お婆ちゃんの温もり
2024/5/3
今回アルメニアの首都エレバンに来た目的。
それは、とある安宿を訪ねる事だった。
といっても、予約サイトには載っていない。
それどころか看板すら無い普通の民家だ。
しかしそこに暮らすお婆ちゃん、リダの人柄にとても癒やされ、居心地が良いらしい。
兼ねてより、私はその事をトルコで出会ったダイキ君から聞いていた。
なので私も訪問する事を決めて昨夜、何とか辿り着き、今日に至る。
今朝、部屋から出るとリダは私にアルメニアコーヒーとお菓子を出してくれた。
彼女は英語を話せないが、その上品な笑顔と柔らかい声色から人となりが伝わってくる。
「ありがとう」
そう日本語で御礼を伝えると、彼女は一層嬉しそうな表情を見せてくれた。
おそらく、今まで数え切れない程の日本人を受け入れてきたのだろう。
というのも、此処は日本人バックパッカーの間では有名な場所らしい。
十数年前、まだエレバンに安宿が少なかった時代。
寝る場所に困った1人の日本人がこの家を訪ね、リダが泊めてあげた事をキッカケに噂が広まり、かつては多くの日本人バックパッカーで賑わい、交流に溢れたようだ。
そのノートに目を通すと
「田舎のお婆ちゃんの家に行った感覚」
「本当に自分のお婆ちゃんのような温かさ」
そんな言葉が書き残されている。
多くの人がリダに自分のお婆ちゃんを重ね、この場所を懐かしく思うのだろう。
しかし、私にはそれが理解出来なかった
私が生まれた時、既にお婆ちゃんはいなかったのだ。
唯一、母方のお爺ちゃんには私が2〜3歳の頃に会った事があるらしいが、記憶にない。
その後しばらくして、遠く離れた土地から私の実家にそのお爺ちゃんが来た時、私は既に15歳くらいだっただろうか。
それが実質、初めて見るお爺ちゃんだった。
私の家系は事情が少々複雑なのだ。
とにかく、突然現れて今更「あなたのお爺ちゃんですよ」と言われても実感が湧かず、祖父母の家やお婆ちゃんの温もりも知らずに今まで生きてきた。
だからこそ
それを知りたいからこそ
私はアルメニアの首都エレバンまで来て
この宿を訪ねたのだ
この日は一日中、中庭の椅子に腰掛けていた。時々、空を見上げながら。
“田舎のお婆ちゃん家”を感じようと。
そして“お婆ちゃんの温もり”を感じようと。
リダが隣に座り、私の事を「ジャパン」と呼び、微笑んでくれる。
私も「Hi」と笑顔で返す。
その後の会話は無く、ただ2人静かに前を見つめるだけだ。
しばらくすると、彼女は今日2度目のアルメニアコーヒーを淹れてくれた。
リダはとても思いやりのある人だ。
2023年3月から世界中を旅して周り、その時の出来事や感じた事を極力リアルタイムで綴っています。 なので今後どうなるかは私にもわかりません。 その様子を楽しんで頂けましたら幸いです。 サポートは旅の活動費にありがたく使用させて頂きます。 もし良ければ、宜しくお願いいたします。