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人の目を気にせずに自分らしく生きていきたいと思う人

皆さんは、人の目を気にしていますか?
私はねー。10代20代は気にしてましたよ。でもね、30すぎたくらいから気にしないようになりました。気にしてないわけではないですが。人の目に合わせて何かするパワーっていうのがなくなってきたんですよね。
もーむり、あーむり。
合わせるの辛い。ていうふうに。それは、ちょうどその手前で合わせすぎてうつになってしまったからなのかもしれませんが。
人の目を気にしちゃ生きていけないなと思ったんですよね。それで気にしなくなりました。気にしなくなるとどうなるか? 真冬に短パンで行動するようになりますね。私、足に物がまとわりつくの嫌なんですが、それで家ではずっと短パンなんですけれども、そのままで真冬も外にでるから、なんか人目があるんですね明らかに。足を二度見される。ほんとに外に出るぞって時は長いズボンはきますよ。でも、スーパーと散歩は短パン移動するから。
でもこれでちょっと風邪ひきやすくなってしまってるかもしれないと思ったり。
人の目をまったく気にしないのも体に毒だなと思ったんですが、え、え、え、ええ、ええ、ええわかってます。ものごと、極端にしてしまったらなんでも地獄ですね。オンオフ使いわけていきましょう~。
ということで無名人インタビューゴッ!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは W さんです!

現在:ヨーロッパのジョージアというところに行って、フリーランスとかでいろいろ働く人たち向けの講座を1ヶ月間受講をした後にカナダに行ってスキーの留学をしようと思ってます。

qbc:何をしている人でしょうか?

W:今は会社員をしているんですが、会社を休職して2024年から休職をして今から海外に留学しようとしているところです。

qbc:どこに留学されるんですか。

W:留学先はカナダなんですが、1月はそのカナダに行く前にヨーロッパのジョージアというところに行って、フリーランスとかでいろいろ働く人たち向けの講座を1ヶ月間受講をした後にカナダに行ってスキーの留学をしようと思ってます。

qbc:どんな気分ですか。

W:そうですね。わくわくが2割くらい、あとは不安が3割ぐらいで、あとは無って感じです。

qbc:それはルーティーンの会社員をしてるときと同じぐらいの感じなんですか?どん感じ?

W:会社員をしているときは、6割がた緊迫感というか緊張感、責任感みたいなものがあって。残りの4割は、中で楽しいとか、眠いとかそういった感情が混ざってる感じなんですけど、そのキャパからすると、今は半分ぐらい無っていう感じです。

qbc:でかいですけど人生っていう部屋っていうか地平で見たときに、今はどんな良い悪いというとどっちですか。

W:いい方だと思います。何か地平線で話をするのならば夜明け前みたいな感じがちょっとしてます。

qbc:とはいえ会社員自体も悪かったわけではないですが、どっちだった。0としたらプラス側マイナス側なのかっていうと。

W:今はプラスに捉えることができてるかなと思います。当時というか、その場その場を切り取ると結構つらかったりとかっていう場面もあったんですが、今はちょっと俯瞰して見れてるので、今となってはそういう経験もあってよかったなっていうプラスに捉え直すことができてるっていうような感じがします。

qbc:会社員何年ぐらいですか。

W:会社員5年ぐらいですかね。五、六年くらい。

qbc:つらかった時期っていうか苦しかった時ってどんな感じだったんすか。

W:苦しかった時期は、直近ではないんですが、会社員の2年目から4年目くらいの間の2年半。海外事業部にいたんですけど、ちょうど海外事業部に入って直後にコロナが来てしまって、海外の仕事が基本的にはストップしてしまったんですよね。
それで、まず仕事がないっていう状況があり、結構意気込んでいたのに仕事がないので、ちょっと手持ち無沙汰というか何もすることないなっていう無力感みたいなものがまずあって。
その中でも、自分なりにできること資格の勉強をしたりとか、家で趣味に没頭したりとかはしてたんですが、やっぱり仕事っていう面ではあまり成果も出しづらい無力感を感じざるを得なかったですね。

