なくした本たちへ 2024.5.9

こんな話をするのも気がひけるけど、行方不明の本が2冊あります。
ベケットの戯曲集とヘミングウェイの『移動祝祭日』。
どちらも私にとって一度きりの付き合いではなく、何度も手に取る機会がありそうな本です。なぜ大切な本を2冊もなくしたんでしょう?どちらも「余所に置いてきた」「人に貸して返ってこない」ではなく自分のテリトリーにはあるはずで、どこかにしまいこんだとか紛れ込んだとかだと思います。
また読みたいから、思い出すたびに少し探しています。とはいえどうしても今すぐ必要なわけではなく、なくしたから気になっている、という面が強いかもしれません。だから、買うのはもちろん図書館で借りるのも「持ってるもんなぁ」と辞めてしまいます。早く見つけたいものです。

べケットの戯曲集には『ゴドーを待ちながら』が収録されています。他の収録作品はなんだったかすら覚えていないくらい昔になくしました。ゴドーは一度読みはじめたことがあるけれど、途中でやめました。それが大晦日だったのがいけなかったかもしれません。中断して家族と年を越し、それっきりです。最後まで読んでみたいので「本が出てきた暁には最後まで読む」という誓いを立てています。それにしても、大きくないもののわりと年季の入った古本で、ハードカバーでケース付きと、そこそこ存在感があるはずなのに、どこへ行ってしまったのでしょう。ベケットはなくし続けるくらいが似合うような気がするけれど、出てきてほしいです。ちなみにゴドーはいいかげん図書館で借りて読もうかなとも思っています。

移動祝祭日は一度読み終わっています。その後なくしました。ミッドナイトインパリの1920 年代メンツが登場するような、うきうきする本でした。それに、フィッツジェラルドのめんどくさい一面を知れて嬉しかった記憶があります。ヘミングウェイって、フィッツジェラルドのことを「どうしようもないヤツ」と思いつつ嫌いになれないというか、ほっとけないというか、結局好きなんだろうなぁ、と感じた記憶があるけれど、読み返せていないのでおぼろげです。この本は、晩年のヘミングウェイが若き日のパリでのことを書いた回想録だから、あいつ、とにやにや思い出して書いたんじゃないかなと。フィッツジェラルドが亡くなってからもだいぶ経っています。二人の友情に感謝。こちらは薄めの文庫なのでどこかに紛れてしまうのは容易に想像できます。でも本までロストしなくていいよ、というしょうもない文が浮かびました。

どちらも数年前から”本の置き場所にない””普段見かけない”という感じで、もし本当に本気で探せば出てくるのかもしれません。でも時々思い出すたびにありそうなところを探してみるけれど、見つからないんです。このラブコールを受けてひょっこり出てきてくれたらなと願うばかりです。


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