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無名人インタビュー:毒親と娘から呼ばれた人

シングルマザーのシングルってどういう意味ですか? 結婚をしていないって意味ですよね。これはマザーにはファザーがペアとしてあるんだけど、ファザーがいないからわざわざ[シングル]マザーって言葉を作ってるんですよね。何をしたって母親は母親だろうが。
もしかしたら無名人インタビューは、シングルマザーとのインタビューが多いのかもしれません。なんででしょうね。
SKYCHOPさん回をどうぞお楽しみください。

今回ご参加いただいたのは SKYCHOP さんです!
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1、SKYCHOP

qbc:どういうインタビューにしていきましょう?

SKYCHOP:20年くらい前からデジタルアートを描いてたんです。私は昭和世代で高校生の頃は部活一筋だったんで、まったく知識がなくて、だからデジタルアートがとても新鮮だったんですね。で、ハマったというか。それでずーっと描いてたんですけど。
2010年からアーティスト活動もしてて、熊本県の川原町にアートフリーマーケットがあるんですけど、そこに作品持って行ったりとか。3度目の結婚の時、実の父が癌になって介護しなきゃいけなくなったので活動自体はもう休止してるんですが。
それから、私は2回離婚して、3回結婚して、今3回目の別居中です。

qbc:ああ。なるほど。

SKYCHOP:で、別居して一人でいるわけではなくて、もう新しいパートナーと暮らしています。だからパートナーと籍は別で、世帯主は私です。
で、娘がいるわけですよ。私、この間おばあちゃんになったんです。娘が妊娠しちゃったんで。

qbc:はい。

SKYCHOP:なぜnote始めたかっていうと、Canvaを使うようになってアメリカのサイトとか、YoutubeでCanvaの公式サイトを見たんですよね。翻訳しながらブログとかも読んで。アメリカではCanvaを使ってスモールビジネスをしている人たちもいるんですよ。

qbc:あ、Canvaの収益だけでってことですか?

SKYCHOP:Etsyっていう海外のハンドメイドサイトで、Canvaのテンプレートが販売されてるんですよ。こういう形があるんだったらってCanvaを始めたんですけれども、やればやるほど面白くて。
最初は遊び程度に思ってたんですけど、動画も作れるし、一時期フリーランスでライターの仕事もしていたので、クラウドワークスとかランサーズも登録してるんですけど、動画編集の案件って多いんですよね。
自分がデザインしたCanvaのテンプレートを発信していって、一年後にはどうだろうっていう感じの挑戦してるわけですよ。

qbc:スカイさんて呼んだらよいですか?

SKYCHOP:SKY、CHOPでいいですよ。空手三段でCHOPが私のニックネーム。

qbc:空手三段なんですか。SKYはどこから来たんです?

SKYCHOP:SKYは空ですね。本当はCHOPっていう名前で活動してたんですよ。今三度目の夫と別居して別々に暮らしてるんですけども、同じ地元なんですよね。
3番目の主人はギタリストで、地元に知り合いが多くて、CHOPって名前で発信しとると「あの家出した奥さんやん」って言われるんです。それが嫌でSKYをつけてるんです。
空を見あげれば空は一緒じゃないですか、誰が見ても。空を見あげたら繋がっている。万国共通っていうか。空を見あげたら一緒で夜空も月も一緒で、だからSKYCHOPってしたんです。
空手三段っていうのは高校の時からずっと空手やってて33歳までやってました。

qbc:すごい。

SKYCHOP:短大二年間やってその後卒業して地元に帰ってきて。知り合いのつてで、8年ほど子供達にボランティアで空手教えてました。最初二段だったんですけど、空手教えてる間に三段取りました。
教えてるから、やっぱ自分も型とか精進しないといけないじゃないですか。ボランティアといっても一応先生だから。でそうしてたら三段受けないかって先輩師範に言われたんで、もう30だけど受けてみますって言って一から勉強して、筆記試験も受けて三段取りました。なんでそれもあってCHOPなんですよね。
もう高校3年間っていうのがずっとそれ一本だったんです。思い出って言ったら空手の道着をバッグに詰めて遠くは埼玉、南は沖縄まで。夜行列車に乗って水戸だったかな、インターハイで行ったり。
強豪校だったので高校1年の時には補欠でした。でも2年、3年はレギュラーで。高校3年の時はまぁ負けず嫌いだったんでインターハイで個人で準優勝して。そんな感じですね。

qbc:子供時代はどういったお子さんだったんですか?