コロナで仕事があんまりない時期が2年半のうち1年間ぐらい続いて、そのあとは海外出張とかポツポツ出てはきたんですけど、ちょっと上司との関係というか関わり方は、あまり適正じゃなくなってしまって、ちょっと鬱までいかないんですけど、何となく気が晴れないなみたいな日々が続いてしまったので、その時期が結構つらかったなと思います。

qbc:どうやって脱したんですか。

W:そのときは、近い部署の先輩と元々仲良かったわけではないんですが、たまたま話す機会があって。そのときに気分が晴れないとか、普段の業務こんな感じですみたいな話を雑談でしていったら、それもったいないよねみたいなと言ってくれて。一回別の部署の上司とかと話してみたらっていうふうに、おすすめしてくれたんですよね。
それで確かに話すこと自体は別に罪でもないですし、キャリアの相談というか、何か先輩に相談するみたいな感覚で別の部署の人に相談してみたら、いやそれちょっと鬱っぽいんじゃないみたいに言ってくれて、自分もそういうときがあったから、診療所とか行った方がいいよっていうふうにおすすめしてくれて、それで診療所に行ったんですよね。

確かに鬱の症状はあります。ただ、今の環境が原因だと割と明白なので、環境を移せば治るんじゃないですかっていう具体的な内容でそのときの先生が話をしてくださったので。
それでもう部署異動すれば、これ回避できるんだなっていうのが自分の中で明確になったので部署を変えて、気分も晴れやかになりました。

qbc:留学の方に戻って、1ヶ月フリーランスの勉強はどんな気持ちでどんな内容なんですかね

W:元々の自分の動機としては、コロナのときに仕事がなかったっていう経験があったので、あんまり会社に依存しない働き方ができるといいなと思ったんです。とはいえ、今の会社も結構好きなので、会社を離れたいというよりも自分の選択肢の一つとして、今の会社で働き続けるっていう選択を持っていたいというのが動機でした。
今は会社員一択なんですけど、複数カードを持っていてその中に会社員があるっていうような状況にしたいなと思っていて。

そのときに、フリーランスとかコードを書くとか、そういったスキルがあるといいなと思いつつ。コード書くっていうのは、ホームページを作ったりっていう作業だと思うんですけど、実はコロナ禍でも1回挑戦したことがあって、Udemyっていういろいろ教材があるサイトで勉強したことがあるんですけど、挫折したんですよね。
なので、動画教材とかにあまりこう生身の人がいないものっていうのが、自分としては継続しづらいんじゃないかなと思ってたんです。

今回いろいろ動機があって、フリーランスの勉強するってなったときに、いくつかそういったフリーランスで働く、フリーランスでかつリモートで働いてる人たちの職種を試してつまみ食いできるようなサービスがあって、それを見つけてかつ実際フルリモートで働いてるような方々が多い国で、日本人向けに開催してるサービスがあったので。それであれば生身の人がいるっていうところがまずクリアしていて、自分がコード書くことに挫折しちゃったんですけど、向き不向きって言うのもつまみ食いをすればある程度傾向が見えるんじゃないかなと思って、一気に何かを教材を買って初めて挫折するっていう失敗がないようなサービスかなと思ったので、それに応募しましたね。

qbc:開催してるのは、どこの法人というか、どこの会社ですか。

W:ノマドニアというサービス名でされていて。

qbc:日本の企業?

