四十八文字の話『ヘ』「平安時代」清少納言の宇宙観とプレアデス星団
まずは下記の歌を読んで下さい。
【星は すばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて】
:『枕草子』 二四五段 「星づくし」より
これは平安時代の有名な女性歌人、「清少納言」が書いた代表作「枕草子」の中の一節、「星づくし」の全文です。
「枕草子」と言うと最も有名なのは、第一段の「春はあけぼの」、デスヨね。教科書には必ず載っていました。
ですが「枕草子」にはこのように「星」「天体」に関して、作者である清少納言の感性が滲み出ています。どんな気持ちで夜空を見て上げていたのでしょうかね?
⚪古代の人々にとっての「星」とは
でもよく考えると天体望遠鏡などもない時代の人が、どうして星々の事に関心を持ち、歌などまでに書かれているのか、皆さん気になりませんか?
確かに「昴」( すばる ) という名の星は既に「日本書紀」に出てますけど……
私も子供の頃は親に ( 安物 ) 天体望遠鏡を買って貰い、月や星を見ていましたが、大人になると、あまり関心が無くなり、ましてや望遠鏡など使わなくともTVではNASAやJAXAなどからの映像が見れるので、夜空など改めて見上げる機会は少なくなりました。ですが平安時代の女性歌人は凄い関心を持って歌っていますよね。どうしてでしょうか?
少し「星づくし」の内容を解説してみましょう。
……まず歌の中で出てくる「すばる」。
清少納言は沢山の星々の中で「いの一番」に書いてます。
皆さんも聞いた事があるでしょう。いわゆる「プレアデス星団」の事です。
日本では自動車メーカーの名前や、また現代の歌、歌詞にも出てくる星の名です。ですが皆さん意外に思われるかもしれませんが、「すばる」「スバル」は元々古代からこの日本で呼ばれてきた日本語の名称、大和言葉です。
語源は「統ばる」( すばる )、つまり「多く集まる」状態を表す、また古代の玉飾り「御統」( みすまる ) から名付けられたとも言われています。
写真で見る通りかなり綺麗な神々しい「星団」ですね。
ですが皆さんは名前は知っているでしょうが、実際夜空で見た事、有ります?
一体夜空のどの方向の、どの辺で輝いているのかを知っている方、あまりいないと思います。
それを平安時代の女性歌人、清少納言は実際に見て「一番」に歌に書いたのですから、凄いデスヨね❗
○次に「ひこぼし」( 彦星 )
これは皆さんご存知、七夕の「牽牛星」( けんぎゅうせい : わし座アルタイル )。
○「ゆふづつ」(夕星 )
夕方「日の入り」の時、太陽の近くでひときわ輝く「宵の明星」( よいのみょうじょう )、つまり「金星」です。因みに「日の出」の頃、やはり太陽の近くで輝く金星を「明けの明星」( あけのみょうじょう )と呼びます。
金星は西洋では「ヴィーナス」などに例えられているほど古代から洋の東西を問わず、何かと話題になる惑星です。
○「よばひ星」
「流れ星」の事です。「呼ばひ」「婚ひ」などの漢字に当てられ、意味は「堂々と声をあげ言い寄る」。
それが後々、正に星々が輝く夜に男が女性の家に忍び込む「夜這ひ」( よばい ) に変化した様です。
清少納言が書いた「星づくし」に出てくる星々の名前は、先程も言った通り、平安時代以前に既に使用されており「日本書紀」「万葉集」でも歌われています。
また平安時代の百科事典と言われる「和名類聚抄」( わみょうるいじゅしょう ) には以下の内容で、それぞれの和名と星の名に当てられた漢字が説明されています。
○昴星 ( ぼうせい:すばるぼし )……和名は須八流
○牽牛 ( げんぎゅう:ひこぼし )……和名は比古保之
○夕星 ( 宵の明星:ゆうづつ )……和名は由不豆豆
○明星 ( 明けの明星:あかぼし )……和名は阿加保之
○流星 ( りゅうせい:よばひ星 )……和名は与八比保之
この様に星の名は和名で普通に呼ばれる程、昔から日本の文化に定着していました。
何故これほど定着していたのか?
