【海士町】海士町に帰ってきてゲストハウスを始めようとしている人
泊まる場所がない泊まる場所がない泊まる場所がない!
ってけっこう困るんですよね。昔、大阪に仕事で主張で宿泊することになったんですが、なんかね、何かのイベントの時期らしくて、大阪駅近辺がぜんぜんホテル取れなくて、途方にくれたことありますね。結局、USJ目の間のホテルに泊まることになりました。なんかもう、ホテル自体がテーマパークのモチーフで装飾されたところで、部屋のインテリアももちろん子供が喜びそうなところだったのね。
外から来た人にとって、泊まる場所って大切なのよねって。
なんだろね。案外ホテル、旅館、宿泊場所にいる時間って、仕事にしろ観光にしろ、少ないものなんですけどね。それだけ、食事する、入浴する、眠る場所って大切なのかもねー。
昔、新婚旅行がハワイとか、海外大好き好き期だった時に、異国のホテルのインテリア見て、こういう部屋に住みたい! て需要が生まれたって話もどこかで聞いたことあるし。それだけ旅というものには、魔力が宿ってるのかもしれないですね。
日常から離れ、未知の世界にふれるときの、気持ちと神経の鋭さっていうか、その時に見聞きしたものって、やっぱどすん! と自分の世界に入ってくるのかもね。吊り橋ドキドキ効果にどこか似ているのかもしれないですね。恋愛?! まあなんて脱線!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
この記事は「無名人イン旅ューin海士町」で実施したインタビューです。
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今回ご参加いただいたのは ゆか さんです!
現在:「夏休みは〇日間」みたいなのが、すごい苦で。「なんで夏休み決められないといけないの?」って。
toki:今、ゆかさんは何をしている方ですか?
ゆか:今は、世間で言ったらニートってやつですかね。収入は安定してないし、どこに所属してるわけでもない。
とりあえず海士町に帰ってきて、家業が運送屋なので、トラックで魚運んで、ここの港から本土まで届けるのを、漁があれば手伝ったり、親が最近「島のお母さん」っていうのをやってるので、その仕事があればその手伝いっていう感じですね。
toki:いつ頃から今のような生活になりましたか?
ゆか:去年の8月、9月ぐらいにこっちに帰ってきて。帰ってきたのが突然で、ここに住みたいとは思ってるんですけど、ここでどっかの組織に所属することはないだろうなと思って。それで今、離島とかの補助金を使って「自分でやろう」って思って、そっから準備して、計画して、申請して。今、その申請の合否待ちって感じです。
toki:海士町ご出身なんですよね。
ゆか:そうですね。高校卒業と同時に、大体18歳で島の子は本土へ出るので。
toki:ゆかさんも同じように?
ゆか:そうですね。島前高校卒業して、島を出て、帰ってきたって感じ。
toki:去年(2023年)の8月、9月ぐらいに帰ってきたのは、どんな理由からだったんですか。
ゆか:本当は、今年(2024年)の4月には帰ってこようって思ってたんですけど、それがちょっと早まったって感じですね。
でも、帰ってきたタイミングも、補助金の申請が、11月から12月までだったんですけど、それまでに帰って来れたので。帰るのは突然決まったんですけど、ちょっと早く帰ってきてよかったなって思いますね。
toki:最近の1日の流れについてお伺いしてもいいですか?
ゆか:1日の流れは、本当もう「ザ・自由」って感じで。他の人からしたらプー太郎みたいな。自分でもそう思うんですけど。
魚があったらトラック行くし、今日はジャガイモ植えてきたんですけど。特に、ここに所属して仕事してますっていうのがないので、自由気ままにやってますね。
toki:その日やることはその日に決めてる感じですか?
ゆか:はい、そうです。
toki:運送の仕事は、トラックご自身で運転されるですか?
ゆか:そうですね。母親も免許持ってるんですけど、私も持ってて。動かしてますね。
toki:免許は家業を手伝うために取ったんですか?