W:企業なのかな。サービス名がノマドニアしかわからないんですけど、立ち上げた方たちは、それぞれでも法人を持ってたりするようなフリーランスの方達で実際講師としても、会えたりするみたいです。

qbc:カナダは。

W:カナダは、元々ノマドニアに1ヶ月行った後、しばらくノマドニア参加経験者とかがいる国を転々としながら自分も好きでアップしたいなと思っていたんですけど、私が実際行く国はジョージアという国なんですが、ヨーロッパの東欧なんですけど、ウクライナの近くなんですよね。
元々ウクライナの近くでちょっと危ないというか軍事的な動きがあるっていうことは知っていた上で、ジョージアを選んだんですけど。なので、ウクライナの動きが何かあるかもなっていう予想はしていたんですが、去年の9月ぐらいにウクライナじゃない、ジョージアの隣国のアルメニアとアゼルバイジャンが、軍事紛争1週間ぐらい起こしてそのニュースを見たときに、しばらくジョージアにいるつもりだったんですけど、これ危ないんじゃないかなとか、自分が実際何か危険に巻き込まれなかったとしても、精神的に安心できないなと思ってしまって。そこから急いで他に滞在できる国でビザが取得できる国を探し始めました。
候補にカナダとかオーストラリアとかあったんですけど、それをビザについて調べているときに、いろんな人のブログとかを漁ってたんですが、スキー場でバイトをしたみたいな。スキー場でワーホリしてたみたいなブログを見つけて、そういえば私スキーが趣味だったなっていうのをそこで思い出したんですよね。
しかも、やりたいことリスト100みたいなのを昔書いてるときに、スキー留学したいって書いてたんですよ。それ思い出して。これってもしかしてスキー留学するチャンスなんじゃないかなっていうふうに自分の中でピッとなんか点が線で繋がったみたいな感じがあって。

昔スキー留学したいなって思ってたとき、社会人1年目ぐらいのときに思ってたんですけど、そのときにカナダにスキー留学を受け入れる学校があるっていうこと知ってたんですよ。
それでカナダをもう一度調べ直してその学校の方と連絡を取って、すぐジョージアで1ヶ月過ごした後の、残りの11ヶ月はカナダに行くっていうのを即決したっていう流れです。

qbc:スキーっていつ頃からやってたんです。

W:スキーはもういつから始めたか覚えてないぐらい、小さいときからやっていて。ちょっと親がちょうど私をスキーに連れてっての映画の世代なんですよ。
なのでかつ、バブルで結構スキーが流行ってた時代の人たちなので、その流れで私とか姉がいるんですけど、子供が生まれてからもスキーに行ってたみたいですね。

qbc:親御さん何歳ぐらいですか。

W:今年還暦になるくらいです。

qbc:そうするとどれぐらいの頻度でスキーされていたんですか。

W:学生の時。小学校から高校くらいまでは、冬と春に1回ずつ3泊4日ぐらいのスキー教室に参加していて、それは子供向けのスキー学校みたいなところですね。その他に家族でも行ってたので、たぶん年間10日ぐらいは滑っていたと思います。

qbc:スキーしてる時ってどんな気持ちなんですか。

W:スキーしてるときは、大学生ぐらいまでのときはすごく優越感があって。人より長く滑っていているのでそれなりに滑れるというか。すごいうまいわけではないんですけど、そんな転んだりとか難なく滑れるっていうことが、結構優越感でしたね。
他にあんまり得意なことがないっていうのもあってスキーぐらいでしかそういう気持ちになれないので。自分の自信が取り戻せるような時間ですね。
今はどちらかというと楽しいとかリフレッシュみたいな気持ちの方が強いですね。

qbc:スキー留学ってどこまでやるつもりなんですか。何を得たいというか。

W:カリキュラム自体はカナダのスキーインストラクターの資格を取るっていうことなんですけど、もちろん人に教えられるスキルとかが身につけば、スキー人口を増やすとか一緒に楽しめる仲間を増やすっていうことに繋がるのでいいなとは思ってるんですけど、仕事としてずっとインストラクターをしたいっていう気持ちが今強いわけではなくて。
どちらかというと安全に野生の自然を楽しめる術を知りたいとか、あとは綺麗な景色が見たいとか。そのツールとしてインストラクターのカリキュラムを受けられたらいいなっていう感じですかね。