それは時計やカレンダー、電気など無い時代。
「あとどのくらいで夜が明けるかな?」
「今の季節は?まだ寒いけど、もうそろそろ種まきの準備した方がいいかな~」
等々の判断の目安になるのが夜空の「星々の位置」でした。
また漁業や貿易の航海などではまだ羅針盤が無い時、「星々の位置」で今現在の自分の船の位置や方角などを判断するなど、当時の人々の日常生活には欠かせない存在だったからでしょう。
それ程貴い存在ですから古代からよくあるように、この星々が「神」などとして崇めらる場合もしばしばでした。
「昴」( スバル : プレアデス星団 ) を神様として祀る伊勢神宮内宮の摂社……「棒原神社」( すぎはらじんじゃ ) ※【榛原】とも書かれます。
枕草子「星づくし」にも出てくる「ゆうづつ」( 宵の明星 ) 。輝いて見える時間帯によって、あかぼし ( 明けの明星 ) とも呼ばれている惑星です。これはつまり「金星」の事です。
その別名である甕星 ( みかぼし ) 。その神様を祀るのが「大甕神社」( おおみかじんじゃ ) 。
その名は「日本書紀」にも記されています。
2016年のアニメ映画「君の名は」でも注目された様ですね。
⚪ギリシャ神話「プレアデスの七人姉妹」
ところで古代から洋の東西を問わず人々から敬愛されてきた「昴」、「プレアデス星団」。
ヨーロッパの古代ギリシャ神話ではこの「プレアデス星団」に関する話が有ります。
この星団の中でも特に輝く七つの星を取り上げて
「七人の姉妹達」
に例えていている話です。
そしてこの七人の姉妹達に「オリオン星雲の三ツ星」を三人の男性に仕立て、「この男性達から求愛される話」などが伝わっています。
🌸偏見かもしれませんが、この「オリオン三ツ星」もあちこちの神話に出てきますが、時には女性達をからかうなどあまり素行の良い印象がない、と思うのは私だけですかね😆
⚪平安時代の「女性歌人七人」
この「プレアデスの七人姉妹」と同じ様に、平安時代の代表的な「七人の女性歌人、作家」を下記に記してみました。勿論姉妹ではないですが、中には親戚同士の方々もいます。大河ドラマの参考になれば幸いです。
○清少納言
大河ドラマでは「ファーストサマーウイカ」さんが演じています。
○紫式部
よくライバル視される「清少納言」と「紫式部」。
ですが宮仕えしていた時期は重っていません。
つまり宮中では一度も顔を合わした事がないんです。
だから「不仲説」などは成り立たないのですが、清少納言が宮中を去った後に程なくやって来た紫式部。その耳に入ってくる宮中内での女官達の「世間話」によく出てきたのが、清少納言を称賛する話、でした。
ごく最近まで「宮中の文芸サロン」の中心であった清少納言。これにライバル心が芽生えたのでしょうね。
また夫の「藤原宣孝」( ふしわら のぶたか:大河ドラマ化では佐々木蔵之介さんが演じます ) がなんらかの官職を得たいと、奈良県吉野金峰山 ( きんぶせん ) に祈願しに行った時のこと。
吉野は山伏の聖地ですから、普通は山伏の服装をして詣でるのが常識、ですが「藤原宣孝」はとても派手な服装で参詣しました。
それを清少納言は皮肉を込めて「あわれなるもの (しみじみと感動するもの ) 」の段で宣孝の話を出し非難しています。
これも紫式部が清少納言に対し、良い印象を持たない原因の一つだと思われますね。
○小野小町 (おの こまち )
六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。
エジプトの「クレオパトラ」、中国の「楊貴妃」( よう きひ ) と共に「世界三大美女」の一人に数えられているため、自身の歌の他にも「小野小町」自体を題材にした多くの作品 ( 能、歌舞伎、小説、絵画、等々 ) が作られてきました。
また現代の身近なところでは秋田新幹線「こまち」、イネの品種「あきたこまち」の名前の由来ともなり、晩年を過ごしたとされる京都市山科区小野「随心院」では「ミス小野小町コンテスト」が開催されています。( ※残念な事に現在は選考中止の様です )
尚、この方は同じ平安時代でもその前期の人であるため、今回の大河ドラマには出てません。
○和泉式部 ( いずみしきぶ )
🌸父の大江雅致 ( おおえ まさむね ) は平安時代の公卿。この父の兄弟には大江匡衡 ( まさひら:次に記している【赤染衛門 ( あかぞえもん ) 】」の夫 ) がいます。
