世界を知らないまま走り回る子供になりたい

昔から思ってたことだけど、歌を聴いたときに、一度聴いたことのある歌手から似てる曲を絞り出して、○○っぽいと言ってしまいがちだけど、それってあんまりいい褒め方じゃないと思う。実際のところ、こんな曲は始めて聴くみたいな体験って年齢と共に無くしていくものだから仕方ない事ではある。どんな斬新な曲でも何かしらのパロディーや影響下にあるし、それは子が親の遺伝子からは逃げられないようなものだ。

人間の能力は似ているものを結びつける能力に関してはインターネットの検索よりも多分優れていて、例えば人の顔を例える時は誰かに似てるって言いがちだけど、実際のところ写真を比べてみると、20%くらいだけ似ていてほとんどは別人な事が多い気がする。おそらく、人間にはそういう規則性みたいなものを見つける能力があって、そうやって情報を曖昧にカテゴライズして処理していかないと、五感から入ってくる情報が多すぎて、脳がパンクするから、そうなってるんじゃないかと勝手に想像しています。

実際のところ私達がその分野に関してそれほど知識がない場合は、見るものすべてが新鮮に映るわけで、おそらく一番最初に発見した優れたものを絶賛してしまうと思う。その後はきっと別の何か優れたモノを発見したとしても、最初に見た優れたモノに類似性を見出してしまうと思うんですよね。初恋の人が忘れられないようなものでしょう。

なので、私達が出来ることは、なるべく、私達の脳内に宿る過去の偉人たちの名前との類似性を引用することではない。赤ん坊がオギャーと世界に生まれて、直後に世界の仕組みを教える人はいないから。この世界の初見さんになってもらうために、スッと黙っておけばいいと思いました。

まあそうは言っても、そんなことは無理なわけで、類似性を感じざるを得ないわけで、だからこそさ、最初の感じが欲しいよね。
こう言うと、浅野いにおがいつまでも童貞の時の気持ちが忘れられないみたいな漫画ばっか描いてる感じで自分に嫌気がさしてきたけど。

この記事を書くことで、色々釘刺してるみたいで良くないかもしれない。自分も何かに例えがちなんで、その輪廻から逃れたい気持ちがあります。新しいものに触れる時は、いつでも初恋の気分でいたいです。


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