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必ず生きづらさっていうのは、生きる喜びに変えることができるって私は信じてる。人

何百人とインタビューしてきて、わかったことがいくつかある。
困難は人間を強くする。
自殺未遂した人も、難病だった人も、それがあるから今の自分があると言っていた。苦しかった過去を肯定的に捉えられるようになった人は、強い。
次の困難が来たとしても、明るい明日が来ることを信じられる人間には、無限の勇気が備わっているのだ。
と! いうことで今回は本文長いので(いつもと同じ60分インタビューですが)、まえがきは早めにきりあげで!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは 春野真理 さんです!


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現在:本当は食べたいとかお腹がすいてるんじゃないのに、自分の中にぽっかり空いた穴を埋めるために、もう食べるんじゃなくて詰め込むんですよね。とにかく。それを2時間3時間ずっと詰め込んで。それによって、その間ってのは何も考えなくていいので、忘れられて。

qbc:今何をしている人でしょうか?

春野:難しいですね、一言で言うの。5足6足?草鞋を履いています。

qbc:はい。

春野:1つ目はカナダのトロントという場所で、日本人で留学をしたいって思っている生徒さんのカウンセリングによる学校やホームステイ、ビザのアレンジ。プラス、現地で実際に留学に来ている生徒さんのサポート、イベントを企画したりとか。あとは実際に彼らのワークビザとかスタディビザとかのサポート、メンタルケアだったりをさせていただいています。
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2つ目は、自分の学校を運営しています。この学校を始めるきっかけは、発達障害、今発達症と言われてますが、俗に言う自閉症だったりとか、ADHDとかアスペルガーとかそういう、身体的な障害ではないけれど、周りとちょっと異なっている、個性を持っている子たちを応援したい。そういう子たちを元気づけたい。彼らに自信を持って世の中に羽ばたいてもらえるような場所を作りたいと思ったんです。机と椅子で勉強するのではなく、脳科学を取り入れたカラダを動かしたり絵を描いたりしながら楽しんで学ぶスタイルです。
トロント現地ではカナダの子供たち向けにやってますけど、あと日本だったりとか、ニュージーランド、オーストラリアの生徒たち向けにはオンラインでやってます。それが2つ目。
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3つ目。これは自分が26年間闘ってきた、摂食障害っていう、日本でも今すごく社会問題になっている病気ですね、精神疾患。それを、どうやったら治るよとかではなくて、自分の経験や考え方をシェアするっていう意味で、YouTubeやインスタグラムで日々発信しているんです。それから相談を受けて、カウンセリングやコーチング、ワークショップなどを行ったりしています。

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4つ目。これは脱教科書英語Harunglish!運営です。私の夢の一つなのですが、日本の英語教育を根本から変えたいんです。カナダの現地にいるからこその、教科書では学べないネイティブの、本当に生きた使える英語っ
ていうのを、留学生を中心に、実際のリアルとオンライン、SNSを通して毎日配信をするのと、実際教えてるかたちで行っています。

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qbc:そうすると、4つですかね?

春野:カナダ留学サポート、学校運営、脱教科書英語。あとなんでしたっけ?
qbc:摂食障害。

春野:摂食障害のサポート、大きく分けたら4つですかね。他にも。あ、すいません、もう1つありました。私一応、エッセイスト、コラムニストもしていたりします。
qbc:はい。

春野:2冊しか出してませんけど、一番最新版は、2023年の9月に日本で全国出版された本があります。

qbc:このエッセイスト、コラムニストは、先に挙げた4つのテーマではないものっていうことなんですかね?

春野:入ってますよ、4つの全部が。バイオグラフィーなので自叙伝っていうことで、4つ全てが入ってます。コラムとかもそうですね、例えば英語で取材をお願いされたら、英語で内容を書くし、摂食障害のことを言われたら摂食障害のことを書くって感じなので、全部関連してますね。

qbc:今、一番最注力しているのは何でしょうか?

春野:今一生懸命やってるのは、摂食障害をはじめ。精神疾患やメンタルヘルスについて自分の経験や考えを発信していくっていうところに、一番力を入れています。

qbc:なぜ、そこに注力しているんでしょう?

春野:そうですね。お金とかね、言ってしまうと正直留学センターだったりとか、学校の方が全然稼ぎにはなるんですけど。そうじゃなくて、出版社さんからも声かけられるときに、コロナの渦中で過去最高と言っても過言ではないほど世界中で本当に病んでる人たちがたくさんいる中で、日本っていうのはメンタル面でのケアの部分がすごい遅れてるから、「もう本当に今タイムリーに、みんなのモチベーションをガツンとあげちゃうあなたのパワー、言葉が世の中に必要とされているんです。」って言ってもらったり、実際に毎日のように連絡をたくさん方から頂いたり、必要とされているっていうのを自分で一番実感するんですよね。

qbc:日本の出版社さんと話して、って感じですか?

春野:いや、それだけじゃないですよ。普段はSNSをやってるんで、YouTubeライブとか、あとはインスタグラムとかで、大体、毎日必ずメッセージをいただくんですよね。それ見てて、年代も10代から、上は70代の方からもメッセージをいただくんですよ。

つまりはすごい需要があるし、困ってるけどそれを受け入れてくれる受け皿っていうのがないんだなっていうのをすごい実感するんですよ。だから、自分がやらなかったら誰がやるんだっていうふうに今思っていて。ひとつ何か、自分の生きていく上でのミッションなのかなって今、一番感じているんです。

qbc:そういった需要が、コロナ以降に増加したってことですかね?

春野:いや、コロナ以降というか、特にコロナ禍の途中から。やっぱり学校に行けないとか、オンラインでの作業が増えたときに、特に増えたかなっていうのをすごい感じますね。

qbc:お悩みは、どんな相談がありますか?

