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アメリカ・ルネサンスの入口①「光の側」~H.D.ソロー他



19世紀アメリカ文学の開花

ヨーロッパのような文化的遺産を持たないアメリカは、「歴史がないことが歴史」と言われていました。

しかし、イギリスからの独立宣言(1776)前後から、独自の文化・芸術が結実して行きます。その背景には、アメリカ社会の飛躍的な発展とそれによる開眼がありました。

発展の要因としてはまず、1803年に広大なルイジアナ領地をフランスから購入したことによって、西部開拓がにわかに活発化したことが挙げられます。

また、第二次対英戦争(1812ー14)を契機に本格的に開始された産業革命は、国力を大きく拡充させました。

欧州の影響下で引かれていた幕が一挙に取り払われ、その向こうの視界が大きく開かれたのでした。

そして、世界像の拡大とともに天才たちが現れ、それぞれが想像力の限りを尽くし、今では古典と呼ばれる数々の名作を生み出すことになります。

この「アメリカ・ルネサンス」の主な人物は、エマソンやソローといった思想家、そしてメルヴィルやホーソーン、ポー、ホイットマン、ディキンソンなどの作家・詩人たちでした。

光の側~超絶主義

「アメリカのロマン主義」とも称されるこの隆盛は、1830年代に思想界の主流となった「超絶主義」に端を発します。

超絶主義とはざっくりと、既存の権威や価値観に縛られず、それらを「超絶」した「個人の直感」によって神や真理にせまろうとする考え方です。

これはある意味「汎神論」あるいは「神秘主義」であるため、キリスト教の側からは危険思想と捉えられることもありました。

この思潮の中心となったのがエマソン(1803‐82)でした。
「自然論」(1836)などの彼の著作は、アメリカ独特の自由な精神風土を形成するための端緒となりました。

エマソンに師事したソロー(1817‐62)は、この哲学を実生活にて体現した、今日で言う「アウトドア派」の思想家でした。

その主張とスタイルは、ヨーロッパ文化にかつてない、アメリカ独自のもでした。

ソローは、エマソンに強い影響を受けた「ナチュラリスト」の思想家です。

そしてその理念を実践するため、エマソンが所有する敷地を借りて、湖畔に手造りの小屋を建てて生活をしました。

小屋は1000個のレンガを土台に組んだ8畳ほどのもので、ベッド、デスクと椅子、暖炉という必要最低限の質素なものでした。

ソローはここで2年以上に及ぶ自給自足の生活を送りながら、代表作「ウォールデン〜森の生活」(1854年)を綴りました。

「森の生活」では、資本主義経済が拡大し自然が失われていく時代に、アメリカ的な「個」の確立がいかに重要であるかが説かれています。

「自然の一部」として「個」を考えたこの著書は、ヨーロッパからの思想的独立宣言でもあったのです。 

ソローは決して静かな「隠遁者」ではありませんでした。
森での生活中に、奴隷制とメキシコとの戦争に反対する意図で州税を納めなかったため、投獄されたこともありました。

その体験をもとに書かれたエッセイ「市民的不服従」(1849)でソローは、徹底した非暴力主義を唱え、トルストイ、ガンジー、キング牧師らに大きな影響を及ぼしました。


また、「アメリカ詩の父」と称されるホイットマン(1819‐92)もエマソンの思想を大きく発展させ、「草の葉」(1855~92)を発表しました。

型破りなスタイルでアメリカ人の自由と尊厳を歌い上げたホイットマンは、後のケルアックやギンズバーグらビート・ジェネレーションに多大な影響を与えました。

闇の側~ポー、メルヴィル、ホーソーン

このように、新しい文人たちがアメリカの未来と希望を謳歌する一方で、その真逆を見つめていた作家たちがいました。

彼らは、人間への全面的な信頼や無条件な楽観主義に対して懐疑を抱き、広がりゆく世界の中に恐怖と絶望を見ていたのでした。

探偵小説やゴシック風の怪奇小説で日本でも有名なポー、巨編「白鯨」で知られるメルヴィル、そして「緋文字」などでピューリタンの暗部を描いたホーソーンらがこの側の主な作家たちです。

彼らが描き出した作品は暗澹としており、奇異で残酷な世界が展開されます。

しかし多くの場合、このような闇の側は断然魅惑的なものでもあります。
その奈落の底でこそ、美と真理が輝きを秘めているからなのかも知れません。

闇がそこにあった
ただ、闇だけが

Darkness there,
and nothing more.

"Raven" E.A.Poe
「大鴉」~エドガー・アラン・ポー

⇒アメリカン・ルネサンスの入口②「闇の側」~E.A.ポー他に続く


2023.10.9
Planet Earth


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