qbc:他に趣味っておありですか。

W:ここ数年は結構登山をしてたんですけど、夏山っていうんですかね。雪がついてない山に登って、山の上で焼肉とかして遊んでたんですけどか最近それもちょっと飽きちゃって。
山に行くのって結構、時間もお金も使うんですよ。なので山だけやってると他のことができなくなるという、結構トレードオフな側面があるなと思って、飽きたっていうと言い方悪いかもしれないですけど、登山だけやってることにちょっと危機感を覚えたので何か他の趣味やりたいなと思いつつ、それぐらいですかね、趣味といえるもの。

qbc:特にあまり大きい趣味はないっていう感じですね。めちゃくちゃ本を読みますとか。

W:本は、平均的には読む方だとは思うんですけど、趣味っていうほど読みあさってる感じはしないですね。

qbc:性格は周りの人からなんて言われます。

W:家族から結構マイペースとか、緩いとか言われますね。友達からはそんなこれっていうことを言われることはないんですけど、変わってるねって言われたことは何回かありますが。あんまり人って知れば知るほどユニークな存在だと思うので、普通の人って逆にいないんじゃないかなって思ってるので。何なんですかね。変わってるねがあまり性格を示してる気はしないんですけど、そういうコメントをもらったことあります。

qbc:自分自身では。

W:自分自身では結構好奇心旺盛な方なので、何でもかんでもつまみ食いをしてるような人だなと思いますね。
趣味とかも何かちょっと体験をしてみて、でもどっぷりはまらないで終わるみたいなことを結構繰り返してる感じですね。
あとは結構チャレンジングな性格だと思うので。学生時代とかも結構友達と株の投資やってみようみたいな話をしながら結局誰もやってなかったんですけど、1人で何かを買ってみたりとか。やりながら制度とか感覚とかを知っていくみたいな。そういうことをしてきたタイプなので。知識だけ集めるっていうよりは、やってみて知るっていうタイプかなと思います。ちょっと性格とは違うかもしれないですけど。
性格的には能天気かなと思います。何でも、なんですかね。楽しもうとか違ってみんないいんじゃないみたいな、結構肯定的な楽観的なところがあります。

qbc:性格の部分で、さっき家族からって話でもっと身近な家族、親友恋人とかプライベートに近いそういう人から言われる言葉みたいなのあります。性格の意外な一面とか。

W:そうですね。私のことを直接的に何か言われた記憶はないんですけど、昔の恋人からは、それはおれは適当なタイプだからみたいなことを何回も言われたことがあって、たぶん私と対比して、私が割とちゃんとしてるっていうことを強調したかったのかなと今思い返して思いました。

qbc:適当なタイプっていうのは別の人ですか。

W:俺は適当なタイプだから。っていうことは私がちゃんとしてるって言いたかったのかなって。

qbc:なるほど。それは自分ではしっかりしてることだと思います。

W:あんまり思わないですね。

qbc:好きな食べ物は何ですか。

W:好きな食べ物は、結構カレーは好きですね。

qbc:何カレーが好きです。

W:ドライカレーは結構好きです。大学院に行ってたことがあるんですけど、修士論文を書くときに日本で日本に住んでる外国人労働者に焦点を当てた研究をしてたんですが、その一環で、カレー屋さんって結構外国人の方が働いてることが多くて。
私が特に焦点を当てたインドとかネパールの方は、カレー屋さんに多かったのでカレーを食べ歩きながらインタビューをしてたんですね。
そのときにたぶん、どれぐらいかな。毎日カレー食べてたんですよ。その経験から自分でも美味しいカレー作れないかなとそのとき思っていて。結構煮込んだりするのって面倒くさいなと思ったんですけどドライカレーだったら作れるかなと思って、試行錯誤して作っていたんですけど。
たまたま家にあった椎茸パウダーを入れたらめちゃめちゃ美味しくなったっていう経験があって、それからドライカレー好きだなと思うようになりました。

qbc:自分が作ったドライカレーが好きなんですか。

W:そうですね。最近全然作ってないんですけど。自分が作ったものも好きですし、結構人が作ったものでも作り手が違うとだいぶ味が違うなっていうバリエーションあるなって思ってるので、そういう広がりのある食べ物だなっていうことが好きですね。