SKYCHOP:いじめられっ子だったみたいです。変わってたから。兄が一つ違いで、なぜか小中高一緒だったんですよ。だから小学校中学校の頃はずっとついて歩いて回ってたんですね。
兄の友達は男ばっかりなんで、女の子と遊んだ記憶があまりないんです。それで多分女の子の友達に免疫があんまりなかったんですよ。小学校、中学校に行ってもほとんど部活。学校行って部活して帰ってくるだけで。

qbc:大人っていうか大学とか、その後のことは?

SKYCHOP:短大に行ってからもやっぱり空手部で。私は短大に推薦で入って、体育の教員免許を取るっていう課程のカリキュラムで。もうほとんど教育実習とかを、二年間詰め込まれました。
周りはみんな、熊本県内の有数のインターハイに行ったりとか、成績を上げてきた子ばっかりで。それだけじゃなくて県外からもそういう子たちが多数来てたんで。だからみんなほら、個性が強いんですよ。インターハイで優勝したい、県外で成績を上げて来た男女がいっぱい揃うわけじゃないですか。
本当に目立ってましたね、短大で。ジャージ着て学食入ってご飯をくうっていうのが当たり前だったんで。ジャージのままご飯食べてそのまんま体育館に行って授業を受けてっていう感じでしたね。そんな感じが短大時代。でもやっぱ教育実習は地元に帰ってくるので、地元で教育実習して。

qbc:で教員免許を取ったと。

SKYCHOP:取った。取りましたよ。頑張って。学校の先生になりたいという気持ちで、二年間学校の教育実習や内容やら受けて。でも教員採用試験を受けて落ちちゃったんですね。普通ならば教員浪人っていって、一年またその後に受けるパターンが多かったんですけど。私は働こうと思って、地元の企業に就職したんです。

qbc:そんなに先生になりたいわけじゃなかったの?

SKYCHOP:先生になりたいというよりは、自分がこうなりたいっていうものになりたかったっていうか。
高校の時に、毎日サンドバッグを部活が終わってそれから、帰るまでに突いて試合のイメージトレーニングして、毎日一時間二時間残って、遅い時はもう真っ暗になるまでやってたんですよね。それが嫌じゃなくて。毎日それを続けることが何に繋がるか分からなくても、ただがむしゃらにそれをやってました。そしたらたまたま県内大会の新人戦で準優勝しちゃったんです。先生とか師範達に「おまえ頑張ればいいとこ行くかもなあ」って言われて、『そうなんだ』って。やってきたことは間違いじゃない、じゃあこのまま頑張ろうと思って。そしたら高校3年の最後インターハイに出られたんですよね。だから自分がなりたいって思ったことは、結果が自分で残せるんだってその時に思って。

qbc:実際すごいですよね。才能があったってことですよね。

SKYCHOP:じゃあ体育の先生になりたいと思ったら自分はなれるかもしれないって思って。それで行ったけど、教員採用試験に落ちて。実家の両親は、すぐ帰ってきて地元で警察官になれ、自衛隊に入れって言ってました。レールが目の前にあって、父から俺がコネで入れてやる、口利きしてやるって言われたけどそれがすごく嫌でした。自分で自分の道は見つけたいと思って就職活動したんですね。
そしたら大手の車会社にちょっと明日すぐ会社おいでよみたいにまだ学生の頃に言われて。行ったら社長がいて、うちの社長ですって紹介されて。なんだかんだ話してたら何か帰り際に4月新規入社としてうちに来てくださいって言われたんで。「あっそれでもいいか」って思って就職したんです。

2、結婚、結婚、親、夫、子ども、彼女、弁当、家、柱

SKYCHOP:人生って、なれたからなれるってわけじゃなくて。なれてもなれてないんだなって思います。たとえば就職はそのひとつの例で。
私、いい母親になりたい、いい人間になりたいと思って結婚したんです。一番覚えてるのが、最初の夫に「百年の恋も冷めた」って言われたことがありました。
出産して子育てしてたぶん疲れてたんですね。高校卒業したらほとんど親元から離れて暮らしていたんで、手探りで子育てしてて、床の上に大の字になって寝てたらしいんです。それを見た最初の夫に「百年の恋も冷めた」って言われました。
でもそれって、浮気した後のいいわけですからねw

qbc:どういう意味? 浮気されてた?