ゆか:そうですね。でも、別にトラックだけをやりたいわけじゃないので、いつか役立つかなと思って。でもあんなのは、お金払えば誰でも取れるので(笑)。
toki:あと、親御さんが「島のお母さん」をやってらっしゃると。
ゆか:「島のお母さん」っていうのは、“何でも屋”みたいな感じなんですけど、対象はおじいちゃんおばあちゃん。1人で暮らしてる人の買い物に行ったり、ホームヘルパーさんができない仕事をやらせてもらったり、島外の施設にいる方のおうちの掃除したり。
toki:ゆかさんも、そのお手伝いをされていると。
ゆか:そうですね。
toki:いかがですか。島のお母さんに関わらず、ここ最近の自由気ままな生活は。
ゆか:まあ実家があるからできる暮らしなので。
補助金で、新しくゲストハウスでやろうと思ってて。自分が主体となってできる仕事なので、色々わくわくしてますね。
toki:さっきあった補助金のお話は、ゲストハウスに向けてのものだったんですね。
ゆか:そうです。ゲストハウスというか、泊まるところですかね。少なくなってきてるし、でも海士町に来る人は結構いらっしゃる。っていうのを聞いて「じゃあやーろう」みたいな。そんな感じです。
toki:離島の補助金っていうのは、どういった種類の補助金なんですか。
ゆか:申請しているのは、国から出てる、離島の雇用を拡充しようみたいなやつで。離島ならではの補助金なんですけど。
元々空き家っていうか、あるものを使って何かしたいってずっと思ってたんです。それで建築の学校に行ったりして。で、こっちにポンっと帰ってきたら、「空き家あるけど」って、話を回してくださって。最初は賃貸もいいなと思ったんですけど、とりあえず自分の職場を作ろうと思って。じゃあ民宿、ゲストハウスにしようって思った感じですね。
toki:なるほど。ありがとうございます。
ちょっと話変わるんですけど、趣味や好きなことって何かありますか?
ゆか:料理、好きです。
そんな小洒落たものは作れないんですけど、おじいちゃん漁師だったし、トラック運送で結構魚とかもらってたんで、それをさばいたりとか。あと家族も多かったので、大量に作るみたいなのはすごい好きで、やってました。
toki:よく作る料理とかありますか?
ゆか:カタカナの横文字のちょっと洒落たもの以外だったら、なんでも。
toki:料理って、何を作るか考えるとか、作ってるときとか、それを食べるときとか、食べてもらうときとか、色々なフェーズがあると思うんですけど。どの瞬間が一番好きですか?
ゆか:考えたことなかったですけど、なんだろうなあ。
もうとにかく食材が多いんですよね、ここって。東京にいたときは、スーパーの買い出しからスタートなんですけど、スーパー行くのも、徒歩かバスかとかで、全然料理する気も起きなかったんですよ。
だから、自分のために作るってよりは、食べてくれる人がいるから、大量に作るっていう感じで。畑もあるし、野菜もゴロゴロしちゃってるので、あるもので何か作る、みたいなことが好きでしたね。
toki:じゃあ、本土にいるときは別に料理はしなかった?
ゆか:全然しなかったですね。1人のために作るって、全然嫌でしたね。
toki:そうなんですね。
さっき、家族が多いってお話がありましたが、家族構成ってどんな感じですか?
ゆか:姉が2個上にいて、私で、2個下に弟がいて、お父ちゃん、お母ちゃん。祖父母も一緒に暮らしてて。という感じで、大所帯でした。
toki:ご家族はそれぞれ、何されてる方なんですか。
ゆか:姉は本土に行って、看護師として今働いてて、結婚してママになって。弟はよくわかんないんですけど、生きてはいると思います。
toki:一緒に住んではない?
ゆか:はい。愛知だったかな。多分そこにいると思います。弟もいずれ帰ってくると思うので、一緒に何かできたらなって。
toki:お父さんとお母さんは島ご出身ですか?
ゆか:お母さんは島で、お父さんは北九州から来てますね。
toki:どこで出逢われたんですか?
ゆか:病院ですね。母が本土の病院で働いてて、実習のときに、バイク事故で運ばれてきた患者が父だった、みたいな。
toki:へえ〜! で、結婚して、お父さんは海士町へ来たと。
ゆか:はい。18とかで来てたと思う。今じゃ考えられないですけど。もう今の私の歳(26歳)で、第三子の弟が生まれてたので。
toki:ありがとうございます。
先ほど、料理がお好きとおっしゃっていましたが、反対に、嫌いなこと、ものって何かありますか?
ゆか:いっぱいありますね、それは。多分、人の言うことを聞くのがちょっと苦手っていうか、出来ない。ちょっと克服しないとなっていうのはあるんですけど。
社会人1年目になったときに、会社に入って、こういうの向いてないんだなって思いました。縛られるじゃないですけど、ルール、マニュアルみたいなの。
例えば「夏休みは〇日間」みたいなのが、すごい苦で。「なんで夏休み決められないといけないの?」って。でもそれは、普通の社会人からしたら当たり前のことだって言われて。「じゃあ私がおかしいんかな」みたいな。だから、会社に属すっていうのは、自分の中では難しいかなって。
toki:「なんで人に決められないといけないの」っていう感じですか?
