君の名は!?

自分の属性を”女”とか”若者”とかそういう広義な概念まで押し広げて”男”や”老人”等の相反するものと対立関係になりたがるのは勿体ない。性別とか年齢とか肌の色とか育ちとか、誰にも奪われず誰にも会得できないものに固執するのは自らのアイデンティティの浅薄さの裏返しで、だからこそ必死にそれらを掲げて何かを糾弾することで安心している風に見える。皆何かに属していたい様に見える。ちゃんと名前があって血の通った人間が自ら大海に飛び込んでただの水滴になってしまうのは勿体ないと思う。SNSが波及して個々人が主張できる時代になったと言われてるけど、俺は真逆の印象を受ける。社会に属する以上大なり小なりそういうのを避けて通るのは勿論不可能で俺含め誰しもが大海の名も無い一滴なんやけど、それでも何の状況もない場所で話すときぐらいは君の名前を呼んで話したいと思う。パターン化されたイメージを目の前の人に当てはめて、枠からはみ出て削り取られた人間性は、近付く時に誰もが悪気無く踏み付けてる。触れ合う度、少しずつこの足元の違和感に気付いて、きちんとその人の名前が付いた枠を作りたいと思う。そして俺はその人の全部が知りたいと思う。何気ない一言で顔を覗かせるほんの少しの怒気や、俺が正しさを履き違えた時に見せる苛立ちや、いつも笑ってる彼が悲しんでる姿に怯みたくない。見えない部分を勝手に肥大化させて理解する道のりの虚構の長さに途方に暮れるんじゃなく、その人の全部をちゃんと知りたい。気に障ったら言って欲しいし気に障ったら言いたい。並んで眠る前の豆電球を消すかどうかの会話が嬉しい。暗闇の中、沈黙が飽和して息遣いに変わる頃に何を想っていたか知りたい。どっかで読んだ記事の情報だけでロシアに怒る君を抱きしめたくなったこと知ってほしい。すっぴんとか荒れた肌とか、誰にも見せたくない顔の側に居たい。水滴同士触れ合うたびに自他の境界が曖昧になっても、繰り返されていつか別の海の中の一滴になっても、お互いを見つけられるように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?