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2024何5月1日 「外の世界を君に見せたい」

今回はどうして「書く」ということにこれほどこだわっているのかについて、掘り下げたいと思います。

今年度は仕事が減った!収入も減る!と、わーわー騒いでいた割に、
結局、仕事は現状維持どころか、増えており、収入はしっかり減っています。
ウケる。
いやウケている場合ではありません。
悲しみながら仕事を減らしたというのに、こんな状態に陥ってしまって、いいのでしょうか。
うん、
でもまあ、いい…いいことにします。
ここから本格的に減らしてやるからな!仕事!!と意気込んでいます。

しかし、それほど、
仕事が嫌いなのか問われれば「否」と答えるのが、己の不思議なところです。
おそらく、あまねく広くいる世の人の中では、かなり仕事が好きな方の人間なのです。
仕事に打ち込んできた時期が確かにあり、今だって、完全にそのモードをやめたわけではありません。
仕事をするのは苦しくて楽しい、ただどうせやるならできるだけ精一杯やりたい、そう思って仕事を続けてきました。
生活のための仕事ながら、
一方で、自分のやりたい仕事でもあるのです。
だから、「仕事嫌だ」と思うこと、呟くことがあっても、完全に仕事のない状態になりたいと思っているかといえば、はなはだあやしいのです。
この心には仕事に未練があります。
完全にやめてしまえそうにないもの、それが自分にとっての仕事です。

一方で、仕事を減らして自由な時間を作り、
「もっと書きたい」という欲もあるのです。
仕事をしていると、
仕事のことで頭が占められてしまい、
「書きたい」という欲があることさえ、しばらく忘れていました。
原因不明の不調や不満、くすぶった気持ちを抱えてきました。
書き始めて、それが「書きたい」ということだと、気づいたのです。
「ずっと書きたくて、くすぶってたんだ!」と。

今だって、
「何を書きたいのですか」と問われれば、「わかりません」としか答えられません。
でも、書かなばならないということだけは、確かにわかります。

先日、大河ドラマ「光る君へ」で主人公のまひろ (のちの紫式部)が「何を書けばいいのかわからない、だけど筆を取らずにはいられない」と言いながら、
筆を取っていて、こっそり胸を熱くしました。
ああ、それで良いのだ、と思ったのです。
文字を書くということは、ああいう衝動からで良いのだ、とあの場面は感じさせてくれました。
そして、「そう思うなら書け。書くしかないのだ」ということも。

noteで書いているような、食べ物や読書、映画について、
また日々あれこれ考えたことについてを書きたいのかと問われると、
それだけではないのだと叫び出したくなるような気がします。

これだけではない、もっと…うまく言えない何かがあるのです。
幼少期から自分の中に埋まっていて、外へ出ようとしているものがあります。
しかし、それは外へ出られません。
出口のない洞窟、もしくは迷路のような中をうろついて、咆哮しています。
もしくは、ただそこに、大きな存在としてあります。
それが何かはわかりません。
土器のかけらなのか、金塊なのか、古代生物の骨なのか、呪いなのか、油なのか温泉なのか、ただのつちくれなのか…。
いずれにせよ、この身のうちに、渦巻き、ずっとうまったまま、外を窺っているものがあります。
死ぬまでにはそれを出してやりたいのです。
…もしかすると、それを出してやれば、
今ある自分はいなくなってしまうのかもしれないのですけれど、
それでも埋まっている何かに外の世界を見せてやりたい、
そして、自由にさせてやりたい、と考えています。
埋まっている何かをどうやって、外に出せばいいのかわからず、うろうろしていたのですが、
結局、昨年夏に、
「下手くそでも、書くしかないのだろう」ということに、行きつきました。
どうして、書けば、それが外に出られるのか?、 その日はいつ来るのか?
一体、書くこととそれとはどんな関係があるのか?
正直なところ、まだ何もわかりません。
ただ、昨年の夏から、毎日、note記事を更新してみて、
「書いていくとそれを出す方法がある」というのは確かだろうと感じています。
それは以前より、外を感じられるようになっている気がします。
この身をそれに乗っ取られたような気分になることもなくなりました。
だから、おそらく、この方法が、正しいのです。
書いていくことで、それがこの身から飛び出せる可能性が上がっているような感じがします。

菅野よう子さんの「Blue」はまさしく、「自分が書くこと」についてのテーマソングです。
現在、新世代のアーティストMayaによって、新たにレコーディングされたバージョンが
CM曲として使用されています。

昨年末に、久しぶりに聞いて、「ものすごく好きな歌だった」と思い出しました。
繰り返し聞いているうちに、
自分が外に出したいと思っているそれは、
この曲が好きで、
この曲のようになりたいと思っていることがわかったのです。
自由になりたい、
誰よりも、何よりも、どこまでも自由でいたい。
そのためには、書く必要があるのです。
日常を、思考を、文化を、食べ物を、仕事を、運動を、憎しみを、ダイエットを、あらゆることを書いていくことで
それは自由になって行くのでしょう。
因果は分かりませんが、きっとそうなのです。
ですから、承認欲求がないわけではないですが、
他人の反応は嬉しいとは思いこそすれ
絶対ではありません。
この身のうちにくすぶり、うまるものを自由にさせるために、書いていくだけです。
いつか、それが自由になると良いと心から思っています。

ちなみに、今回の記事は、以下の星見当番さんの記事から刺激されて書きました。
こちらもぜひ、お読みください。
人がものを書くのには、それぞれ理由があるのです。
それが、とても面白く、美しいと思うのです。


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