SKYCHOP:そうですね、浮気されてました。まだ娘が生まれて4ヶ月か5ヶ月の頃。それから家に帰って来なくなりました。娘が生まれて6ヶ月くらいで。

qbc:浮気したってのは後で分かったの?

SKYCHOP:車で職場に行って、娘を車のベビーシートに乗せて帰りを持ってました。そしたら分かりますよね。他の女の人乗せてどっか行っちゃいました。その女の人は、夫と同じ会社の人だったんですよ。
一番嫌だったのは浮気したあと私と向きあうのではなくて自分の親のとこに逃げたっていうのが嫌で。離婚する、お宅の娘さんはもう返ししますと言ってきたのは元夫じゃなくて元夫のお父さんたちだったことです。

qbc:なになに? どういう? 元夫のご両親が言いにきたの?

SKYCHOP:そうです。向こうの両親が、私の親に言ってきたんです。だから、本人から浮気してごめんっていう言葉も聞けませんでした。だから向こうが、もうお宅の娘さんをお返ししますって。うちの息子には合わなかったんですけん!みたいなことを言われたって母が言ってましたね。

qbc:まじかー。クズだなあ。

SKYCHOP:それからね実家へ帰りました。だって当時住んでいたマンションはその元夫が契約していて、すぐその月で解約されたので、子供が1歳、2歳のころ、180センチあるうちの実の父が娘を連れて幼稚園に行く姿が私の中では記憶に残ってて。すごくかわいがってくれたんです。
でもやっぱりまわりってそういうのってほっとかないんですよね。子供さん小さかけん再婚したら~って言って。
当時、私は娘を両親に預けて働いてて。やっぱりシングルマザーで仕事しながら子育てするっていうのは結構大変で、両親がいたおかげで娘の幼少期は本当に良かったなーって思うときもあります。

qbc:はい。

SKYCHOP:まわりが結婚しなせーって言っていろいろ話を持ってきて、二番目の夫とのお見合い話があって。会ったらすぐぜひ嫁に来てくださいって言われました。半年ぐらいはお付き合いさせていただいたんですけど。いきなり3回目のデートくらいで向こうの兄弟と家族全員が揃ってて「何?」って思ったんですけど。相手の息子さんもいて、・・・・。強引だなーと感じましたけど。なんだかその強引さがその時は「魅力に思えたのかなあ」

qbc:はいはいはい。

SKYCHOP:娘に父親は必要かなーと思って結婚したんです。でも相手にも中学生と高校生の子供さんがいて。私は30代で中学生と高校生のお母さんになっちゃったんですよね。
それで二番目の子がヤンキーでした。

qbc:中学生のほうの子ってこと?

SKYCHOP:そう。学校は早退するわ、バイクは窃盗するわ、髪の毛は緑とかピンクに染めるわ。でも良い母親になりたいってすごくがんばりました。そうかとしたら長男が高校生になって、一年ぐらいしたら彼女ができて。お互いに境遇が似てたのかすぐ付き合いだして、彼女が私の家に転がりこんできました。「俺の彼女やけん一緒に暮らす」みたいな。だから私が31歳ぐらいで食卓にお弁当を作る数は、息子2人と主人、自分、それと息子の彼女の分で5つ作ってました。朝から5つですよ、お弁当。それをずーっとやってたんです。

qbc:なんかもーよく分からんですね。

SKYCHOP:でも何だろう? ある時になんで私がこんなことしなきゃいけないのかなとか思ったりとかして。でもやっぱり自分が選んだからと思ってがんばってました。
二番目の夫はお母さんがとても強い人で、自分で商売もしてらっしゃってました。整体師で、けっこう遠いところから噂を聞きつけて治療にくる方もいらっしゃいました。もともとダムの近くに家があってすごく近隣のにぎやかな場所から離れていたので、それに
有名な野球校の選手とかが来るような整体師さんだったんです。それで、やっぱり整体の商売やる以上はもうすこし都会に行こうってことで家を建てることになって。