春野:摂食障害って、正直、当事者にしか絶対わからないものってあって。周りは、「精神科医とか心療内科行けよ」ってみんな言うと思うんですけど。精神科や心療内科は、確かにその分野の勉強しているから、知識はいっぱいお持ちなんでしょうけれど、実際に体験してないから、やっぱ表面上でしか、説明したりとか、助けてあげられないんですよね。

そうするとやっぱり患者さんは、私も含めてですけど、本音を語れない。だからやっぱり本音で話せる人っていうのが、いないみたいで。私は自分のことを全部さらけ出してるんで、包み隠さずなので、それでみんなも安心して本音を話してくれる野かなと思います。

「ずっと25年間、誰にも言ったことなかったんだけど、でも、本音を全部話させてください。」とか。70代の方からのご相談を頂いたときはちょっとびっくりしました。だって私よりも全然人生の先輩で、私の2倍ぐらい生きてるのに、それでもそういうのは関係なくて。「あなたの発信する内容、今までの経験が、年齢だけじゃなくて濃い。だから、すごい説得力があるし、あなたにだったら聞いてもらいたいなと思ったのよ。」と言われました。病院の先生だったりとか他の人では解決できないことだったり、あと話したくないことを、話してくれる。

例えば、本当にプライベートの話もそうですし、自分の病気がなぜこんなに長引いてしまったのかだったりとか。「前向きにがんばりたいんだけど、もうどうしようもないほど重度だからと病院で言われ、頻繁に入退院を繰り返していてもう夢も希望もない状態だったけれど、でも、あなたを見つけて、もしかしたらこれは最後の砦で、最後にもう1回だけお願いしたいんだけど、何か力になってくれないか。」とか。結構重たいんですけど、そういう相談が多いんです。

逆にそれに対して私は淡々と全く、何も躊躇しなかったり悩んだりせずに、自分の思ったことを答えるんです。それが正しいとかわからないんですけど、私はこう思うよっていうのを返します。それがまた病院の先生とは異なる視点でみなさんのこころに何か響くものがあるのかなと思います。その証拠に、一度ご連絡いただくと、大抵はまた連絡を頂きますね。

qbc:摂食障害っていうのは、こういうことがあったから摂食障害になりやすいという固有のものがあるんですかね?

春野:あるとおもいますねぇ。まず全員が全員じゃないし、必ず色んな原因が複雑に絡んでますけど、例えば家族関係。家族の問題がすごく大きくて、ちっちゃいときとかに何かあった、っていう人は陥りやすい傾向にあったりしますね。

あとは自分もそうだから自分のことを褒めてるみたいな感じになっちゃうんですけど、めちゃくちゃポジティブで、基本ものすごい頑張り屋さんで、いかなる時も頑張りすぎちゃう。物事を0か100でしか考えられない。ちょっとできなくてもしょうがないよね、とかじゃなくて、もう本当に0か100か。99点で取れても100点じゃなかった、って、悔し涙ずっと流し続けちゃうくらい。そういう完璧主義。
あとは基本、すごく人のことを優先してしまうので、自分はどうでもよくなっちゃうんですね。本当は自分を大事にできない人は周りを大事にできないと思うって、今は思ってるんですけどね。でも周りがまずよければ、周りが楽しんでくれればいいと思ってしまうけれど、ある程度行くと、やっぱり自分の中にストレスを溜めていってしまうんですよね。

そのときにその自分のストレスを発散する方法っていっぱいありますよね、テニスをするとか、漫画を読む、お笑いを観る、みたいな。でも、一番、周りに絶対迷惑をかけない。でも自分の中だけで対処できるストレス発散方法って何かって言ったら、食べるっていうこと。食っていうのは、一番身近で手っ取り早い、ちっちゃい子でも誰でもできる、食べるっていうのは。それに執着してしまって。本当は食べたいとかお腹がすいてるんじゃないのに、自分の中にぽっかり空いた穴を埋めるために、もう食べるんじゃなくて詰め込むんですよね。とにかく。それを2時間3時間ずっと詰め込んで。それによって、その間ってのは何も考えなくていいので、忘れられて。

私の場合は過食嘔吐といって、過食のあとは今度罪悪感で、全部何時間もかけてまた嘔吐してしまうっていう病気ですけど、これってちょっと自傷行為ですよね。それによって、自分を戒めて、快感に感じる。でも体はもうボロボロに蝕まれるんですけど、それもそれで何か頑張ってるっていう、何かもしかしたらちょっと、そこで自分を認めてあげてるのかもしれないです。

そういう、バランスをとりにくかったり、周りに相談しにくかったり、全部自分の中で解決しようとしてしまったりする人たちが、そういうふうな傾向にあるかなっていうか。ちょっと世渡り上手だったり、人に媚を売るのが上手だったり、ゴマすったりとかするのが上手な人はならないと思います。すごく、自分の中だけでがんばろうとしちゃう人。基本そういう人が、なってるのかなって思います。

qbc:それが食べ物に向くっていうのは、理由があるんですかね?

春野:それもまた複雑に絡んできて、いろんなタイプがあると思うんですけど。多分ほとんどの人はそれまで食べることも大好きな人が多いんですね。私の場合は12歳でなってしまったのですが、それまで食べるのは大好きで。でもちょうどそのころ、心の中では、いつも人に認めてもらいたいって強く思っていたような気がします。そんな矢先、体調崩してちょっとだけ痩せたんですよね多分ね。それで「足すごい細いね」って、褒めてもらったんですよ。そしたら、うわー、褒められるって快感って思うし、私はこれで極めたらいいんだみたいな、そういうふうな感じに勘違いしちゃって。

普通の子だったらちょっと痩せたっていう、それで満足なのに、もうガーッていっちゃうわけですよ。それで、もう完全に大好きだった給食とかも食べないで、10キロぐらい一気にガーッて、落としちゃったんですよね。でもやっぱり人間は何にも食べないわけにいかないし、その後に絶対反動が来るので、ワーッと食べたくなっちゃう。でも、私は1年ぐらい我慢しちゃったんですけど。その後、それがもうずっと衝動で来てしまったんですよね。

しかも過食嘔吐っていうのは、吐いちゃえばチャラになるっていうふうに勝手に思ってしまって、それは嘘なんですけど。実際は、そんなことはなくてもう、ボロッボロ。歯は私、1本もないですし。髪の毛が抜け落ちやすくなったり、爪がガタガタになったり。いっぱい、いっぱい悪いことあるのに、でもやっぱりチャラになるって思っちゃうから。そうやって、これだったら手っ取り早いよね、あと誰にも迷惑かけないよねっていう、自分の中だけで解決すればいいよね、みたいな。人殴ったりとか、大きな声で叫んだりとかすると他の人に迷惑だけど、層じゃないこの方法ならば、すべて自分の中で完結する野かなって思ってしまって。だから、食に行っちゃったのかなと思います。うん。

qbc:12歳のとき、周りのケアはどういうものだったんでしょう?

