。

そして可能な限り、理解し合う。


否定のない世界に、

生きたいなと思う。






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