qbc:うん。

SKYCHOP:そのときにですね、柱にちょうど一番てっぺんの屋根柱っていうのがあって、そこに名前を書いたんです。家を建てるときは、その家の中心にその世帯主と家族の名前を書くらしいんですよ。でもそこに、その二番目の夫と義理の息子二人の名前は書いてあるのに、私の娘の名前は書いてなかったんですよね。だから聞いたんです。「どうして私の娘Mちゃんの名前は書いてないの?」って。
彼の答えが「どうせMはこの家を出ていく」って。嫁に行く人間は名前を書かなくていいって言われたんですよ。

qbc:ん? CHOPさんとCHOPさんの娘の名前が書いてなかったの?

SKYCHOP:そう。「なんで書いてくれんかったの? 同じ家族じゃん」って言ったら、その時に「どうせ他人の家に嫁ぐ人間でこの家ば出ていくけん」って。私の娘は、彼にとって義理の娘ですよね、連れ子だから。「名前は書かん」「いらんけん」って言われたんですよ。その時に、すごい足元がガラガラって崩れ落ちたんですよね。

qbc:はい。

SKYCHOP:私は家族になりたくて、二度目の結婚したんですけど、私のすぐ隣にいるこの人にとって私は妻じゃない。ましてや愛する女としているわけでもない。お手伝いさんが欲しかったんだなと思ったんです。誰かに言われるわけでもなく、誰かにさとされるわけでもなく、もう分かっちゃったんですよ。あー私はお手伝いさんとしてここに来たんだなって。
その時にまるで小説の一節みたいに「そうだな。Mの名前も入ってるぞ。これから家族で頑張ろうな」って言われたら違ったかもしれない。
でもそこから私の血のつながりのあるたった一人の娘を家族として受け入れてくれないという事実が私にはとても悲しかったんですよね。「なんで?」って。

qbc:娘だけじゃなくて、自分の名前も書いて欲しかったでしょ?

SKYCHOP:書いて欲しかった。でも世帯主の名前を書くもんだからって言われたから。世帯主っていうのは要は彼の息子たち2人ってことですよ。だからこの家は自分の息子たちのものになるっていう意味だったのかなと思って。それは古い風習だから分からない。
でもこれから何十年もローンを払っていって新しい家に家族として頑張っていこうっていう頭では考えても、建ってる最中にそういうできごとがあって。私、鬱になっちゃったんですよね。
覚えているのはハルシオンを5粒ぐらい飲んだんです。

qbc:ハルシオンって今は飲んじゃダメなやつでしたっけ?

SKYCHOP:うん。当時の話。青いやつね。それで廃人になりました。
3日ぐらい目が覚めなかったみたいですね。実はうつ病になって精神病院からハルシオン半分とこの薬を飲みなさいって、かかりつけの精神科医さんに言われたんですよね。それを一気に確か2粒ぐらい飲んで、効かなかったから3粒。合計5粒ぐらい1日で飲んで、意識無くして。

qbc:うむ。

SKYCHOP:私、まだ小学校だった娘に申し訳なかったなーって思う。記憶がどこまで残ってたか分からないけど。それから目が覚めて起きてたんですけど歩けなかった。今でも覚えてるのが足を出すじゃないですか? そしたら足のちょうどくるぶし、膝の下からくるぶしのこの足首の感覚がぐにゃって曲がるんですよ。要は足をついて床の感覚って分かるじゃないですか。それがないんですよ。だから歩けなかったんですよ。立てない歩けない。
薬の影響だっていうことで、その薬の影響を抜くためにいろいろ飲まされましたね。いろいろ神経とかリンパに注射したりとかリハビリしたりとか。
まあでも奇跡的に元には戻ったんですよ、今こうしてここにいますからね。