春野:心配してたと思うんですけど、でもなんか、うちは親子関係があまり良くなかったので。父は医学博士でほとんど出張で海外に行ってて、いなくて。

母親はって言ったら、母親は多分その、父親のお金を使って何かもう好きなように外で遊んだりしてたので、私はいつも家に1人だった。で、弟もいるんですけど、弟は世渡り上手なんですよ。だから上手におばあちゃんだったり、お母さんについてて。上手にやってたんですけど。私はできない、正義感が強いし、駄目なものは駄目だってはっきり言うから、かわいがられないっていうか。

かわいがられてなかったわけじゃないと思うし、虐待されたとかもないんですけど。誰にも言えないし、もう1人で痩せていく自分、そのままですよね。特にケアがなかったし、周りが痩せて、「すごい細いね」って言ってくれたらもう自分、大喜びだったし。

親は多分気づいてたんですけど、どうしていいかわからないっていう感じだと思いました。いろいろ食べさせようとかしてましたけど、最初は病院連れてくとか。私がもう、ものすごい意思が強いので。何をやっても全部駄目だったんだと思います。多分親はもうそこで諦めてましたね、完全に。だからケアというケアは、正直なかった。それに近いと思います。

qbc:今はちなみに、どういう状況なんですか?

春野:今はずいぶん落ち着いてはいますね。たまに見え隠れはしますけど
拒食症から入って、すぐに反動で過食嘔吐になって27年間。摂食障害って1回は世界の100の難病に指定されてたぐらいの病気ではあるので亡くなっていかれる方もたくさんいますし。著名人の方でも公表してる方もいらっしゃいますよね。
ちょっと顔とか見たりとかしたら大体私はわかってしまうんですけど。自分も長いから、結構隠してる人もたくさんいるんですよね。

私はそうですね、本当にラッキーな人っていうか、精神的に強かったのかずっと1日に2食3食とか食べて吐いても、周りにばれないように、本当に何食わぬ顔で学校に行き、仕事に行き、そして他の人の100倍ぐらいパフォーマンス出して。
だから周りからは「すげえなぁ!なんでこいつこんなにできるんだろう??」みたいなふうにしょっちゅう言われていました。

でも実はその代償として、家に帰ってきたらすごい勢いで過食して、朝の2時3時ぐらいまで吐いたりとかして、また次の日、7時になったら会社に行きとか学校に行きみたいなのをずっと繰り返してきて。今年、私は40になったんですけど、本当に2、3年ぐらい前までは、結構な波はありましたね。一番ひどいときは1日に5回6回やってたので、今は、そんな酷い時からは脱出してるんですけど。それでもやっぱりむしゃくしゃすると過食したいなっていうふうに思ってしまったりとか、そういうのはありますけど、今は落ち着いてきたなって思いますね。
だからこそ、もちろん周りのみんなの相談に乗ったり、自分がどういうふうに抜け出していったのか、もちろん、逆に言ったら、なんでそんな26、7年も抜け出せなかったのかっていうのをシェアし、高校生とかにもね。かつ、そんな長く癖みたいになってるところからどうやって抜け出していったのかっていう事も、話してたりするんですけど。

qbc:食べる量って、どのくらいなんでしょうか?

春野:日本で言ったら、食パン1斤ありますよね。あれを多分2斤ぐらい。あとは、菓子パンだったら多分20個とか。で、その後にご飯とかあったら、10升っていうんすかね、炊飯器にあるの全部とか。とにかく目の前にあるもの全部食べちゃう。

qbc:全部それを、足し算で食べるってことですか?

春野:全部足し算ですよ。

qbc:なるほど。

春野:家の中に食べるものがなくなっちゃって、でも日本ではコンビニに行ったりとかできると思うんですけど、カナダとかはあんまりないので。そうすると、今度どうなるかって言ったら、これもう絶対みんな気持ち悪いって思うでしょうけれど、マーガリンありますよね。マーガリンとかも全部食べちゃう。ジャムとかも全部食べちゃう。さすがに塩は全部食べないですけど、醤油飲んだりもしないですけど。2Lの炭酸飲料とか、全部飲んじゃって。

で、そうですね。お腹がもうパンパンになって、ここまで来ちゃったら、吐いてしまって。また2ラウンド目、3ラウンド目とかやっちゃうんですよね。ひどいときは。

qbc:ターン制というか、1ターンで終わるわけじゃないんですね。

春野:1ターンでそこまで全部は食べれないですけど、最近はね。でもね、10代とかのときは食べたかもしれないです。今はそんなに入らないですけど。

qbc:27年間続いて、どうして抜けられたんですか?

春野:それは、一言で片付けられないですけどね。でもやっぱり一つ言えるのは、マインドセットっていうのかな。自分の考え方を変えていったんですけど。正直すごい、本当は自分のことをもっと褒めてあげていいなっていうぐらい、いろんなことができてたんですね。ちっちゃいときから。例えば、作文書けば絶対にコンクールで優勝したりとか、あとは全国模試で一番取ったりとかしたり。

でも、なんいっつも満足いくように認めてもらった気がしていなくて。認めてほしい認めてほしいという、その承認欲求がものすごい強かったんですね。親はわたしのことを否定はしなかったですが、あんまりなんかこう、ふーんみたいな感じだったんですよね。

だから私は、ある時からやっぱりその、自分ってこんだけやっても、認めてもらえないのかなみたいな、もっとやらなかったら駄目なのかなみたいな感じで、どんどん自分をいじめてたんですよね、ずっと。

で、大人になったときも、楽天っていう会社に就職したときも、何万人いる営業マンの中で、おかしいんですけど新人なのに1位、ずっと一番をバーッて走ってた。そのときも、おかしいじゃないですか、だってたくさん、何万人いる中で、なんでそんなずっと一番でいられるかって。何も悪いことはしてないんですけど、本気でゴリゴリやってしまうっていうのをずっと続けてきたんです。
でも、あるときに、自分をもうちょっとこう、よく頑張っている自分を認めてあげようっていうふうに思い始めて。周りがみんなすごい評価してくれてるのに、自分が自分のことを認めてなかったんだなっていうことに気づいたんですよね。

いやいやお前結構いけてるぞ、とか、よく頑張ってるんじゃん、なぜそんな、ちょっと認めてあげようよ、よしよしみたいな感じで。ちょっとずつちょっとずつなんですけど、認めてあげられるようになったら、だんだん。自分の事が前はもう死ぬほど嫌いだったんですけど、ちょっとずつ、いや別に悪くないよなみたいな、いいふうになっていったんですよね。

そうなっていったら、逆にもっと自分のことを認めたり、自分のことを好きになりたいから、そういう方向で、エネルギーの注ぎ方っていう方向が変わってきたのかなって思います。