過去:できる自分になるといろいろ言われちゃうので、あまりできないようにしてた時代かなと思います。目立ちたくないというか。

qbc:子供の頃はどんな子でした。

W:子供の頃はあんまり自分の意見が言えない子だったなと思います。言えないというか自分の意見はあんまり持たないというか、自分であんまり考えず言われたことを鵜呑みにしてやるみたいな子供だったなと思います。

qbc:まわりって誰のことですか。

W:親とか姉とかですかね。結構私があんまり自発的に行動をとったりとか、自分なりの何か動きをするっていうことがなかったので、だいぶ脳に障害があるんじゃないかとか結構真剣に疑ってたよみたいなことは、大人になってから聞きました。

qbc:お姉さん何歳くらいなんですか。

W:姉は2歳上ですね、間に一学年あるくらい。

qbc:2人姉妹?

W:そうですね。2人だけですね。

qbc:小学校上がる前とか、遊び自体は何をしてたかって覚えてます。

W:私は結構ぬいぐるみ遊びをしていました。今でもそうなんですけど、ふわふわした手触りのものが結構好きで、ぬいぐるみって大体ふわふわしてるものが多いので、それで遊んでることが多かったですね。
ぬいぐるみ遊びっていうんですかね。ぬいぐるみに役割を持たせてこんにちはとか挨拶をするみたいな。そういった遊びをしてたんですけど、姉はそういうの好きじゃなかったみたいで、私がぬいぐるみで遊ぼうとするとすぐ取り上げて自分の遊びっていうんですかね、なんかおままごととかをお母さんごっこって呼んでましたけど、メイクをするふりをするとかそういうちょっと大人びた遊びを姉はしてたので、そういうのによく巻き込まれてました。

qbc:ぬいぐるみ遊びとおままごとってちょっと違うんですか。感覚。

W:おままごとのほうが。

qbc:ぬいぐるみ遊びって自分と喋ります。

W:ぬいぐるみ同士で喋ってましたね。

qbc:自分は出てこない。

W:自分は出てこないことが多かったですね。お母さんごっことかおままごととかは自分が出てくるというか。

qbc:自分が演者ですよね。

W:エアーでパンケーキを作るとか、自分に何か役割を与えてお母さんのふりをするとか。

qbc:ごっこ遊びですね。

W:自分も演者になるっていう感じだと思います。うちではそういうふうにしてました。たぶん違う人もいると思うんですけど、

qbc:ぬいぐるみ遊びってどんなストーリー展開してくんですか。

W:結局姉に阻害されてあまり最後までできたことないんですけど、右手と左手両手にぬいぐるみをそれぞれ持って、こんにちはとか元気みたいなそういう会話を始めるんですけど。大体そのあたりで阻害されてしまって、最後という物語が発展しないまま終わっちゃったので、そのままにしてたらどうなってたのかわかんないです。

qbc:小学生はどんな感じでした。小中高と。

W:小学生は、さっきお話した自我がない子供みたいな感じがしばらく続いてたかなと思います。
小学校から私立に行ってたんですけど、中学校も同じ付属の中学校に行くかどうかみたいなことが一つ選択肢に挙がってきて。そのときにたぶん初めてぐらいの自分で行きたくないっていう意見を持ったんです。
親とか姉といろいろ話あった結果の進学、その付属の中学校に入ったんですけど本当に小学校最後くらいから自分の意見が出てくるようになった感じですね。

qbc:なんで行きたくなかったんですか。

W:姉とその友達が結構ギャルっぽい服装してたんですよね。スカートが短かったりちょっとダボッとしたカーディガン着てたり、バッグに大きいぬいぐるみとか何かキーホルダーとかつけてたりとか。
それが私はちょっと怖くて、なんか不良っていうイメージがあったので、ああいうふうになりたくないなとか、ああいう人たちがいるところに空間にいたくないなって思ったことが理由ですね。