qbc:いつごろなんです? それ。

SKYCHOP:30代。27の時に娘を産んで半年ぐらいで離婚して、再婚したのが28、29、30ぐらいだったから。31、2ぐらいの時かな。それでもね、がんばろうと思ったんだけど、一回そういう風な精神になると、怖いんですよね。
それでもやっぱ生きていかないといけないから、心配かけてごめんねって言ってまた相変わらずお弁当作ったりご飯作ったりしてたんですけど。結局いろいろあって二番目の夫とも離婚しました。
二回目の主人だった彼は、私が鬱になって頭がよく回ってないころに仕事を辞めてたらしくて。「なんで会社辞めたの?」って彼のお母さんに聞いたんです。そしたら自分の仕事の跡を継がせるためにカイロプラクティックの勉強させるから、熊本の学校に行かせるって話になってて。そうなんだって、じゃあ応援しなきゃと思って、彼の分もお弁当作って毎日今日も頑張ってねって。
そしたら半年ぐらい経って、学校行ってなかったってわかったんですよ。半年間も。

qbc:旦那さんも同い年ぐらいの人?

SKYCHOP:最初の夫が7つぐらい上で、二番目の夫は多分もうちょっと上だった。子供さんが中学生だったから。40代だったかな? ごめんなさい、もう覚えてない。

qbc:じゃあ年上だったんだ。

SKYCHOP:しかも私に内緒で借金もしてたの。「なんで学校行ってないの? お弁当はどうしてたの」って聞いたら、「毎日ちゃんと食べて空にして持ってきよったろうが」ってそういう風に言われてどう返せばいいんだろうって思うじゃん。
「そういう問題じゃない、なんで嘘つくの?」って。そういうやり取りをしばらくしてて、多分もうお互いもうよかって思ったんだ。だから家が新築してからまだ一年も経たないうちに私は離婚したんですよ。その家を出たんです。

3、毒親

qbc:三人目の夫さんは?

SKYCHOP:ギタリストです。私、33で二番目の夫と別れてずっとシングルマザーだったんですよね。

qbc:実家は帰んなかったの?

SKYCHOP:実家は帰らしてくれなかった。

qbc:ええ?

SKYCHOP:2回目の離婚したから家にはおけんけどって言われて、親戚筋を頼って隣町の団地に住んでました。生家の両親からしたら車で行ける距離。

qbc:まじか。なんだそれ。

SKYCHOP:パンの耳とか食べてた、お金がない時。やっぱりもうお金は足りなくて。親からは野菜とか米を援助してもらって。でもやっぱり一人で子供を育てると寂しいんだよね。一人、娘の寝顔を見ながらボロボロ泣いたりとかさ。
そういう時に三人目の夫にたまたま出会って。これで最後、最後で3度目の恋だろうと思ってた。

qbc:うん。

SKYCHOP:でも今は別居してもう4年になるんだけど、まだ離婚してないのよ。本当にもう歩いて行っても会える所にいるんだけど。一人娘はもう長い間その三番目の夫と一緒に暮らしてたから、本当のお父さんって思ってる。
で、お父さんには今付き合っている人の子供ができたって話したって。
私の今までの人生ってなんだろうと思って。ちょっとせつなくなった。
娘とは絶縁してたけどここ一年か半年ぐらいやり取りしてて、好きな人ができたよーって言って。私は応援したかった。

qbc:なるほど。

SKYCHOP:娘は小さい時から何度も離婚されて、お兄ちゃんできたけどいなくなって、今度は三番目の夫ができて。中学校の時に引きこもりにもなったんです。小学校5、6年生から3年間ぐらい学校行かなくて不登校で。その時の娘の言い分が「お母さんの道具じゃない、私は」。そして今度は子供が生まれる。
私は彼女に何をしてあげられるだろうと思って、一生懸命歩み寄ったんだけど、このインタビューが決まる直前に「お母さんは毒親、私の毒親だよ」って言われたんだよね。毒親っていう言葉を私は知らなくて検索したらいろいろ出てきて。
私は暴力は振ってないし、彼女をがんじがらめに縛り付けたつもりもない、だけど娘に「私たちは普通の親子ではなかった」って言われたときに、普通の親子ってじゃあなんだろうってすごく考えた。