今まではとにかくがむしゃらに数字だったりとかで、みんなが100%っていう目標があるのに自分はじゃあ1000%やろうとか、そういうことばっかり考えてたんだけど。人と比べるっていうことをすごくしてきたけれど、負けず嫌いだったけど、人と比べるんじゃなくって、自分自身との戦いだったりとか、そう、克己心ですかね己に打ち勝つって書く。そっちなんじゃないかなって思って。そういうふうに思い始めたら、過去の自分よりもこういうことができるようになった、こういうこともできるようになったっていうのを認めてあげられるようになって、なんか少し気持ちが楽になったかな。

昔から別にすごいいじめられてるわけじゃなかったんだけれども、やっぱり言われるのが、ものすごい勢いで頑張るから、ちょっと近寄りがたいオーラが漂っていたということ。
そこから徐々に、ハルちゃんに相談したいとか、何でも話してみたい、頼りたいっていうふうに言ってもらえるようになった。

そしたらやっぱり、尖ってちゃいけないんだなっていう。みんなが全員、自分の敵じゃなくて、むしろ、自分が今まで苦しんできた分、みんなのことを助けたいなっていうふうに思って。そうなったら、自分が何か一つ頑張って成績を出すっていうことじゃなくて、周りを助けるっていうことに注力するようになっていったんですよね。なので、それがやっぱ大きい原因かなとは思います。

ただ、今も過酷なぐらい仕事をしちゃってるし、やっぱりよくないのが、みんなが頼ってきたら、それに本気で返しちゃうんですよ。もう疲れて、床で泥のように寝ちゃうようなぐらいにやっちゃう。100%、150%ぐらいやっちゃうから。だから、そういう意味でやっぱり、ワーッ、疲れたなってなると、過食に走ってしまったりもします。

qbc:摂食障害が良くなってきたのは、いつ頃ですか?

春野:私、子供2人いるんですけど、2021年に第2子を出産するとき、その辺りかな。YouTubeでみんなと繋がり始めてからだから、2021年ぐらいじゃないですか。もうつい最近ですよね。

qbc:それまでは割と、あんまり変わらないままで。

春野:すごい波がありました。

qbc:うんうん。

春野:妊娠したらみんな摂食障害治るとか思ってると思うんですけど、全然でした。一人目の娘が生まれる3時間前まで、ものすごい吐いてたし、働いてたし。で結局、娘はもう死にそうになって生まれてきました。そんなになっても、やめられない。周りには理解してもらえないし。

qbc:摂食障害のケアをされているとき、ご自身はどんな気持ちでやられてますかね?

春野:私はみなさんのお話を聞いて、自分の経験をシェアすることしかできないし。やっぱみんなすごいネガティブな気持ちで、一番思うのが、何かを私にしてほしいんじゃなくて、まず聞いてほしい。そうだよね、よくわかるよって思ってほしいんだなっていうのをすごい感じるので。病院の先生とかにこれをやれとかあれをやれと言われるんじゃなくて、私はとにかく彼らのことを理解してあげる、受け止めてあげるっていうことを一番大事にしなきゃいけないなというのを日々実感しながら、話を聞いたり、相談に乗ってますね。

qbc:姿勢ではなくて、ご自身の気持ちですね。その、やられてる時の。

春野:気持ち。うーん。

qbc:快感なのか、嫌な気持ちなのか。

春野:嫌な気持ちは一切ないです。自分に相談してくれるっていうのが、とっても嬉しい気持ちです。うん。確かにすごい内容が濃すぎる、重すぎるけど、それでも誰にも言えない、世界の他の誰にも言えないのに、私を選んできてくれてるっていうのは、すごくありがたいし。自分の中で、私はすごい幸せだなって思います。

qbc:質問が変わりますけど、趣味って何かありますか?

春野:趣味と言えるのかわからないですが、やりたいことはいっぱいあります。仕事が一番の趣味ですけど、やっぱり自分の言葉で自分の思っていることを発信するっていうのが、一番自分の趣味で。インスタグラムのリールだったりとか、あとはYouTubeライブをやることもそうですし。

あとは、みんながドヤ顔で自慢したくなるような英語とか、日本語とかを自分で考えて、それを発信したりとか。あとは教科書とかを自分で作ってみんなにわぁ、すごい!!なんで?って思わせたり。ちょっとお笑い芸人にもあると思うんですけど、笑わせたいっていう。笑わせたいじゃないけど、私は、すごい、これドヤ顔で自慢したいみたいな、そういうふうに思ってもらえるように、そういうコンテンツを作ったりするのがめっちゃ好きです。

qbc:いつ頃から作り出してるんですか?

春野:コンテンツ作り出したのは、多分中学校1年生です。まず初めにやったのが、中学校の定期テストの予想で。学校の先生の話を聞いてると、大体その先生が何考えてるかがわかってしまうので。この先生、絶対ここテストに出すなみたいなのがわかって。最初は自分のために作ってたんですよ。先生が出しそうなところを、ここテストに出る!っていうかたちで、テスト予想屋さんみたいにして。

で、最初は自分だけでやっていたけれど、少しずつ周りがそれを知りだして、「何これー?!」みたいになって。私は「テストに出そうな問題を予想して、自分のために作ってるんだよ。」みたいに言ったら、みんなが「欲しい欲しい」って言って。それで渡したら、最初のテスト、ほんとにその予想が見事に当たっちゃって。たくさんの人が、90点以上取ったわけですよ。

qbc:はいはい。

春野:そしたら、そんなのマジックでも何でもないのに、みんなが「テスト予想屋だ、全部あたるんだよ」って言ってくれて。それで調子に乗って、もっといい問題作るために、もっと勉強しようと思えたんですよね。何か変なふうに、何か悪いことしよう、じゃなくて、先生の話もっと集中して聞いたらきっとわかるだろうって。
あと、失礼なんですけれど、先生たちが教えるの下手だったら、いやこれはこういうふうに教えたらもっとわかりやすいのに、みたいなのをどんどん分析したりとかするようになって。

だから、中学校のときにそういうテスト予想屋さんをしていた。最初は普通のプリントですね。で、それを全部ためてたんですよ。今もある。カナダに来たときには全部持ってたので、それを今スキャンして、全部。今はデータで持ってます。

qbc:ご自身の性格は、どういうふうに思ってますか?