ゆか:そうですそうです。ここにいる限りは、「何日から何日」とか、「7日間」とか、決められないといけないと思うと、えー苦しいって。シフト合わせて、何日から何日みたいな。やだやだーって思ったのは、すごい印象に残ってます。違和感じゃないけど、自分で決めたいなって思っちゃいます。
だから多分、自分に決定権がないのが苦手。すごい苦しくなっちゃう。
toki:それは、島に帰ってきて、どこかに所属する気がないっておっしゃっていたことも関係してますか?
ゆか:そうですね。大学生の時から今まで、10何個ぐらい、アルバイトも正社員も含めてやってるんですけど、そういうのを通して、やっぱり属するのは難しいんかなって思いました。
toki:では、得意だなと思うことってありますか。
ゆか:得意なこと、なんだろう。あんまり考え込まない、ですかね。やってみて、だめだったらやめればいいんじゃないって。そういうのが得意というか、たまに大事な時はある。でもよく「考えろ」とか言われます。
toki:最近って覚えてる限りで、あんまり考えないでやってみたなってことはありますか?
ゆか:それこそゲストハウス。「あ、いいじゃん。やろう〜」みたいな感じなので。
自分に民宿って経験がないので、周りからしたら、もっと修行したり、色んなところに視察行ったりすればって。「大丈夫なの?」「順番違うんじゃない?」って声が結構ありますけど。「いいじゃん、やろうよ!」みたいなのはありますね。
toki:そうやって色々言われると、どう思うんですか?
ゆか:島ならではですよね〜。聞きたい情報と聞かなくていい情報がいっぱい入ってくる中で、どれを聞いて、どれを流してっていうのは、今すごい訓練中ですね。
聞き流すっていうのが自分には全然足りなくて。言われたことに対して「は?」って言っちゃうんですけど、でもそれは、この人に説明してもわかんないんだから「そうだねー」って、右から左に聞き流す力が重要なんですよ。帰ってきて本当に思います。島だとみんなが知り合いだから、いいこともあるし、悪いこともある。
toki:色々な情報が入ってくる中で、どういう言葉だったら、聞き入れようってなるんですか?
ゆか:本当に自分勝手なんですけど、「この人だから」というよりは、「この意見が欲しかった」っていうのだけ聞いてると思います。自分を押してくれる意見。「それ危ないんじゃないの」みたいなのは、ノイキャンしてます。
toki:なるほど。そうなんですね。
ゆかさんは、周りの友達とかご家族から、どういう人だね、どういう性格だねって言われることが多いですか。
ゆか:「わがままだね」って。「人の話を聞かない」っていうのめっちゃ言われます。よくないんですけどね。
toki:言われて、どう思います?
ゆか:ああ、そうだなって。
自分では、「直した方がいいな」って思うときもあるけど、「いやいや、自分の意見も大事じゃない?」って思う時もあります。人に言われてやることじゃないし。
toki:自分では自分のこと、どういう人だなって思いますか?
ゆか:なんだろうなあ。保守的じゃないなって思います。良くも悪くも。
周りが結構保守的な人が多いんで。まあそりゃそうだろうなと思いますけど。私は、良くも悪くも、守るものが何もない。例えば姉だったら、息子も生まれて、旦那もいて、守るものがあるので、保守的には絶対になると思うんですけど。私は特に、今守る存在がいないんで、自分のやりたいことをやれればいいかなって思います。
過去:島にいる時は、「なんでここに生まれたんだろう」ってずっと思ってて。
toki:小さい頃は、どんなお子さんでしたか?
ゆか:もう小学校の頃なんて、クソガキでしたね、本当に。自分でもよく覚えてます。
toki:どういうところがクソガキでしたか?
