情報社会でふらふら 2024.5.5

情報、情報。短いテクスト、140字以内で効果的に要点を伝えるためにぎゅっと濃縮された言葉。人生の教訓。全部にいいねしたくなるくらい、脳にガツンと響く言葉の数々。「インスタントな情報」という言葉が浮かんだ。
インスタント。作り手がどれだけ時間をかけているかはわからない。長い長い時間がかかることもあると思う。だから、受け手にとってのインスタント。インスタント食品と同じ。

情報量の多さに少し疲れてしまってしばらく主要SNSをおやすみしているけど、昨日久々にツイッターを見た。最近noteはすこし読んでいて、本も読んでいて、そういう長いテクストに触れる比率がいつもより多いからか、濃縮されたパワーに面食らった。高速スクロールの中で目をとめてもらう必要があるのだろう。鮮烈な印象を残すために綴られた言葉の余波は、一夜明けてもまだ脳の中を行ったり来たりしている。
どっちが良いとか悪いとかじゃなく、というのがうまく伝わるのかわからないけど、たとえば薄味・減塩・だしの旨みな食生活を送っている人が久々にジャンクフードを食べたらおいしくてもたぶんびっくりする、そんな感じ。ツイッターには、わかりやすい言葉とか答えとか、そういうものがたくさん、ゴロゴロ転がっている。きっとひとつひとつは真実なのだろう。忠告を聞いたら良いのだろう。けれど、受け手が「見つける」という気を起こすよりも前に、”答え”が無作為に流れてきたり、バズって流れてきたりする。自分の中で疑問や問いが形を取っていないのに、流れてきた言葉を見て「これが知りたかった!」という錯覚のようなものを起こす。

知りたい情報を自分で探して、感じて、気づいて。というのは、遠回りで、無駄が多くて、非効率なのかもしれない。今は、この余りある情報をさばいて取り込んで、それを踏まえた生き方や表現をする人が生き残るのかもしれない。情報戦が前提なのかもしれない。たとえば、インスタ・ツイッターを「時々しか見ない」ことで逃している情報やイベントが存在するはずで、それに参加しない私は「置いていかれる」だけなのかもしれない。
映画はサブスクで名作から新作までじゃんじゃん見られて、短い動画もたくさん流れて、ありとあらゆる情報にすぐアクセスできる。何を見るか見ないかは自分次第。カスタマイズできて便利だけど、めまぐるしい。流行りやバズりはすぐに忘れられて、早く次のものを出そうと頑張る経済活動。20年間T型フォードを売り続けたあの頃にあった何かを私たちは失ったのかもしれないが、よくわからない。

びっくりしすぎて長々と書いたけど、ひとことでいうと情報量に疲れちゃっただけ。膨大な情報が次から次へと流れて、それを取捨選択したり、脳にヒットしたりする。あまりにも効きすぎる。大量摂取して胃もたれ。いま私に必要なのは七草粥。だからひとりで1月7日を引き延ばしている。ずっと七草粥を食べていて、たまには、とフライドチキンを齧る。たぶんタンパク質と油も必要だが、とにかく面食らう。そして七草粥に戻る。そんな生活を、もうしばらく続けることになりそう。

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