qbc:お姉ちゃんが行ってたってことですね。

W:行ってましたし、なんならそういうのちょっとだらけた格好してる側の人でした。

qbc:ごめんなさい中学校どんな感じだった。

W:中学校とか高校は、小学校のときはたぶんそうだったんですけど、姉がいるのでたぶん2番目の子って、結構学校行事とか授業の進行のイメージとか入学する前から持ってることが多いと思うんです。私もそういうタイプで姉がいたので、結構何年生になったら何をするとか、これを先に勉強しておくと楽になるんだろうなみたいなイメージがあったので、中学校と高校は結構その恩恵を受けたというか、あんまり授業についていけなくて苦しいみたいな状況は経験したことがなくて、どちらかというと勉強得意かなって自分で思うようなタイプでしたね。

実際結構勉強好きだったので、いろいろ勉強できるっていう言い方は合ってるかわかんないですけど、好きだったのでいろいろやり込んでいて。テストの点数とかもいい方だったんですけど、何か友達とかからそれをからかわれたりするのが結構嫌でまたドヤ顔してるみたいに言われるのがすごく嫌で。
できる自分になるといろいろ言われちゃうので、あまりできないようにしてた時代かなと思います。目立ちたくないというか。

qbc:そのあと進学。一貫校ですかね?

W:大学までは一貫校だったので、大学までは行きました。その先の大学院は違うところに行ったんですけど。

qbc:大学時代はどんな感じだった。

W:大学時代は、高校までと同じくできない自分でいることがある意味身についてしまったというかデフォルトでいたので、そういう自分もいつつ、とはいえ結構どの授業取るとかは自由度があったので。高校までよりは、もうちょっとのびのびした気持ちで過ごせたかなという気はします。自分はこれがやりたいから、この勉強したいからこの授業を取るっていうそういう過程っていうんですか。自分のやりたいことを決めてそれを実践するみたいなことが強制的に大学で行われてたので、あんまり全く人と同じ行動を取るっていうことが、制度的に難しかったので、自分を出しやすくなったなとは思います。

qbc:大学院はなぜかれたんですかね。

W:大学院は。大学まで通ってた学校は、あんまり偏差値っていう意味で優秀な学校ではなかったんですね。いろいろ面白いカリキュラムもあったので学校自体は全然私は肯定的に思ってるんですけど、偏差値っていう点であんまり秀でてはいなくて。
そこはすごく自分としては苦しかったというか、自分は結構勉強が好きで頑張ってたのに、履歴書を見るとあんまり優秀だと思われない学校の名前しか載ってないっていうのが、自分の中で矛盾を感じていて。矛盾というか、何かもうちょっとできるのにみたいな欲張りな気持ちがあって
それで大学卒業後も何かしら学歴になるような学校行きたいなと思ってたんです。専門学校でもいいし、大学院でもいいし。その中でゼミの先生が大学院をおすすめしてくれたので、二つ受けて二つとも多かったので国立の大学院に行けたっていう感じです。

qbc:研究テーマっていう意味では。

W:研究テーマは、結構周りでは平和研究とか紛争とかを研究しているような安全保障って言われるようなテーマで研究してる人が多くて、一方私はそういう国際的な国と国との関係性とかよりも人間の生活自体にフォーカスを当てるような研究のテーマが良いなと思ってたので。その中でその学科の先生とか周りの人との温度感みたいなところから絞っていって、結局日本で働いてる外国人労働者の方たちの生活だとか、その人たちのが何で日本に来たのか、そういったところに焦点を当てるに至りました。

qbc:そのあと、お仕事就職どうされるんすかね。

W:就職はすごい悩んで。スーツを着て就活するのはすごく苦しかったんですけど、まずは幅広く見て公務員とか大企業とかもベンチャー企業とかも含めていろいろ見て。その中でやっぱり人の顔が見えるとか、想像しやすいような仕事の方が、私は好きだなと思ったので観光業を結局選びました。
最初から観光業見てたわけでもなく行き着いたっていう感じですね。公務員もインターンに行きましたし、大企業のインターンも行きましたしベンチャー企業をいくつも受けてたんですけど、結局1社しか受けなかった観光業で内定が出たときにもうこれでいいやっていうふうに何か自分の中でふっと納得感があったので、そこで就活は終えました。