ゆか:とりあえず、力づくでまとめるみたいな。ガキ大将というか、自分はそんなに目立つのが好きじゃなかったんですけど、でもまとめ役ではありました。
例えば、鬼ごっこやるってなったら、「やるぞ!」って自分でばーっと人を集めて、力ずくでやらせてた記憶があります。
だから、小学校の同級生は、今でも仲いいんですけど、「ほんとやばかったよね」って。「暴れ馬」だって。本当にその一言でした。
toki:目立つのが好きじゃないけど、まとめ役になるっていうのは興味深いですね。
ゆか:色々言われるし、目立つの本当に嫌だったんですけど。でも、誰かがやんないと、ばあーってなっちゃうし、私が鬼ごっこやりたくても、集めてくれる人がいないから。だから自分がまとめた記憶があります。
「ボス」とかずっと言われてて、それもすごい嫌で。誰もやってくんないからやってるだけなのに。
toki:じゃあ、暴れようと思って暴れてたわけではないんですね。
ゆか:そうですね。結果「暴れ馬」なんですけど。
男でした、本当に。ドッヂボール大好きだし、活発っていうか、スポーツ大好きで、みんなにボールとかぶち当てまくって。図書館にいる女子とか、もう全然意味がわかんなくて。「遊ぼうよ!」みたいな。そういうのを押し付けてました。
toki:小学校の頃、印象に残ってることって何かありますか。
ゆか:もう全部印象に残ってるんですけど。
小学校、スポーツ大会が結構多いんですよ。陸上とか、バスケとか。そういうのですごい暴れ回ってて。自分と同じようにできないとか、同じように走れない人を、全く理解しようとしてなかったんで、「何で出来ないの」みたいなことをばあーって言って、泣かせちゃったりしたことは、記憶に残ってるっていうか、ダメな自分としてインプットされてますね。友達を泣かせることが多かったです。
toki:その後、性格に変化はありましたか?
ゆか:中学になって結構変わりました。
海士町は、二つの小学校が集まって一つの中学校になるんですけど。同級生が追加されるじゃないですか。もう静かにしとこ、みたいな。自分は自分のグループでって感じでした。
みんなと手を繋いでってよりは、大切な人がそばに1人や2人いればいいわ、あとは全部無視、みたいな感じで、シャットアウトじゃないですけど、閉鎖的にはなってました。
toki:それは中学校始まってからずっとですか?
ゆか:いや、徐々にですね。中2とか、中3とか。
一番好きな親友が、隣の町に引っ越しちゃって。もうそっからずっと1人って感じで。そっから全部シャットアウトして、笑わないし。そんな感じでやってました。
toki:中学校は部活とかされてました?
ゆか:バレーかテニスしかなかったので、とりあえずバレーに入ったんですけど。中学校はマジで良い思い出がないです。今でも連絡取ってるのは数人で。高校も大体一緒のメンバーなんですけど、高校に入ったらまた島留学生とかも一気に集まっちゃうんで、もうバラバラみたいな。
キラキラしてたのは小学校ぐらいで、今思えば中学も高校も、行く意味あったのかなって思いますね。
toki:「行く意味あったのかな」っていうのは、どうしてそう思ったんですか?
ゆか:島にいる時は、「なんでここに生まれたんだろう」ってずっと思ってて。だって、本土の方が絶対生まれる確率的には高いじゃないですか。それなのに、なんで自分は島なんだっていうのをずっと思ってて。
もう、せまいんですよね。価値観も世界観も。中学のときもそうだし、知らないメンバーがいないんで、もうずーっとせまいせまいって思ってて。高校も、自分で選んだは選んだんですけど、せまいなーってずっと思ってて。だから、別に行く必要あったのかなとは、未だに思います。
toki:そうなんですね。例えば、島から本土に出てみて、広い世界を知って、島の狭さに気づくっていうのは起こりやすいことなのかなと思うんですけど、ゆかさんは小学校の時点で既に、島の狭さを意識されてたんですか?
ゆか:意識し切ってたわけではないと思うんですけど、せまいなっていうのはずっと思ってましたね。窮屈でした、環境が。
toki:どういったところに窮屈さを感じてましたか?
ゆか:やっぱ人が少ないんで。「みんな一緒に仲良く」みたいなをずっとベースに教えられてきて。
大きいイベントがある時に、「誰と行くの」みたいなのを先生からも聞かれたりして。要するに「みんなで行けよ」ってことなんですけど、それが窮屈で。寄せ集めじゃないけど、ただ偶然、一緒の年に生まれて、一緒の中学に行っただけで、みんな性格が合うかって言われたら、それは絶対にない。
そういうので、「なんで無理やりみんなと仲良くしなきゃいけないんだろうな」っていうのはずっと思ってて。だから、東京の、マンモス高校みたいな。顔も名前も知らないし、自分が好きな人としかつるまないっていうの、すごい憧れでした。
toki:高校は、本土の学校に行くという選択肢も、あるにはあったんですか?
ゆか:んー、あったんですけど、やっぱり出るってことは、金銭的にもそうですし、「出て何がしたいの」って言われても、全然答えられなかったので。
あと親友も島前高校に決めたので、「じゃあそこで」みたいな、軽いノリだったんですけど、全然行かなくてもよかったなって思います。
toki:島留学生は割合的には多いんですよね。
ゆか:半分くらいですね。
toki:同級生の顔ぶれは、かなり変わるわけですよね。高校いかがでした?