春野:めちゃくちゃ負けず嫌いだし、めちゃくちゃポジティブだし。なんだろうな。こんな人間いない!なんていうんでしょうね。英語で言うとgritっていう4文字なんですけど。本当に七転び八起きっていうか。絶対に負けないみたいな、どんな人が無理って言っても、どんなことがあっても絶対負けない、みたいなそんな人間ですね。

ずっと鋼のメンタルであり、強靭だなっていうふうふうに思ってます。だけど、同時に、すごい弱い部分を持ってる。その、天才と馬鹿が紙一重みたいなのと同じ、その紙一重なところがまた私の魅力なんじゃないかなと。

基本、みんなからは強くて、何でも自分でできるって思われてても、実はすごい弱い部分を持ってる。だから、私も人間だよ、ロボットじゃないよ、神様じゃないよ、っていう。そこが私の魅力かなと思います。

過去:だから結局、根拠がきちんとあるわけじゃないけれど、自分で絶対にできる!って自分のことを信じていて、周りにはすごくけむたがられていただろうけれど、でも結果的に、自分は自分でやるって宣言したことは、どんなにしんどくても絶対達成していく。

qbc:子供の頃から10代ぐらいってどんな子でしたか?

春野:本当に物心ついた時、幼稚園のときくらいから本当に負けず嫌いで。一番最初に記憶があるのが、鉄棒なんですけど。4歳かな。園の年少さんの目標で、足抜き回り、前回りをできるようにする、みたいな、そういうのがあって。それが、クラスで、私ともう1人が出来なかったんです。あとは全員できてたんですよね。もう1人は実は手が不自由だから物理的にどうしようもなかったんです、鉄棒が持てないから。

でも私は五体満足に生まれてきて、手も自由に使える。それなのに、1人だけできないっていうのが、4歳ながらわかってて。毎日、幼稚園が終わった後に、近くの神社にある鉄棒で、夜、夕日が沈んで、あたりが真っ暗になってみんながいなくなるまで、手の皮が全部剥けるまで、やって。もう家族がみんなそんなにがんばらなくていいよっていうのにやる。で、結果、ちゃんと達成したんです。

それと同じで、小学校に行ったときも二重跳びが全然できなくて。元々、運動神経が悪くはないけど、かといって、めちゃくちゃいいわけじゃないんですよね。夏のね、猛暑で気温30度以上ある日、みんなプール行ってるんですよ、弟とかご近所の子たちみんな。なのに、私1人で、ひたすら汗かいて。

父親が見るに見かねて、頼むからプールに行くお金もアイスクリームのお金もあげるから、プール行っておいでって。それぐらい言っても、いやだ絶対に今日中できるようになる、私は絶対できるんだって言ってひたすら汗を流しながらやり続けてました。で、結局、結果的に、夜にはできたんですよね。それどころか、結局その小学校2年生のときの最後には、100回以上連続でできるようになったんです。

だから結局、根拠がきちんとあるわけじゃないけれど、自分で絶対にできる!って自分のことを信じていて、周りにはすごくけむたがられていただろうけれど、でも結果的に、自分は自分でやるって宣言したことは、どんなにしんどくても絶対達成していく。

qbc:子供の頃は、どんな遊びしてましたか?

春野:私、小学校低学年は、埼玉の山の中に住んでたんで、ケイドロとか。あの警察と泥棒の追っかけっこみたいなの。オニごっことか色オニとか、高オニとか、そういうのをずっとやってたかな。あとは勝手に私が自分で作った遊びで、リレー?アスレチックリレーっていって、途中に障害がいろいろあって、それを飛んだり跳ねたりしながらリレーをするのとか。そういうのをやったりとかして。とにかく体を使ってめちゃくちゃ走り回ってましたね。家の中で細々したことやったりとか、ゲームをやるとかは一切したことなかったです。

qbc:20代ってどんな感じですか?

春野:20代は、まず大学院にいたかな。最初の頃は。私は大学・大学院は、バイオテクノロジーを専攻したんですけど、最後の修士論文を書くときに、不慮の事故に遭ってしまって、全身やけどを負ってしまったので。そこでもう手が動かなくなっちゃって、将来そっち方面に進むのは完全に諦めなければいけなくなった。「6年も学校行ったのに!かわいそうに」って周りから言われて、しばらくはなんかどうしていいのかわからなかったですね。

そのときに、就活も内定取り消されちゃったので、また1からやり直したんですけど。最低最悪のそんなときだったから逆になのか、自分で発想の転換ができるようになったかなと思うのが、いやいやいや、生存率18%なのに生きてたんだから、生きてるっていうことの方が奇跡なんだから、そんな内定取り消されたぐらいでへこんでる場合じゃないと、今できることをやろうっていうふうに、そこで切り替えられて。そこからすごく強くなってきたのかなっていうのがあって。

就活で100個ぐらい落とされたんだけれども、最終的に楽天という会社が拾ってくれたから、拾ってくれたんだったら私はもうそこに大貢献しようっていう。そういう、自分のことを認めてくれるところにはもう最高に、もう100パーでも200パーでも力を注ごうというふうに考えて、そっからはもう全力でがむしゃらに走ってましたね。20代はね、ほんとに
早朝から終電までがむしゃらに突っ走ってましたね。

qbc:全身のやけどっていうのは、どうしてなったんですか?

春野:不慮の事故ですね。火を扱っていたときにちょっと集中力が散漫になっていて、気づいたときには来ていたフリースに着火してしまっていて、もう自分ではどうしようもないような状況になってしまっていて。で、火災報知器も鳴ってましたね。ワーッて燃えたときに、とにかくわかんないから周りは水をかけてくれたんですね。でも、これ、本当は、駄目なんですよね、水をかけるのって。布とかをさっとかぶせるんじゃないと。多分水欠けたことで皮がべローンっていっちゃって、意識がなかったんですけど、火災報知機が鳴ってるのが最後の記憶で、そのまま私は東京の慶應大学病院の、ICUに運ばれました。もう一瞬でしたね。本当に。

qbc:その頃はもう、摂食障害だったんですよね?

春野:はい、摂食障害でした。ひどかったです。その頃。

qbc:楽天でご活躍されて、その後どんな感じでしたか?