qbc:うんうん。

SKYCHOP:娘から「お母さん子供できたよ。産まれたら見せるね。会いに来てね」って言いたいけど言いたくない、って言われたんだよね。
「なんで?」って聞いたら「だってあなたは私の母親じゃないから」って言われた。そのやり取りをする度に、私の選択があのとき違ってたらどうなの? っていうのはいつも考える。

qbc:うんうんうんうん。

SKYCHOP:だからそのなんだろう。人生ってなりたいものになれるからなれるわけじゃなくて、どこかでこうなりたいって自分の居場所を探してる。でもどこかでいやこうじゃなかったとも思っていて、その中ですごく心の中がジーンとしたりとか、娘と会話してる時もジーンとしたり。そういうのって、自分が残していかないと思い出せない。この時こういうことだったなーってことを。

qbc:はい。

SKYCHOP:何を言いたかったのかよくわかんなくなってるんだけど、ただ、なりたいものになれるっていうのはやっぱり自分のその覚悟なんだろうなと思ったよ。覚悟。どんなことがあっても曲げない覚悟。
その覚悟を維持するために、どっちかを犠牲にして手に入れられるものじゃなくて、どっちもお互い、色で言ったらオレンジ色で黄色であったかい色で、お互いにそういう色で終わって、どっちも犠牲にならない唯一無二のものが手に入れられればいいな、これから先、って私は思ってる。

qbc:インタビューで、毒親って呼ばれてる人、呼んでる人、両方から話を聞くんですよ。
すごい攻撃的な言葉だよね。毒親って。人を傷つけることが前提の言葉。
そういうことを口にすることで呪いのエネルギーは得られますよ。負けてなるものか! みたいにさ。でも、それってなんなの?

SKYCHOP:それは私も分かる。他人を否定してるってことは自分を否定してるってことだと思う。
人を愛するって難しいけど、よく母に言われてたことが「相手を変えようと思いなすな」って。「相手を変えようと思っても辛いだけだ。自分を変わんなっせ」ってよく言われたの。

qbc:うん。

SKYCHOP:娘からはこう言われる。「お母さん、愛するより愛されようよ。愛するのは簡単だよ。でも愛されるのって、100万回愛してるって言うよりも難しいんだよ」って。この言葉はよく覚えてて。
「愛するのは簡単。でも愛されるのにはその中に信用だったりお互いの人間関係だったり積み重ねだったり、それがないと愛されないんだよ」って娘に言われて。その言葉を聞いたのはもうもう数年くらい前で、その言葉を娘に言わせたっていうことがね。
でもそれでも愛されるためにどうしようっていうことを考えたことがなくて。だからそういう風に思うと、この今の私の51歳だけど、これからの何年間が本当に自分らしい生き方を探せる時間なのかなって思っています。

qbc:ありがとうございます。最後に、言い忘れてしまったことはありますか?

SKYCHOP:もし誰か一緒にいたい人がいたら、難しいけど手を握ってるだけでもいいと思うよ。

qbc:そうだね。

SKYCHOP:うん。手を握ってあげてるだけでも。最近年を取って思うのは、父や母の温もりはもう今しかないんだよね。じゃあまたねって言って別れた先に、もし本当に永遠の別れだけが残ってるとしたら、今しかないじゃん。
そう思ったら多分選択肢は広がると思って。だから今度もし両親に会えたら、私は多分めちゃくちゃに走って抱きしめるだろうなって、自分の中で決めてる。
それは今のパートナーに対してもそういう風に思ってる。

qbc:ありがとう。

あとがき

その後、私はSKYCHOPさんと何度かスカイプで話したり、やりとりを何度か交わした。
なんとなく連絡を続けたのは、私の昔の恋人がSKYCHOPさんの住む熊本県の町の近所だったからだと思う。なんとなく気になってしまった。まあ、あとは私がまったく家族と疎遠だからなのかもしれない。
どうして人間は、自分の知っていることをよすがとして新しいことを知ろうとするのか。
もうそりゃ本能と言うしかないか。

ひさしぶりにSKYCHOPさんのアカウント見たら元気にCanvaで母の日の動画を作っていた。有料サークルもはじめたらしい.

サークル

あとついでにCanvaの中の人見つけた。

そして、女性が企業した会社だったんですね。

編集協力:有島緋ナさん 白原すみさん

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