ゆか:変わりましたね。でも、島留学生と打ち解けることはあんまりなかったですね。
島留学生も島留学生で、同じ建物に住んでいるので、そっちはそっち、こっちはこっちで固まっちゃうんですよ、どうしても。自分もそこに飛び込んだり、新しい友達を作るみたいな積極性は、なかったですね。既存の人たちで仲良くしてました。
toki:先ほど「なんで島に生まれたんだろう」という疑問について話してくださりましたが、島留学生たちは、島に来ることをわざわざ選んで来ているわけじゃないですか。そうやって、意思をもって島に来ている人たちに対しては、当時はどう感じていたんですか?
ゆか:「何でこんなとこに来るんだろうな」って疑問と、「すごいな」っていうリスペクト。親元離れて、こっちで生活するってことは、それなりにいい経験になってるんだろうなっていうのは思ってました。
toki:高校卒業後の進路は、どんな考えでどんな道を選びましたか?
ゆか:高3のときの進路を決める上で大事だったのが、安定していること。で、姉が看護師で、母も看護師を目指していたので、「看護師いいじゃん」みたいな。
仕事が看護師って言われたら、社会的地位というか、「ええ、大丈夫?」とはならないじゃないですか。それを求めて、看護師っていう道を選んで。それが別に自分に合ってるのかとか、何も考えずに、とりあえず安定してるから、一生食べていけるから、みたいな感覚で決めて、看護の大学に行きました。
toki:その時はまだ保守的だったんですね。当時はどうして安定を求めてたんですか?
ゆか:保守的でしたね。1人で生きていける選択をした。
っていうか多分、それしか道がわかんなかったんですよ。いろんな職業があるっていうのは知ってたんですけど、それに触れる機会もそんなになかったし、家族の影響って当時は結構大きかったんだろうなと思うんで。それしかなかったってい言えば、なかったと思う。
toki:看護の大学、行ってみていかがでしたか?
ゆか:もう戻りたくないですね。入って4年間はマジできつかったです。
試験が大変とか、実習が大変とかじゃなくて、もう違和感がすごくて。大学の雰囲気というか、ほぼ女子しかいない、ああいう感じが本当に馴染めなくて。よくやってたなって、今は思います。
でも入ったからには卒業するっていうのは絶対ありました。他に行きたい道もなかったですし。
toki:看護師の仕事とか勉強とか以前に、大学の環境自体に違和感を覚えていた?
ゆか:そうですね。この違和感、この息苦しさってなんでだろうっていうのは4年間ずーっとあって。
周りの人たちは、夏休みに友達とどっか旅行行ったり、楽しそうで。でも私は休みになる瞬間にこっちに帰ってきて、もう行きたくないな、でも行かなきゃっていう四年間。
なんでだろうっていうのはずっと考えてて、卒業しても答えが出なくて、就職してようやくわかりました。道自体が違ってたんだって。そう気づいて、やめました。
toki:大学進学して、本土で暮らすとなると、生活環境もガラッと変わりますよね。
ゆか:そうですね。でも姉と同じ大学だったので、姉と同居してて。だから、1人暮らしが大変とかはなかった。逆に、学校より家がいいって感じでした、ずっと。
看護の友達で続いている人なんて1人もいないです。社会人になって、看護の同期で知り合った方はもうずっと続いてるけど。
toki:大学卒業後はどうなさったんですか?
ゆか:東京で就職しようって思って。西新宿の病院に就職しました。
toki:大学が合わないと感じつつも、看護師になることはやめなかったんですね。
ゆか:試験通ったんで、とりあえずは(資格を)使おうと思って。でも自分の中で、この道が違うんだっていうのも全く思ってなくて。入った後も、「5年はここでやる」って思ってて。でも入ってから、どんどん違和感が大きくなっていって、「大学時代からの違和感ってこれだったんだ」って。
toki:どんな部分に違和感を感じてたんですかね。何が合わなかったんでしょう。
ゆか:もういっぱいあるんですけど、大前提、その道自体に興味がなかったんだと思います。
学校はただ、テスト受けて、言われたことをやって、最後に国家試験受かればいいって感じで、勉強自体はそんなに苦じゃなかったので続けられたんですけど。じゃあ病院行って、患者さんってなったときに、あれ?違うかもって。
あと、色々な意味で安定はしてるし高校時代はそれを求めてたんですけど、患者さんを思って自分なりにどれだけ良いケアをしたとしても、お給料に反映はされない。力抜いてもめちゃくちゃ頑張っても同じ安定。自分がしてきた仕事がデータでパソコンに記録として残るけど見えてこないし、自分の仕事の質でお給料が変わるわけでもない。そういうのが面白くないっていうか、看護での目標が見つからなくて。
当時ずっと日記書いてたんですけど、もう5、6月の時点で「ここじゃない」っていうのを書いてて。ここじゃないって思っちゃったら、すぐ苦しくなっちゃうんで。もうやーめよって。
就職した年の12月に、ボーナスもらってやめました。
だから、実質やってたの9ヶ月くらいだったんですけど。でもその9ヶ月間は必死でやりました。1回1回の勤務は当たり前ですけど死ぬ気でやってました。
toki:辞められてからはどうしたんですか?