百人一首の歌人であり、中古三十六歌仙そして女房三十六歌仙の一人でもある。
後に紫式部 (「紫式部日記」) に「口に任せたることどもに、必ずをかしき一節の、目にとまる詠み添へ侍り」と評されています。
「藤原道長」(ふじわら みちなが ) と同世代であるので大河ドラマに出てきても不思議ではないのですが、まだキャストが決まっていないようです。
この方、結構「恋多き女性」であったようで、「藤原道長」も呆れていた様です。
○赤染衛門 ( あかぞめえもん )
🌸大江匡衡 ( おおえ まさひら ) の妻。
つまり「和泉式部 」は義理の叔母にあたる。
中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。
平安時代の物語風歴史書「栄花物語」( えいがものがたり ) の主な作者の一人。
「栄花物語」は、平安時代初期の宇多天皇から後期の堀河天皇までの15代・約200年間におよぶ宮廷の歴史を仮名文を用いて編集した日本最初の歴史物語。
太政大臣( だいじょうだいじん)であった「藤原道長」の栄耀栄華(えいようえいが)を描いた部分が特に有名で、『栄華物語』や『世継物語』とも呼ばれている。
藤原道長の正妻である源倫子 ( みなもと りんし/ともこ ) とその娘の藤原彰子 ( ふじわら しょうし/あきこ ) に仕え、紫式部や清少納言らとも親交があった。
大河ドラマでは「凰稀かなめ」さんか演じます。
○「藤原寧子」( ふじわら やすこ )。
🌸藤原道長の異母兄「藤原道綱」( ふじわら みちつな )の母。道綱は大河ドラマでは「上地雄輔」さんが演じます。
平安時代を代表する日記文学のひとつである「蜻蛉日記」( かげろうにっき ) の作者。また小倉百人一首にも作品を残しています。
「日記文学」とは、現代の様な自分だけが書いて楽しむ私的な日記ではなく、その他多くの人に読んでもらうことを前提にして書いた、公的な日記形式の文書。更に記述描写が文学的に優れている作品のことを言います。
藤原寧子は、自分の嫁ぎ先など結婚やその後の生活など自分の人生、自分の日常生活を書きました。そしてそれを宮中の女官達に読んで欲しい、という気持ちで作られてた様です。
紫式部にとっては血の違う母親になりますが、この「蜻蛉日記」はかなり読んでおり、宮中などの日常生活の参考にしたそうです。
大河ドラマでは「財前直見」さんが演じます。
○「更級日記」( さらしなにっき ) の作者 菅原孝標 (すがわら たかすえ ) の次女 ( 名前は不明 )
🌸「菅原孝標」は【学問の神様 : 天神様 】の「菅原道真公」( すがわら みちざね ) の五世孫に当たる人物 。
またこの女性の叔母が先程の「藤原寧子」です。
叔母と同じ様に日記文学である「更級日記」を著します。
前述した「蜻蛉日記」「紫式部日記」などと並ぶ平安女流日記文学の代表作の一つに数えられ、江戸時代にも広く流通して読まれました。
この女性は少女時代の頃は紫式部「源氏物語」を読み耽り、物語の風景に憧れていた一人の読者、大ファンだったそうです。また父親の赴任先である上総国 ( 現在 千葉県 ) の市原市で幼少を過ごし、父親の任期が終わり都へ戻るその頃からこの日記を書き始めたそうです。
ですがその少女時代はあまり幸せではなく、度重なる身内の死去によって経験した厳しい現実、そして宮中への出仕、三十代での結婚と出産、そして夫の病死などを経て、子供たちが巣立った後の孤独の中で夢を見ていた頃とは違う現実世界より、ふと夢の中で見た「阿弥陀如来」に次第に傾倒していく、といった人生を書いています。
なお、今現在に伝存する諸本はすべて平安時代の大歌人、「藤原定家 」( ふじわら ていか ) 書写の本に元に源しており、別系統のものはひとつも発見されていない様です。藤原定家がいかに評価していたか、偲ばれます。
⚪現在でも引き継がれる「昴 ( プレアデス星団 ) 」
冒頭で記した枕草子「星づくし」。
平安時代の方々が「昴」に憧れていたのがよく分かりますね。ですがこれは何も平安時代だけの話ではないのはご存知かと。
下記の歌を是非とも聞いて下さい。
昨年惜しくも亡くなれた「谷村新司」さん。
「昴」 歌:谷村新司
「地上の星」 歌:中島みゆき
🌸参考
「清少納言がみていた宇宙と、わたしたちがみている宇宙は同じなのか?」著者 池内了 青土社
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