春野:楽天で働いてて、楽天ですごい成績を出したっていうのもあって、社長も含めて周りのみなさんに認めていただいて。でも、周りから「お前本当は何やりたいの」って聞かれたんですよね。すごい営業成績叩き出してるけどバックグラウンド見たら理系だし、何をやりたいんだ、お前がやりたいことってなんだ?私は学校の運営をしたいんだよねって、自分の学校を作りたいんだよねっていう話をしたんです。

そしたらなんか3日後に、「横浜のちっちゃい潰れそうな学校を700万で買っといたから明日から校長やって」って言われたんですよ。で、ええっ? て思って行ったら、自分は農学校とか、農学ね、あの、農作物を作ったりする、そういうのをやりたかったのに全然得意じゃない英語の、潰れそうな英会話スクールだったんですよ。そこに4人のネイティブがいて、それで生徒は30人ぐらいしかいなくてもう赤字垂れ流しみたいな状態で。その建て直しをやるっていうところからはじまりました。

私英語ほとんどできなかったんですけど、プログラムの作り替えから、集客のためのポスティングから何から何まで自分でやって。プログラムも、その時、その学校で使われていた教科書とかがあったんですが、そういうのを全部度外視にして。彼らの話を聞いた上で、どういうふうに教えたいのって言ったら、遊具、なんかラダーとか、トランポリンとかを使って、体を動かしながら英語を教えたいって言ったので、その通りにやってみたんですよね。やってみたら、すごいたくさん生徒たちも来たので、結局蓋を開けてみたら、1年後、158人まで生徒が増えて。その損益分岐点が100人だったんで、それも超えて、ひとつ一応目標が達成できた。こうしてみてみると私が今やっている脱教科書英語、教科書では学べないネイティブの生きた使える英語を教えるって言うところに至る原点がここにあるのかなって思いますね。

徐々に生徒さんが増えていく中で、ずっと私の事は英語できないくせにこいつ校長で来たって馬鹿にしていたネイティブたちが、徐々に変わっていくのを感じました。こいつがいなかったら俺らの給料は確保できないから、こいつを馬鹿にしちゃいけないって。日本にいながら、毎日12時間近く、一緒に彼らと生活する中で、ずっと英語を彼らが教えてくれるようになり、どんどん新しいことに挑戦していく中で、彼らが、お前は絶対日本の中にいたらもったいないよ、世界をもっと知ってくれって、その1人がカナダ出身で、「お前カナダを1回でいいから見に行って来なよ」って、送り出してくれたんです。

qbc:それは何歳ですか?

春野:ワーホリがもうできなくなってたので、31ぐらいかな。

qbc:カナダ編を5分ぐらいでまとめると、どんな感じでしょう?

春野:簡単に言うと、何も知らないで来てみて、空を見上げたら空がものすごく広かったし、周りのみんながものすごく自由に生きているっていうか、自分をすごい持ってるなっていうのを、空港降りただけで感じたんですよね。なんだかもうその時点でカナダに呼ばれてたなって思っちゃったんですが、たまたま、教育に興味があったから学校に見学させてって言ったら見学させてもらえて。そこで、鈍器で後頭部殴られたぐらい衝撃を受けました。日本と教育が全く違うっていうのにそこで気づかされましたね。
日本はただ丸暗記をする。でもカナダは情報を与えられて、なぜそうなるかっていうのを考える。全然教育方針が違ったから、すごい、私ここで自分で学校やったりとか、ここで人と交わって生きてみたいっていうふうに、強く思っちゃったんですよね。そんなたった1日か2日で。それで日本に帰って荷物全部まとめて、私もうカナダで生きるって、何もあてがないのに、また1週間後にカナダに戻ってきちゃったんです。それから私、1回も日本に帰ってないです。8年。

そういう状態なんですけど、その間は本当に苦しかったんです。カナダに残るためにもう1回カナダの大学に行って、発達障害の子たちの勉強をして。でも、苦しくて苦しくて、英語もよくわからない、誰も助けてくれる人がいない。

でも、頑張ってて諦めなかったら、どんどん道って開けるなって思ったのは、カナダのある留学センターの社長が、バンクーバーが本社なのに、トロントオフィスを開設したいなみたいな、たまたまふらっと来てるときに、私は出会うことができて。ちょっと手伝ってって拾ってもらうことができて。それで結局、その留学センターでそれからもう7年働かせていただいてます。

カナダって、こうじゃなきゃ駄目っていうのはないから、副業もしていいし。
産休育休も、私一切取らなかったんですけど、周りが無謀って言っても、でもやりたいんだったらやってみたらっていう感じだから、やってみて全然産休育休なしで大丈夫だった。自分がやりたいことを、自分の夢がどんどんどんどん叶っていくっていう場所が、カナダだなっていうふうに思っていて。

だから日本で例えば今自殺とかRyuchellさんのこととかもあって、本当にLGBTQの人とか日本ではまだまだ肩身が狭かったりするけど、そんなLGBTQの人たちで自分の個性のまんまで生きていらっしゃる人たちって、死ぬほどいるんですよね、カナダには。だからむしろもっと、カナダに呼んであげて、みんな来やすくなればいいのになって思っているんです。経済の問題とかあると思うんですけど、でも、今いる場所がすべてじゃなくて、生きる場所っていうのは、まだまだあるよって。

日本が駄目だから、日本で自分が生かされてないからって、全然死ぬ必要ないよ、死んじゃったらもったいないから、もっと生きようって、みんなと一緒に生きようっていうのを教えてくれたのがカナダだし。日本にいたらもう30とかもう40って思っちゃうけど、あなたまだ30代よね、40代よねって。カナダでは40でも50でも子ども産むのよとか、40代50代60代70代って、どんどん年を重ねるごとにどんどんどんどん人生は楽しくなっていくのよって、みんなが口々に教えてくれたのがカナダなんですよね。

qbc:お聞きしたいんですが、日本で駄目だと思ったことって何ですか?

春野:年齢でアウトにしちゃったりとか、履歴書見てもうあなたはダメだとか。

qbc:個人的な経験で具体的に駄目だったことはありますか?

春野:自分が面接を受けたときに、大学院卒業なんですねって言われて、それだけで、給料を大学生の給料しかあげられないんで大学院生は雇えないんですって言われて、面接をする前にもう切られてしまう。

qbc:うんうん。

春野:あとは、学歴とかだけで決められたりとか。うちは早稲田卒以上じゃないと無理なんでとかっていうふうに言われたり。あとは年齢制限的なものだったりとかをすごい感じたのかな。そういうのがなんか、もったいないなって思いました。

qbc:その他は、何かありますか?