ゆか:5、6月の時点で、きっかけはわからないんですけど、建築いいなって、空き家いいなっていうのが浮かんでて。何かを作り上げるって素晴らしいな、自分にしかできないことじゃんって思ってて。
建築の学校を東京で調べて、働きながら行ける学校を見つけて、入りました。
toki:それ以前に、作ることが楽しいな、良いなと思ったことってあったんですか?
ゆか:多分ですけど、昔からトラックで親の横に乗って、色んな地域を回ってたんですけど。家を見るのがすごく好きで。
パレット(物流で使われる荷物を載せる台)を持って帰ってきて、なんか作ってた記憶はあって。あるもので何かするっていうのは、多分好きなんだろうなって思います。
toki:補助金があった以外に、島に帰ろうと思った理由ってありましたか?
ゆか:やっぱり、外に出て、ここがいいなって。ここに生まれてよかったなって思って。ここで子育てしたいし。
島に帰るっていうのは、一番最初に東京に社会人として出たときから、心の底で決めてました。でも、それ言っちゃったら「帰って来い」コールがすごいんで、それも嫌だから、内緒にしてましたね。
未来:島の方が、自分の自由に仕事ができるんだよって、自分が先陣切って呼び戻せたらなって思いますね。
toki:最後に、未来についてお伺いしていきます。自分の1年後、2年後、5年後、10年後、何年後でも構いません。自分の未来について、どんなイメージが思い浮かびますか。
ゆか:結構わくわくしてて。ゲストハウスの開業を、計画では今年(2024年)の12月から来年の3月までにやろうとしてて、それまでに宣伝もして、お客さんに入ってもらって、なんだかんだで1年が過ぎると思うんですけど。それから3年後には、売上このぐらい上げておきたいなあって計画はありますね。
toki:どういうゲストハウスにしたいと思いますか?
ゆか:海士町に来てくれる方って、海士町に興味がある方だと思うんですけど、そういう人たちと、一緒に海士町での暮らしを体験したり、一緒に料理をしたり。ただの民宿施設じゃなくて、集まってイベントとかできる場所にしていきたいなって。
あとゆくゆくはなんですけど、自分の中での一つの目標が、地元民に「戻ってきて仕事できるんだよ」っていうのをアピールすることで。
帰ってきて思うんですけど、同世代が全然いない。補助金を申請するときも、Iターンの人、移住してきた方の申請がすごく多くて、地元民1人だけって聞いたんで、その数がもっと大きくなればいいんじゃないかなって。
どうしてもみんな、大阪とか行っちゃうんですけど、島の方が、自分の自由に仕事ができるんだよっていうのを、宣伝したいというか、自分が先陣切って呼び戻せたらなって思いますね。
toki:ゲストハウスについて、島の暮らしを一緒に体験したいとおっしゃってましたが、お客さんには島のどんな部分を感じて帰ってもらいたいなと思いますか。
ゆか:やっぱり、温かさじゃないですかね。
例えば、そこで作る料理一つでも、買ったやつじゃなくて、収穫からやりたいなって。人との繋がりを通して、温かみを知ってもらいたい。(海士町の人が)「いい人たちだな」っていうのは自分の中にもあるので、そういうのをちょっとでも伝えられたら良いなって思います。
東京はちょっと冷たかった……。でも、あっちではもう、みんな知らない人じゃないですか。もう一生出会わんわって気持ちで、自分も生活してたんで。当たっても、すいませんぐらいは言うけど、サーッと通っていくみたいな。それが普通の世界だけど、そういうのじゃなくて、「こんにちは」「おはよう」があるのが良い時もあるんだよ〜って言うのを、伝えたいですね。
toki:将来の自分の生活について、例えば10年後や20年後、こういう暮らしができたらいいなっていうのは何かありますか?
