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2024年5月14日 三毛猫あるいは許容量(キャパシティ)


ここ数週間で、近所で、猫を見かけるようになりました。
庭がある家、生垣のある家から、そうっと出てくるところを見かけたのです。
植物が茂っているところをかき分けて、音もなく姿を現しました。
慎重な性格のようで、周囲をぐるりと見渡し、警戒を怠りません。
猫というのは、足音も、物音もあまりしないものなのだなぁと感心して眺めてしまいました。

いわゆる三毛猫と呼ばれる猫のようで、白と黒と茶が絶妙に混ざり合った毛色です。
身体の大きさは、それなりにあったものの、毛並み、しなやかさ、顔の小ささから、さほど歳をとった猫ではなさそうに見えます。
一度だけ、目があった時、大きな黄色の目がこちらに向けられました。
目があったあと、猫はしばらくこちらを見たままじっとしていました。
こちらも、動かず、じっと見つめ返します。
綺麗な猫だと思いました。
怯えているというよりは、こちらを探っている眼差しでした。
もしかするとどこかの家では、食事やおやつをもらっているのかもしれません。
食べ物をくれるつもりなのか、意地悪をするつもりなのかを見極めたいと考えているような眼差しに思えました。
しばしの見つめ合い、終わらせたのは猫の方でした。
不意に、猫は、顔を逸らし、身を屈めて、家と家の間にするりと入って行ってしまいました。
動物なんて、どこにもいなかったような、いつもの町に戻ります。

こういう時、とても悩んでしまいます。
子どもの頃からの動物が好きで、何なら、共に暮らしたいという望みがあります。
子どもの頃なら、いちもにもなく、食べ物を持ってきたことでしょう。
しかし、今は、それが、「本当の意味で猫のためになるかわからない、むしろ、危険になることもある、その上、ご近所で問題になるかもしれない」ということをわかっています。
「うわーかわいい、猫に餌あげたい」だけだった子どもの頃は、あまりに単純でした。
そもそもあの猫が飼い猫か地域猫か野良猫なのかすらわからないのです。
もしかすると、最近では珍しい、外飼いしている猫なのかもしれません。
首輪は見えなかった気はしますが、そんなもの、つけるかつけないかは個人の裁量ですから、判断の基準にはなりません。
ゴミを荒らしていたのはカラスで、猫が荒らしたという話は聞きません。
だから、どこかできちんと食事をもらっているのかもしれません。
そうなると、外飼い猫もしくは、半飼い猫なのかもしれません。
地域猫として、不妊・去勢手術をしているのかどうかは、耳のカットでわかるはずですが、観察し損ねました。
耳にカットは入っていなかった気がします。
とはいえ。自分の観察力にそこまで自信はありません。
ただ、三毛猫のほとんどはメスですから、おそらくあの猫もメスであろうと思います。
メスならオス以上に警戒心があるでしょう。
そして、子猫を産む可能性があります。
そういえば数日前、少し向こうの通りで猫の声らしき、可愛らしい鳴き声が聞こえていたことがあった気がします。
他にも猫がいるのか、あの猫の鳴き声なのかはわかりません。
気のせいであって欲しいのですが…。
もしあの鳴き声が、オス猫であるとすれば、
この界隈はすぐにも猫だらけになってしまいます。
猫が増えるのは望ましい…わけでもなく、増えると嫌いな人も猫を認知するわけで、そうなると、猫と人、もしくは猫を守りたい人と猫を排除したい人の闘いになるかもしれません…。
ここは比較的、穏やかな地域ですが、戦いの火種が落ちているということになります。

しかし、
あの猫を捕まえて、地域猫にするとか、
飼いたいかと言われるとそれほどの熱意はありません。
熱心に保護活動をしている人からすると、腑抜けた態度と思われるでしょう。
猫の捕獲機を借りてきて、猫を捕まえて、譲渡するべきだ、と言われそうな気がします。
しかし、自分の生活の中心は、猫ではなく、そこまでの手間と手順を考えると腰が引けてしまいます。

結局、自分の動物好きはその程度なのだ、と思います。
真の動物愛護者ではないのです。
そういう自分にもやもやするものの、それが真実なのだと思います。

あの猫にもう一度会うことはあるでしょうか。
その時に、自分はどういう判断をするのだろうと考えています。
自分の許容量(キャパシティ)の中で、あの猫にできることはなんでしょう。
「許容量の中で」
そう考えてしまうあたり、自分はずるい大人だな、と思います。
自分の中には、あの三毛猫一頭分を受け入れるだけの許容量(キャパシティ)もないのかもしれません。
すぐには答えが出せなさそうです。


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