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ポストモダン文学の入口 ①(欧州編) ~サミュエル・ベケット(改訂)


「ポストモダン文学」は、第二次大戦後に生まれた前衛文学を指します。
この「ポストモダン」を直訳すると、「モダンの後」となります。

ですので、「ポストモダン文学」の前に、まずは「モダン→モダニズム文学」から簡単に説明しておきます。

「モダニズム文学」とは、19世紀後半の主流であった写実主義(例 フローベル、ディケンズ、ドストエフスキーなど)に反発したスタイルのものを指します。

論者によって幅が異なりますが、だいたい第一次大戦後の1920年前後から第二次大戦前の1940年あたりまでに書かれた作品の中で当時の「前衛」とされたもの、これがモダニズム文学のざっくりとした位置づけとなります。

その代表格としては、ジョイス、カフカ、プルースト、T.S.エリオット等が挙げられます。

「前衛」と言っても捉え方次第な部分はありますが、たとえば「変身」(1915)などのシュールな作風で知られるカフカの作品などは、それ以前になかったスタイルのものであり、モダニズム文学として分かりやすいかも知れません。

日本では、川端康成や横光利一の「新感覚派」が挙げられます。こちらもやはり写実主義文学に対立し、独自の美学を志向するものでした。

ちなみにモダニズムの絵画では、シュールレアリスムを代表するダリや、立体主義のピカソが挙げられます。

モダニズム美術のひとつシュールレアリスムを代表するダリ作「記憶の固執」(1931)

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「モダニズムの後(ポスト)」に現れた「ポストモダン」は、同様に「前衛」ではありますが、主に第二次大戦後(1945〜)のものを指し、モダニズムをさらに発展させた、より実験性の高い作品群が対象となります。

その思潮の元には、世の中に対する認識の改変がありました。
二度の大戦を経て、「世界は進歩していくのだ」という共通性のある「大きなストーリー」が瓦解してしまったことが、根底にあるのです。

第二次世界大戦後は、核戦争や環境破壊などによる文明の崩壊が現実性を帯びる一方で、技術の発展がさらなる飛躍を遂げ、世界の様相が激変しました。

そして、芸術における表現もより自由に、多様になって行きました。このように、ポストモダン的な文化の発生には、従来の世界観 の解体が反映されているのです。

先に、文学以外のジャンルに目を向けた方が、具体的にイメージしやすいかも知れません。

例えば建築(元来「ポストモダン」は建築用語です)。
卑近な例では、墨田区にある、黄金の雲のようなオブジェが掲げられたビルは、「ポストモダン的な建築デザイン」と言えます。

あるいは音楽ではジョン・ケージが典型的です。
彼の「4分33秒」(1952)という作品(?)では、奏者は一切鍵盤に触れず、4分33秒の間ピアノの前に座っているだけです。

美術では、アンディ・ウォーホールの作品等もポストモダン・アートに挙げられます。

ポストモダン美術を代表するウォーホールのポップアート「キャンベルスープの缶」(1962)

いずれにおいても、従来の表現スタイルの否定、そして解体と再構築の手法が、前述のモダニズムからさらに発展しています。


文学においては国によって異なりますが、アメリカではヴォネガットやバース、ピンチョン、さらにはビートの一派なども含まれます。

南米では、ボルヘスや「百年の孤独」で知られるガルシア・マルケスらによる「マジックリアリズム」という寓話のジャンルから、文学史に残るであろう数々の名作が生み出されました。

フランスではロブ=グリエやサロートらによる「ヌーヴォー・ロマン」が一時隆盛になりました。これも「前衛」という観点からポストモダンの領域と言えます。

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ポストモダン文学の分かりやすい例として、今回はサミュエル・ベケットの作品を紹介します。

ベケットはイヨネスコとともに「不条理演劇」というジャンルを代表するアイルランド出身の作家です。作品はフランス語で書かれており、ヌーヴォー・ロマンの範疇に置くことができます。

「不条理」は元の英語でabsurd「ばかげている」「理屈に合わない」という意味になります。

例えば彼の代表作「ゴドーを待ちながら」(1952)は、一本の木が中央にあるだけの舞台で、二人の男がただひたすら「ゴドー」(神様?)を待つという内容です。話の起承転結はなく、中身は二人の無駄話ばかりで結局何事も起こりません。

また、「クラップ最後のテープ」(1958)では、登場人物は老人クラップ(「クズ」の意味)ただ一人、そして主役は「テープレコーダーの再生音声」です。

「時間軸の解体→再構築」が、この作品のポストモダン的な要素と言えます。

クラップは毎年の誕生日に一年の回顧をテープに録音する習慣があります。
その日は69回目の誕生日です。

闇の中、スポットライトに照らし出された机の上には大きなオープンリールのテープレコーダーがあります。

光の圏内にクラップが現れます。
そして、数あるテープの中から30年前の誕生日に録音したものを選び、聴きはじめます。

途中で巻き戻したり進めたり、止めて物思いにふけったり、独り言をいったり、30年前に録音したものの内容が、そのさらに10年前の出来事だったり、一度聴いた部分が何度も再生されたり…それがガチャガチャとせわしなく延々と続くのです。

再生されるのはいくつかの細切れなエピソードです。
その内容は、交際相手のことや、世界や人生に対する愚痴など、いずれもとりとめのないものばかりです。

最後にやっとこの年の分の短い録音を終え、空回りするテープ音の中、クラップがぼーっと虚空を見つめるまま30分ほどの劇が終わります。

この劇は何を言いたかったのか?クラップの人生とはどんなものだったのか?タイトルにある「最後の~」は何を暗示しているのか?

「…その硬く黒いボールは犬にくれてしまった・・・」
「…真夜中を過ぎた‥こんな静寂は生まれて初めてだ・・・」
「…この古ぼけたくそったれの地球・・・」等々、
観客は再生された音声の断片をつなげ合わせて、この作品のメッセージを考えなければならないのです。 

ベケットの作品は、YouTubeで観ることができます。いずれも暗く乾いた、彼独特の殺風景な舞台が展開されています。


一方、同じ前衛でも、アメリカのポストモダンに目を転じると、全く異なったタイプの作品群が並びます。

ヴォネガットをはじめとする彼らは「ブラック・ユーモア派」とも称され、アメリカ特有のエンターテインメント性を重視した物語の数々を残しています⇒ポストモダン文学の入口 ②(アメリカ編)に続く。

 サミュエル・ベケット(1906-1989~アイルランド・フランス   劇作家、小説家)
アイルランドに生まれ、フランスに居住、主としてフランス語で執筆した。戯曲「ゴドーを待ちながら」(1952)で脚光を浴びた。前衛演劇の分野で足を残し、「ヌーヴォー・ロマン」(戦後フランスの前衛文学)の先駆となった。

2023.9.23 Planet Earth


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