ゆか:10年後20年後は、今の役割だけじゃなくて、ママとかになってたらいいなと思うんですけど。
それこそ自分は幼少期に島のせまさを感じていたけれど、「海士町だけじゃないんだよ」っていうのを子供に伝えたり、海士町だけで生活というよりは、いろんな世界を見せられるような働き方、稼ぎ方をしたいですし。自分も閉鎖的な人間関係だけじゃなくて、いろんな人と交流して、そういうのを見せていきたいし。
ゲストハウスに関しても、今後数を増やして、色んな人に「地元に帰ってきたら良いんじゃないの」って広められる存在になってたら良いなって思います。
toki:幼少期は「なんで島に生まれたんだろう」って思いがあったわけですよね。それが「この島に生まれてよかった」という思いに変化したのは、どうしてだったんでしょう。
ゆか:やっぱ外に出て、地元っていうのもあるんですけど、自由だなってすごく思って。都会で暮らしてたときには、不自由だなって思うことがいっぱいあって。バス一つ待つ時間だったり、乗るのにも全部お金かかる。そういうのが、島じゃ普通じゃなかったんで、すごく嫌だったんですよね。自分の時間が取られてるみたいで。
それで、やっぱここいいなっていうのを思ったし、東京で疲れてるときに埼玉に行って、田植えした後の田んぼを見たんですよ。もうすごい感動しちゃって。島では見慣れた風景なのに、あっち行った時に「ああ、これだ」と思って。田んぼの臭いとか嗅いで、「ああ、海士が良い」って思いました。
海士町は、何するにしても生活しやすいと思う。都会に行ったら「コンビニ無いの?」って絶対聞かれるんですけど、「コンビニってそんなに大事なの?」ってすごく思う。
不便じゃないかって聞かれますけど、そりゃ不便なこともあるかもしれんけど、それがゼロベースで育ってるから。色々ありすぎて、逆に便利すぎない?って。
今後、建築の学校で出会った子たちもこっちに呼んで、大工さんとか、工事とか、できることがあれば良いなって思います。近い未来。
toki:ありがとうございます。
今までお話聞いていて、ゆかさんは、自分でやることを決めるとか、自由でいることをすごく大切にされているなと思ったんですけど。でも一方で、世の中には、完全に自由だと何をしたら良いかわからないとか、人に頼まれたことをやりたいって言う人もいるじゃ無いですか。
そういう人もいる中で、ゆかさんが、自分で決めて自分でやりたいって人になったのって、なんでだと思いますか? 何がゆかさんのその要素を作り上げたんでしょう。
ゆか:多分、アルバイトとかいっぱいして、自分で決められないことって嫌だな、頑張れないなって思って。そういうのの積み重ねで、最近気づいたんですよね。自分って、舵取れないと嫌なんだって。最近気づきましたね。
それがめちゃくちゃわがままなんだろうなって。昔の「暴れ馬」から、繋がってるのかなって思いますね。
toki:保守的じゃなくなったのは、比較的最近ということですか?
ゆか:保守的じゃなくなったのは、
看護を辞めるときに散々言われたんですよ。「もったいない」「4年大学通ったんだから、3年はやってみよう」って。でもそういう意見全部無視して辞めて。その人の言うがままにやってたら、絶対自分腐っちゃうと思って。その時に、保守的な人間、マジ嫌いって思っちゃったんだと思います。
今なら、保守的になってた理由には、「そうだよね」って理解できるけど。
toki:島のことについてもお聞きしたいんですけど、途中、離れてた期間はありながらも、長いこと島に住んできたわけじゃないですか。島の変化を感じることはありますか?
ゆか:本土に行ってても思ったんですけど、島の知名度がどんどん上がってるなって思ってて。
あと、実際帰ってきてみると、知らない人というか、顔見知りじゃない人しかいない。最近だったら、祭りとかに顔出した時に、地元民おらんなって。嬉しいことなのかもしれないけど、地元民からしたら、もうちょっと地元民のこの世代がいたらいいなって、寂しいときはあります。なので増やしたいなって。
toki:これからどういう町になったら良いなとかって何かありますか?
ゆか:今は、結構Iターン/Uターンとかで区切られてるっていうか。Iターンっていう言い方とかを結構聞いたり、自分も言っちゃったりする。けど、Iターンしてきてくれてる人たちは、Iターン者ではあるけど、Iターンだけじゃない。その人として来てくれているわけだから。
私が高校に行ってた時のように、島内生/島外生って分けるんじゃなくて、横の繋がりじゃないですけど、お互いがお互いに良いところを引き出しあって、調和というか。「Iターン者だ」じゃなくて、「〇〇さん」って感じで言い合えれば良いなって思います。
toki:どうしたらその壁って乗り越えられるんですかね。
ゆか:いや、そうなんですよねえ。自分もそんなに世間を知ってるわけじゃないんですけど、Iターンの方たちは繋がりたくてイベントに来てると思うし。
自分もちょっと「知らん」「地元は地元」みたいなのがちょっとはあるんですけど、地元民がもうちょっとウェルカムにというか、もうちょっと手を繋げるようになったら良いなとは思います。
toki:毎回、皆さんに「もしもの未来」について質問していて。究極の質問かもしれないんですけど、もし島に生まれてなかったとしたら、自分の人生ってどんなものになっていたと思いますか?
