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R.I.P

 実家のリビングには有線が付いてて、自分の部屋が無かった私は毎晩リビングで寝る時にその有線から童話の朗読を流しながら目を閉じていたのですが、それは小学生ながら一日で一番好きな時間で、耳から聞こえる言葉が頭の中で組み合わさって世界が出来上がっていく様子にいつも、閉じた瞼の下にある瞳を輝かせていたものです。段々と眠気が近づいてくる度に体の感覚が鈍くなって、それに従って現実の寝室よりも空想の世界の比重の方が大きくなり、やもすれば物語の中に居る彼らがまるで目の前に居るかのような感覚さえしました。しかし、ふとした拍子に瞼を開けるとその光景は一瞬で霧散し、世界を作り上げていた欠片はただの言葉の羅列と化し、視界には見慣れた面白みのない天井があるばかりで、私は悔しさをぶつけるかのように涙ながらにちんちんをしごいたものです。

 あれはいつ頃だったでしょうか。私がようやく物事の分別が付き始め、(チチカカの服着てる女って全員貧乳やな…)と気付き始めた頃だったと思います。私が小学校から帰ると、滅多に家に居ない筈の母親がその日は珍しくソファに座ってテレビを見ていて、まだランドセルも下ろしていない私に向かって「おかえり」よりも先に「プレゼント、買ってきたわよ~ん」と言いました。それは余りに唐突で不自然で、今にして思えばおそらく、余りコミュニケーションを取っていなかった息子に対して母親が自らの存在を示す為に考じたある種の療法だったのだと思います。しかし、子供とは残酷なもので、増してや私は幼いころから現金でいやらしいガキンチョでしたので、「プレゼント」という言葉の高揚を前に、珍しく家に居る母親に対する嬉しさも、感謝の気持ちも、違和感もすっかり見えなくなり、ただ両目にDSやらPSPやらを浮かばせながら「くれ!くれ!」と連呼する壊れたオスガキと化しました。そうして差し出した私の両手に、母は悲しそうな顔一つせずゆっくりと握った手を伸ばし、(さぁ、その手の中にある物は何なのか)と私はその指が開かれるのを今か今かと待っていましたら、存外、いつまでもその手は開かれず、代わりにささくれ立った人差し指が一本だけピンと伸びました。私が反射的にその指差した方に首を向けると、そこには底面が半畳ほどもある大きな段ボール箱が置いてありました。デカすぎると、これはとんでもない大物やと、プレステ74(セブンティーフォー)とかちゃうんかと、私は右目を「7」、左目を「4」にして涎を垂らしながら飛びついて一心不乱に開きました。ただの段ボールにも拘らず、その箱は神々しさすら感じられる観音開きで開き、そして、私の血走った目の前に現れたその中身は、黒くてずっしりとした重量感がありました。「SUGEEEEE!!これがプレステ74(セブンティーフォー)かいな!!」と私の興奮が絶頂に達したのも束の間、よく見るとそのプレステ74(セブンティーフォー)はモゾモゾと動き、「ワン」と鳴きました。私は思わず「なんや、プレステ1かい!」とノリツッコミをしましたが、そうではありません。そこに居たのは真っ黒い犬でした。私は慌てて振り返り母の方を見ましたら、彼女は峰不二子みたいなポージングをしながら「うっふ~~ん、衝動買いしちゃった~~ん」と投げキッスをしました。母の名誉の為に言っておきますが、彼女はチチカカの服は着ません。衝動買いで生き物を買うなど、極めて何か生命に対する侮辱を感じますが、ともかくそうして、私は愛犬と出会いました。生後半年に満たない、メスの小柄なトイプードルでした。

 そうして家族が増えた訳ですが、しかし、前述したように母親は滅多に家に居らず、私もまだ生後8年に満たないオスの不細工なクソガキでしたからまともに躾られるはずもなく、彼女はすくすくとおバカに育ちました。ところ構わずに放尿、脱糞を繰り返しました。まさか、10年後自分が大学の飲み会でこの犬と同じ様相を呈す事になるとは夢にも思いませんでしたが、とにかくそれでも私は愛情いっぱいにその新しい家族と親交を深めました。家に帰っても一人という事が常でしたので、そんな脱糞魔でも居てくれることが嬉しかったのかもしれません。私が宿題だの友人だので悩んでいた時、太ったおっさんみたいな屁をこいた後に尻を床にこすり付ける彼女の癖を見ると、何か心が浄化するような気がしました。私が母にダイヤの指輪でどつかれてシクシク泣いていた時も、側に寄って来てペロペロと指先を慰めるように舐めてくれました。おバカなので私の手に残っていたポテチのコンソメの粉を目当てにそうしていただけかもしれませんが、ともかく当時はそれで救われたのでした。
 日課だった寝る前の朗読も、彼女と並んで聴くようになりました。瞼の裏の美しい世界が消え去る事もやっぱりしょっちゅうありましたが、目を開けるとそこには見慣れた天井だけでなく、呑気に寝息を立てる彼女が隣に居たので、私はもはやちんちんをしごく事はせず、代わりに優しくその体を撫でてやるのでした。

(中略)

 それから15年後、彼女は死にました。息を引き取ったその時間、私はそんな事は夢にも思わず、大学の飲み会で放尿と脱糞を繰り返していました。図らずも、まるで出会った当初をもう一度再現するかのように放尿と脱糞を繰り返していました。後になって訃報を知った時、私は彼女と私を繋ぐその不思議な因果に驚嘆したものです。まさか放尿と脱糞が...。
 急いで家に帰ると、珍しく沈んだ表情の母と、その視線の先で眠っているかのように横たわる家族の姿がありました。いつものようにその体を撫でてみると、あずきバーぐらいカチカチで草生えました。手元に釘があれば掘っ立て小屋程度なら建てられそうな程カッチカチでした。不思議と涙は出ませんでした。ただ、心が空っぽになったような虚無感がありました。失って初めて、彼女がこんなにも多く私の領域を占めていた事を知りました。
 その後、彼女はえぐいほど燃やされて、高野山に納骨されました。同じ山では彼女の他に織田信長や、伊達政宗などの墓石があります。あの世で屁こいて打ち首にされてないと良いのですが、ともかくあの頃のように元気に過ごしている事を願っています。
 実家の絨毯には彼女が残した抜け毛がまだ少し絡まっていて、それはまるであの世とこの世を繋ぐ頼りない糸のように、そこから小さな彼女の存在を感じます。全部かき集めて纏めたら、何か一応は蘇りそうな気もします。しかし、もうどうしたってあの屁や体温は戻らないのです。別に何かをしてあげた訳でも、して貰ったわけでもないけれど、ただ、虚しい。それが死というものでした。

 今はもう、寝る前に朗読を聴く事も少なくなりましたが、それでも目を閉じれば変わらずに空想の世界は広がります。その中では彼女はまだ生きていて、一緒に放尿や脱糞を繰り返して面白おかしく過ごせます。けれど、やっぱり、ふとした拍子に目を開けると彼女はもうこの世にはいません。隣で聞こえるはずの呑気な寝息も聞こえません。その体を撫でる事が出来なくなった今、私は悔しさをぶつけるかのように、涙ながらにちんちんをしごくのでした。

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