天使の記憶 2024.5.10

いま、『ベルリン、天使の詩』のことしか考えたくありません。
それ以外書けそうにないです。でも、とても大切な作品であり、まだ言葉にはしたくないしできないし、作品を言葉で分解していくようなことはもはや永遠にしたくありません。
さて。

『ベルリン、天使の詩』は1987年公開、ヴィム・ヴェンダース監督の映画です。冷戦下のベルリンを舞台にしています。ベルリンの街を見守る天使たちには、人々の心の声が聞こえます。天使たちは傷ついた人々に寄り添うけれど、人間に対して何かを為すことができません。人間にはその姿すら見えていません。だから、恋した相手を愛することも、自ら命を断つ若者を止めることもできないのです。天使たちは人間が生まれる前からの長い時を見つめてきました。第二次世界大戦も見ていました。何もできないまま。天使の脳裏には戦時下の、破壊されたベルリンの情景が焼きついています。
 
この映画自体が、私たちのような未来の者に“傷ついたベルリン”の姿を伝える媒体となっています。冷戦下で壁があるところも私の目には新鮮です。更地のポツダム広場も出てきます。今でこそ再開発されたようですが、首都の中に、こんなに放置された空間、しかも手を付ける気もないような空間があったんだ、と驚きました。映画のなかでは、老人が広場を歩きながら、戦争で破壊される前、繁華街だった頃の広場の姿を思い浮かべています。
ここで、一昨年広島でガイドさんに伺った話を思い出しました。原爆ドームの周り、いまの平和記念公園の場所は、いまでこそ“何もない”けれど、かつては一番の繁華街だったそうです。衝撃を受けました。私は原爆ドームだけに「壊された」というイメージを載せていたようです。たしかにそれは破壊されたけれど、むしろいちばん残っているのだとわかりました。いま目に見える“残ったもの”だけでなく、消えたり埋まったりした見えない存在にも思いを馳せることが大事かもしれないと感じました。冷戦下の何もなかったポツダム広場、戦争での破壊、そして戦前の賑わっていたポツダム広場を、いまの私たちが覚えておくこと。姿は上塗りされるけれど、歴史まで消したくはありません。
ところで広島を訪れたのは、小学生の頃に読んだ『はだしのゲン』がきっかけでした。物語作品は、歴史を伝えることができると思います。教科書で習う政治的事実だけではなく、人々の感情のレベルで。ただ、いくら語り継ごうとしても、真に受けていないのか忘れたのか、人間は過ちを繰り返すようです。でもひとまず語らなければ、と思います。そうありたいです。人間は天使のように長い時を見ることはできないけれど、他の人間に語りかけることはできるのだから。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?