ゆか:島で生まれてなかったら、そこら辺の企業に勤めて、それなりに生活してって感じでしたかね。
自分でやりたいとか、そういうのはなかったと思います。安定って感じで。
toki:では、今のゆかさんの状態で、人生のどこか一地点に戻れるとしたら、どこかに戻りたいと思いますか??
ゆか:そうですね、戻りたいです。
toki:戻れるとしたら?
ゆか:中学ですね。
toki:中学戻ってどうします?
ゆか:中学やめるって、できるんですか。
toki:ああー。やめてみますか、一回。やめられるってことで考えてみますか。
ゆか:戻れるなら、中学やめてますね。
toki:やめて、どうします?
ゆか:中学やめて、行けるか行けないかはさておいて、海外行きます。絶対。そういう憧れはあったので。高校は絶対行ってないと思います。
toki:海外行って、さらにその先はどうなってそうですか?
ゆか:海外行って、いろんな人と出会って、いろんな職種見つけて。でも最終的には島に帰ってきてると思う。
高校行って良かった記憶とか、高校行ったからこそ学べたことって、思い出しても全然なくて。意味なかったんじゃないって。でも、ちょっと真面目すぎたところがあって、テストの結果とかに結構囚われてたんですけど、今考えたらそんなことどうでもよかったなって。
toki:ありがとうございます。
最後の質問が「最後に言い残したことは」というものなんですけれども。今回のインタビューの感想でもいいですし、今頭に思い浮かんでいることでも、この世に残したい言葉でも、記事を読んでいる方へのメッセージでも、何でも構いません。最後に何か言い残したことはありますか?
ゆか:この無名人インタビューって、すごくいいなって思ってて。
私も中学、高校ぐらいから「芸能人がなんだよ」とか結構思ってて。テレビありきじゃんとか、その人が何したんだみたいなのを考えるときがあって。この無名人っていうのは素晴らしいなって思うし。
その1人になれるかはわかんないんですけど、これから作っていけたらなっていうのもあるし、このインタビューを、3年後とかに自分が読み返してみて、こういう時期があったのは正解だったなって思えること目標に、頑張ろうかなって思いました。
toki:ありがとうございます。その他は大丈夫ですか?
ゆか:大丈夫です。
toki:では、これでインタビューを終わりにさせていただきます。一時間ありがとうございました!
ゆか:ありがとうございました!
あとがき
無名人インタビュー初の、地方への対面イン旅ューシリーズ。
そのはじまりの地となった海士町で、私は四名の方にインタビューをさせていただいたのですが、最後の1人がゆかさんでした。
ゆかさんは、自らの幼少期を「暴れ馬」と懐古していましたが、「暴れていた」背景には、自分がやりたいと思っても、他に誰かがやってくれるわけじゃないからという、人任せせず自分で手綱を引く強い意思が隠されていました。
誰もやってくれない、だから自分がやる。
自分のことだから、自分で決める。
周りからは、破天荒に見えるかもしれないけれど、ゆかさんの中に流れる信念は、実はとてもシンプルな理論に基づいたものなのだなと感じました。
子どもの頃は、せまくて窮屈だと思っていた島。
けれども外に出てはじめて、島が自由であることに気づいたというゆかさん。
自由さとは、決して、面積の大きい/小さい、生活の便利/不便だけで決まるものではないのだということを考えさせられます。
自由であるには、自分にとっての自由とは何であり、それを与えてくれるのはどこなのかを知るところから始まるのかもしれないと、インタビューを通じて感じました。
ゆかさんの存在は、海士町のみならず、かつて島で生活していた若い人たちへ、まるで広い草原を駆ける駿馬のように、新しい風を吹き込んでいきそうです。とてもわくわくさせられる一時間を、ありがとうございました。
海士町イン旅ュー、他の参加者の方々の記事も、大きな個性と魅力に溢れていますので、ぜひともご覧くださいね!
最後までお読みいただきありがとうございました。
【インタビュー・編集・あとがき:toki】
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この記事は「無名人イン旅ューin海士町」で実施したインタビューです。
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