春野:あとはその、全員右へならえっていうのもすごい嫌で。私が幼稚園のときに嫌だったのが、ガラスのコップに紙粘土を貼って、それを焼いて素焼きにして、色を塗るっていうやつで。先生が好きなようにやっていいよって言って。だから私は全色混ぜたんですよ。なのに、いきなり「みんなこっち見て」って。隣の女の子は泉ちゃん、で私。「みんな見て、泉ちゃんのはすごく綺麗に塗ってます。黄色一色で、どんぐりも綺麗に横に並んでます。でも真理ちゃんの見てください」って、私のやつですね、「こんなに色汚いです。どんぐりもぐちゃぐちゃです。みんなこういうふうに和泉ちゃんみたいに作りましょう」みたいなのを、平気で言ったんですよね。

qbc:はい。

春野:私がちっちゃいからわかってないと思ってたのかな。でも未だに覚えてますからね。3、40年近く。やっぱりそのときショックだったんでしょうね。でも、家帰ったら、いいじゃん、素敵な色合い!これいいよって家族が褒めてくれたのだけがほんとに救いだったんですけど。なんでそうやって、これは駄目とか思っちゃったり発言しちゃうんだろうって。みんな違ってみんないいじゃん、って思うのに。

未来:手放すってことはしないですね、完全に。なんでかってそれも私のアイデンティティの一つで、摂食障害も私のアイデンティティの一つだから。摂食障害を完治させようって最近は思ってないし、もちろんすごい体をむしばむから、良くなっていった方がいいんだけれども。絶対にずっと考え方、痩せていたいとか、そういうのは変わらないから、それも含めて自分だから、そういう自分を認めてあげたいし。

qbc:5年10年30年、最後死ぬっていうところまでイメージして、どんなふうに未来を思い描いてますかね?

春野:死ぬまでにやりたいこと。今40になったんですけど、私はカナダに来てから、年齢を重ねるごとに人生が楽しくなるっていうふうにすごい思っているから、40代50代はまだまだチャレンジできるなっていうふうに思っていて。

qbc:はい。

春野:今はどうしてもちょっと億劫で、あと子供もちっちゃいから、カナダで頑張ってやろうっていうふうに、ずっとカナダにしがみついてきちゃったんですけど。これからは日本とカナダを往復して、あと全国を飛び回りたいなっていうふうに思っています。まずは日本を元気にする。それが40代。

で、2030年までに一応TEDx Talksに出る。日本全国を回ることによって日本のみんなを元気にすることができたら、基盤ができたら、TEDx Talksに出ることによって、今度は世界進出する。世界のみんなを元気にする。特に摂食障害だったりとかっていうのは、世界でいうともう本当何百万人っていうふうにいるので、そういう人たちを元気にさせるっていう意味で。

40代は、日本にちょっと注力だけど、それ以降、50代は世界に目を向けていく。そして私の本、2冊目の方が日本語ではものすごいパワフルなんですけど、それを矢沢愛さんみたいに、あのNANAという本が、世界18カ国かな。黒柳徹子さんの窓際のトットちゃんも本当に何言語にも訳されていてすごいですよね。

私の本もそういうふうになって、私の本は幻冬舎さんが永久保存版って言ったので、絶対自分が死んでからもずっと残るから、それを世界中の言語に訳されたやつが永久に残るようにして。有名になりたいというよりかは、その本を読んでくれた、手に取ってくれた人が少しでも生きづらさっていうのを生きる喜びに変えられたらいいなって思う。それをまっとうしたいし、それで1人でも、この世の中に生まれたっていうことは素晴らしいことだし、それを感じてもらえる人が1人でも多くいられるように貢献したい。それが一番大きいですね。

あとは、子供たちね。私の子供たちってすっごくラッキーだなって思うのが、カナダの中でもトロント、253民族が住んでるっていう、世界一の多民族国家に生まれてるからこそ、彼らは今英語とフランス語と日本語を喋るんですけど、世界の人たちのことを、偏見を持つんじゃなくて、みんな違ってみんないいっていう、その気持ちを持って、私の真似をしろとは言わないけど。そういう地球人?宇宙人?として、地球レベルでみんなと仲良くなったりとか、何かこう伸び伸びと、私は何をやれとは言わないから、自分の思った通りに、羽ばたいていってもらえたらいいなって。

あとは、今教えている生徒たち。今の小中高校生。彼らも羽ばたいていくときに、私から教わったことっていうのを何か一つでも覚えててもらって自信をつけて、世の中に羽ばたいていってほしいな。それが、これからの目標っていうか、願いっていうか。

qbc:日本を元気にしたい、摂食障害のケアをしたいっていうのもそうなんですけど、その根源のパワーってなんなんですかね?

春野:これって、周りを元気にしたいとか言ってるんですけど、自分のことを俯瞰するとね、そうやってやることによって、自分が一番元気づけられてるんですよね、実は。

人に、「おお、ハルちゃんスゲーな」って、「魅力的だな」って思ってもらったり、「わーっ私もあんなふうになりたいな、なんであんな元気なんだろう」って、思われたいっていうのもあると思うんですよね。だから周りを元気づけたいって言いつつ、自分が元気づけられたいのかもしれないです。

qbc:その頑張るっていうことが跳ね返ってきて、摂食障害に繋がってきたわけじゃないですか。それを手放すっていうことは考えてないですか?

春野:完全に手放すってことはしないですね、なんでかってそれも私のアイデンティティの一つで、摂食障害も私のアイデンティティの一つなんですよね、きっと。摂食障害を完治させようって1回も思ったことはないし、もちろんすごい体をむしばむから、良くなっていった方がいいんだけれども。絶対にずっと考え方、痩せていたいとか、そういうのは変わらないから、それも含めて自分だから、認めてあげたいし。

qbc:そのアイデンティティを1回捨ててみるってのは、想像されたことありますかね?

春野:いや考えたことあるかもしれないですけど。でもどうなんだろうな、ないかな。

qbc:なるほど。

春野:ぶっちゃけ、こんなにしんどい思いをして、周りからしてみたらもうそんな壮絶な人生なのにって言われるのに、でも私自分の人生好きなんですよね。うん。この苦しんでるけど、今も。なんか自分の人生悪くないなって思うんです。だから、捨てようと思わないです。

qbc:今まで、一番苦しかったことって何ですか?

春野:一番苦しかったことかあ。いっぱいあるけどな。でもあれかな。交通事故に遭ったときかな。

qbc:交通事故にも遭ったんですか?

