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コストコ行ったことない

 元々好きちゃうのもあって最近はもう飲酒せんねんけど、大学の頃俺の家でカス共が飲み残して帰ったウイスキーやら焼酎が部屋の隅に転がってるのを見て、好奇心でぐびぐび飲んでる。にしてもおもんなすぎやろこの趣味。爪とか見てた方がマシ。何の話をしよかな。そういえばこないだ四ステージ仕事があった。四ステージやぞ。漫才四本って。そない喋りたいことあらへん。後半喋ることが無さ過ぎて「まつ毛とか眉毛って伸びる長さに上限があるの不思議ですよね」っていう、あるあるネタでもない、小話でもない、三次会の宅飲みで最後まで起きてる奴らが無理矢理ひねり出した話みたいなのを舞台でして、滑った。噂によると一日十数ステージある先輩芸人もおるらしい。何喋んねん。多分最後の方変顔とかやろ。あとは普通に友達のお尻にロウソクの蠟を垂らして何滴耐えられるかとか、そんな感じですね俺は。あらゆる創作物を鑑賞、または創る時に必要以上の感受性や想像をあえて除去出来るというのは、人が人を想う気持ちを表現する上でこの上なく優れたシステムに思える。映画や音楽で描かれる二人の間には下心も嫉妬も打算もなく、現実では純度が高過ぎて存在し得ない誰かを想う気持ちだけがあって、俺はそれが好きです。「そこに愛はあるんか?」って広告が今流れたけど、そばに居ない時に一番その人の事を考えて、目の前で話していた彼女の一番素敵な表情や仕草を頭の中で繋ぎ合わせる一人の夜に愛はある。そういう願いにも似た、でも確かに実在する美しい君を閉じ込めた場所にある愛を保存したものが映画であり、音楽であり、詩やと思うな。マジでそういうの、ええっすよね。ほんまに綺麗やわ~。それ以外のことって、本来、どうでもいいんやろうな、多分。彼女が自分へ向けてくれた言葉や行動の意味を希望的に考えて、(もし、そうだったら嬉しい)と思う日々の先で、その祈りの答え合わせみたいに君に会う時間が永遠であって欲しいという願いの形。俺は二十歳超えたのに頭がまじで中二の女子やから好きな人の名前や住む街の標識を見るだけで心が世界を置き去りにして浮遊して、地上で最も汚い六畳間(扇風機の網の中にジューCラムネが入っている)で鳴らない携帯を見つめては自分が世界で一番不幸みたいな顔をしてしまう。何を見ても何をしても思考は中間項を飛ばして第二宇宙速度で大気圏を突破し遠い彼女の元へ向かってしまう。そうして何度も放たれる、届くことのない想いを乗せた光が星になってあなたを照らすんでしょうな。頭ぼーっとしてきた。ボボボーボ・ボーボボ(笑)。ちん毛。僕が君を愛しているのを君が知ってるのを僕は知ってる。赤髪のシャンクス。



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