会話 2024.5.14

「えーすごーい」と言って、「思ってないでしょ!?」と返されたことが幾度となくある。本当に数えきれないほど。その度に「思ってないと言わないよ」と言うけれど、あれは信じてもらえているのだろうか。
本当に、思ってないことは言わない。すごいと思ったからすごいと口にした。うまく感情が出ていなかっただけで。
あと私は、物静かな抑揚の少ない話し方ではなく、わりと感情豊かに、調子良く話すほうだ。それで棒読みのプラス発言は信じてもらえず、「えーすごーい」が「本当は思ってないけど気を遣って言ってるんだろうな」という印象を相手に与えているのかもしれない。「思ってないと言わないよ」が嘘の2段重ねに聞こえている可能性すらある。でも私嘘はつかないのに、という思いは消化できないまま、会話は流れる。

意思の疎通はなかなかむずかしい。そもそも私は会話に苦手意識がある。そんなことを検索していたら、グライスの公理というものを見つけた。グライスさんによると、以下が円滑な会話のための要素だという。

量の公理 :必要な情報をすべて提供すること。必要以上に情報を与えないこと
質の公理:自分が虚偽と思っていることをいわない。適切な根拠がないことをいわない
関連性の公理:関係のあることをいう
様式の公理 :不明確な表現をいわない。あいまいなことを言わない。簡潔にいう。順序立てていう。

https://www.nihongo-appliedlinguistics.net/wp/archives/5088

もし会話の参加メンバー全員にとって、自分の発言や相手の発言がこの公理に当てはまっていると感じたら、心地良い会話だ、と思えるのだろう。だが、話し手の認識や意図と聞き手の受け取り方が噛み合わないことも多い。だから現実にはなかなかうまくいかない。

先ほど会話は苦手と書いたが、会話全体というよりは話すことに苦手意識がある。
「話すのは苦手」という自覚は、”自分の発言が公理に反している”という感覚のことなのだろうか?
本を読みたいけど、今はひとまずこのページを頼りに自分の苦手と照らし合わせてみる。

量の公理:必要以上に情報を喋ってしまうことは結構ある。やっちゃった〜と思う。必要以下もある。
質の公理:反さないようにしてる。でも「すごーい」の件は、相手に”反している”と疑われたってことか。
関連性の公理:相手にとって何が”関係ある”のか、はかりかねることがある。”関係ある”返答をできているのか不安になる。
様式の公理:全然自信ない。下手すぎる。テンパるし、考えをまとめるのに時間がかかるから支離滅裂なことをよく言う。

いろいろと当てはまる。

書くことが好きな理由のひとつも、これと関係があるのかもしれない。
noteは会話ではないものの、「伝える」点では共通する部分もある。会話における私のターンだけを抜き取ったのがこの投稿、と捉えることもできる。
喋るならやり直しは効かないけど、書くなら何度でも直すことができる。公理に当てはまっているかをじっくりと吟味できて、口を滑らせることもない。安心できる。
伝える相手は目の前にいないから、話しはじめる前に何時間考えても良い。もし返答があったら嬉しいけど、意思の疎通が目的ではないからこそ気楽な部分もある。

ただ、誰かと会話するときの、思いもよらぬ展開や自分にはない価値観との出会いはやっぱり楽しい。だから会話は苦手だけど、とても好きだ。

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