春野:歯を全部失ったんですけど。日本にまだいる時、新宿の南口の交差点で、赤信号待ってるときに、男の子が右からポッと出たんですよね。あれっ、て思ったときに左を見たら、2tぐらいのトラックが走ってきてて。やばい!この子確実にはねられるって思ったら、やっぱり正義感が強いので、知らないうちにもう走ってて。とにかく無我夢中でその男の子を思いっきり向こうに突き飛ばして。その子が向こうの安全なとこに転がったって確かめられた直後、彼の代わりに自分がはねられちゃったんですよね。

そのとき、意識がなかったんです。頭は20何針縫ったし、歯もボロボロに折れてて、病院に運ばれたときには意識戻ってたんですが、こんなになってまで、何やってんだろって自分でも思いましたね。あの時は、死んでたら楽だったのにと何度か思いましたね。あまりにもその時の負傷がひどすぎて。肋骨も折れたし。そんな状況でも看護師さんに、あの子は元気なのってのを何度も聞いてたらしくて。そんな状態なのにもかかわらず、周りのことを心配しちゃう自分って何なんだろうって思ったり。いや、でもなんか自分らしいなと思ったりも。
qbc:今まで、一番楽しかったことって何ですか?

春野:楽しかったこと。うーん。摂食障害に関しての内容を扱っている方のYouTubeチャンネルで、YouTube LIVEをやったときに、「ハルちゃんに出会えてよかった、生まれてきてくれてありがとう」と言われたことかな。一番嬉しかったのは。楽しかったっていうのはちょっと変ですけどね。でも、そういう人たちと一緒の時間を過ごせているその瞬間、楽しい、最高だなって思えましたね。他にも楽しいことってたくさんたくさんあったと思いますけれどね。

qbc:もしもの質問なんですけど、摂食障害がなかったらどうなってたと思いますか?

春野:摂食障害が無かったらもうちょっと、いや、今の自分はないな。つまらない。いや、それなりに頑張ったかもしれないんですけど。

qbc:じゃあ、もしも、摂食障害でもダメージを受けない身体だったらどうだったですかね?

春野:うーん。オリンピック選手とかになってたかな。

qbc:なるほど。
春野:なりたかったんで。私、100キロマラソンとか走っちゃう人なんですよね、今でも。なってたんじゃないすか。

qbc:フィジカルの方なんですね。

春野:うーん。やっぱりマラソン選手とかになってたかな。肉体と精神、両方を使うので。

qbc:自分を追い込むのは、やっぱりすごく好きなんですかね?

春野:すごい好きだと思います。その方が頑張れるし、モチベーションも上がります。

qbc:うんうん。

春野:苦しいですけどね。もうこの私の人生、全部苦しいから。

qbc:一番痛かったことって、何でしょうか?

春野:それはやっぱりあれじゃないですか、交通事故に遭ったときかな。歯も痛かったし、血の量が半端なかったんで。大火傷のときも、もう全身やけどして、骨見えるほどひどい負傷してたんですが。それでも、やっぱり、車にはねられたときですかね。痛いのなんの、治りかけが一番しんどかったです。隠してましたから、ひたすら。何食わぬ顔してスーツ着て、1日3回スーツ替えて、ドロドロになりながら外走り回って営業してましたね。

qbc:人を解放するときに得られる気持ちと、自分をいじめて頑張ってるときに、どっちが感覚的に良いと思いますか?

春野:どっちが気持ちいいか、ですか。

qbc:そうそう、自分の中で。人の成功と自分の成功というか。

春野:えー、どっちだろう。重なっちゃうな。でも人の成功は、イコール自分の成功なんで。なんでかって、人を動かすことができるのって私なんだなっていう、自分の自信になるから。

qbc:そこに傾いたときから、始まったっていう感じですかね。他人の成功を手伝うっていうことは、頼られるようになって楽になったみたいな話してませんでしたっけ。

春野:うん、最初から、そうですね。面倒見はいい方だったんで、ちっちゃいときから。

qbc:なんで12歳のとき、摂食障害になっちゃったんですかね?

春野:いや私のきっかけは、最初に話した通りで。ちょっと体調悪くなって痩せたら、「足すごい細いね、痩せたね」って言われて、そんなに人が注目してくれるのって、すごい嬉しくなっちゃったんですよね。痩せることなんかどうでもよかったんですけど、これで周りが集まってきてくれるんだなって、勘違いしましたね。

qbc:やっぱり、1回目と同じなんですね。人によっては、2回目に聞いたら違う回答になる時もあるんですけど。

春野:あえて聞いたんですね笑

qbc:そうですそうです。
それでは、最後の質問ですね。最後に言い残したことがあれば、お伺いしております。

春野:そうですね、この世の中で生きるって、そんなに楽じゃないし、むしろしんどいことって死ぬほどある。でも、生きてたら、苦しくても絶対諦めなかったら、頑張っている人っていうのを神様は絶対見捨てない。

努力っていうのは、必ずいつか報われるって言って、いや、全然報われないよっていう人もいると思うんですけど、それはまだ努力が足りないって自分では思ってるし、たとえ達成できなくても絶対頑張っていると、周りが味方してくれたり助けてくれたりするから。

だから、諦めなかったら、ずっと自分というものも成長していけるし、未来は明るいと思っていいと思う。そんな綺麗事だけじゃ、片付けられないけれども、でも、そういうふうにまずは必ず希望があるんだっていうふうに、自分がまず思うっていうことが始まりかなっていうふうに思うから。

常にネガティブに考えてしまう人っていうのは、そういうふうにプラスに考えるっていうのを、1日に1分でもいいから毎日やったりしていくことによって、だんだんだんだんマインドセットできるし。このインタビューの中でも話したと思うんですけど、必ず生きづらさっていうのは、自分で生きる喜びに変えることができるって私は信じてるし。もしできなくて、自分で難しいと思うなら絶対に手を差し伸べたいって思うから、私は、これからもそういうスタンスで生きていたいし、みんなをそういう、同じ方向じゃないけどそういう方向に一緒に巻き込んで、エンパワーメントしていきたいなっていうふうに思うのが、私からのメッセージです。よかったら動画にも遊びにいらしてみてくださいね🎵
https://www.youtube.com/@haru-tamin/
https://www.instagram.com/haru.tamin/

qbc:ありがとうございました。

春野:ありがとうございました。

あとがき

今回、文字起こしがインタビュー翌日にあがってきてびびりましたね。
はやーい。
内容が濃かったけれども、それが翌日もう原稿になっていたので、ちょっとめまいがくらくらしてますね。
【インタビュー・あとがき:qbc】

【編集:なずなはな】

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