qbc:なんで決めたんですかね。

W:決め手は、大学のときの研究テーマが地域活性化だったんですね。大学院ではより人にフォーカスをしたんですけど、結局、地域文化とかそれをその守り手である人みたいなところに興味が結構就活のときに向いていたので、観光業だと潜在的な魅力を顕在化するっていうような役割ができるんじゃないかなと思って。
何か伝統文化を体験するとかそういうことを地域外から来る観光客に提供しているっていうのがまさにそうかなと思うんですけど、そういった産業に関わりたいなと思ったのが決め手ですかね。

とはいえ、観光業の中でもたくさん企業がある中でなんでそこにしたのっていうのは、聞かれてみると、パッと出てこないんですけ、会社の中で結構スキーをしてる人がいるみたいなことを聞いて、入社してもスキーできそうだなと思ったのがもしかしたら決め手になったかもしれないです。

qbc:その後、ちょこちょこ会社のことはお伺いしましたが、何か苦労とかありました。その後5年6年ぐらい前のとき。

W:いや、苦労ばっかりでしたね。

qbc:楽しいことは。

W:楽しいこと。やっぱり観光業って結構今日本の産業の中で低賃金だったり重労働って言われると思うんですけど、その産業自体をどんどん価値を高めていきたいよねみたいな夢を語る人と出会えることが多くて。それは社内の社外の同業者とかともそういうことを話し度々話してきて。そういうちょっと夢ある話を聞くとすごくわくわくするなっていうのは何回かありましたね。
楽しいよりも何ていうか、わくわくっていうのに近いっていうのは何回か経験しました。

ただ仕事をしていて、苦しかったことは全体的には結局自分と向き合うとか自分の能力不足を直視するのが苦しいとか、そういうニュアンスの苦しいが多かったような気がします。

qbc:なんで休職したんですか。

W:休職は、元々会社の中に自分の学習のために休職をすることができる制度があったので、それを利用してです。やめるっていう選択肢もあったんですけど、自分の中ではフリーランスになるためのスキルを身につけるとか自分の学習のための時間って無限に取りたいとは思っていなくて。
1年じゃなくても2年とかでもいいかなとは思ってはいたんですが、無制限にこれからずっとフリーランスでやってこうっていうよりも、副業だとか自分の自己実現のためみたいなそういうニュアンスでやりたかったので会社に戻ってくる選択肢を持ってたかったっていうのが大きいですね。
会社も結構好きなので、そこで働くっていう経験も今後もあったらいいなと思いました。

qbc:とはいえ、やめてもよかったんですか。

W:そうですね。やめるっていう選択肢もありましたね。

qbc:それは、休むっていう意味それでも違う会社に行きたいっていう。

W:会社を辞めて休む。会社を辞めてどこにも属してない状態でフリーランススキルを身に付けてその後ずっとうまくいけばフリーランスとして働くっていうのが辞めるパターンの想定ですね。あまり転職は考えてなかったですね。そんなにここに行きたいっていう会社があったわけでもないので。あと結局会社に依存したくないっていう目的は、転職してもあんまりそれだけだとかなわないかなと思って

未来:人の目を気にせずに自分らしく生きていきたいと思います。

qbc:未来のことなんですが、5年10年30年40年最後死ぬっていうところまでイメージして、どういうふうにイメージ未来をしていらっしゃいますでしょうか。

W:今大体30くらいなので、100歳まで生きるとして70年あるので、ずっとこの生活をしていきますみたいな一定の生活を想定してはいなくて、恋愛とかそのときの時代の雰囲気とかに併せて軽やかに変化していけたらいいなというのは漠然と思っています。
ただ、その中でも食べ物とかは結構こだわっていたいなと思ってます。
それこそ、会社員で毎日出勤とか難しいと思うんですけど、結構落ち着いて生活できるようになったら、今もちょっとやってるんですけど、自分で味噌を作ったりとか、ぬか漬け作ったりとか、お茶作ったりとか、何か家庭菜園みたいなのをしてそれを食べるとか、ああいう自分で食べ物を生産するみたいなのは結構好きなので、それをもうちょっとがっつりやってみたいなという気はしてます。
それは別に、おばあちゃんとかになってからでもいいんですけど。

qbc:今までで自分が一番力がついたと思う出来事ってなんすかね。

W:力をつけたこと。大学のときに、バックパックで東南アジアに行ったんですけど、その経験は結構力というか気力がついたりとか、あれ以上つらい事ないだろうなっていう思いでお守りみたいな感じにはなってますね。結構汚い旅をしてて7日間ぐらいシャワーに入れなかったりとか、飛行機に乗り遅れてインドでビザが切れて出国できなくなったりとか。なかなかハードな旅をしたので、それは自分にとって財産ですね。

qbc:学生のところのエピソードに出てこなかったですが、なんで行ったんですか。

W:それはいろんな国を見てみたかったからですね。ちょうどそのときに環境問題に関心があって、日本以外、日本のこともあまりよくわかってはいないんですけど、当時はいろんな国のゴミ処理の精度を見たいみたいなことを思いながら行きましたね。行きたいっていうのはぼんやりとしか思ってなかったんですけど、そんとき同じ学年の子にバックパックをしたいっていう人がいて、当時ものすごい仲良かったわけではないんですが、たまたま誘ってくれて1人じゃなかったらできそうって思って行きました。

qbc:何ヶ国くらい。

W:そのときは8ぐらいですかね。

qbc:どれぐらいの日数かけて。

W:2ヶ月ちょっとぐらいですね。年末年始ぐらいです。

qbc:フリーランス意識ってどっからあったんですか。それは前からあったんですか。それこそ大学時代からそういうふうな意識があったとか、コロナでそういうふうな意識になったとか。

W:コロナのときが大きかったですね。大学の友達とかでも、フリーランスで働いてる人がいたので、そういう働き方があるっていう認知はしてたんです。自分ごととして捉えるようになったのはやっぱりコロナで危機感が出てきたあたりですかね。

qbc:どんな家族だったんすか。

W:もう一度いいですか。

qbc:どんな家族でした。自分の過ごした家族。今というか昔子供時代どういう家族として過ごした。

W:よく言えば温かい家庭だなって思いますね。ただ、自分は結構過干渉されてるなと思ってましたね。

qbc:うん。

W:親もですけど祖父母も一緒に住んでたので、いつも誰かが近くにいるみたいな状態だったので。あんまり何か1人の時間とかがなくて、たぶん私は結構自分の時間が大事なタイプなんだろうなって最近思ってるんですけど。
そういう観点からすると、ずっと休みなく誰かがいて誰かがいる自分、誰かがいるときの自分っていうスイッチがオンになってるっていう感じだったので、休みがないみたいな感覚がありました。

qbc:自分では、生まれ育った土地っていうかそれはどういうところだと思います。

W:今もいるところなんですけど、埼玉県なんですが、標準的な住宅街っていう感じで。あんまりすごく思い入れが自分自身強いわけではないんですが、親が中学校の同級生同士なんですね。地元の話が結構多くて。会話の中で。私自身は何かすごく思い入れがあるわけではないんですけど、何となく愛着はあります

qbc:Wさんは何が一番したいとかありますかね。何をしてると一番興奮します。

W:何か人に友達とかに喜んでもらえるとき。プレゼントあげて喜んでもらえるそうですし、それだけだとそんなに強くはないんですけど、前にスキーに連れて行って楽しいって言ってもらえたのはすごく嬉しかったです。特にその人がうまくならなくてもいいんですけど、普段しない経験とかだったんだと思うので、スキーってたまにはいいねみたいなこと言ってくれたり景色がいいねとか、そういう人に何かちょっとおこがましいですけど、何か気づきを持ってもらえるような機会を作れることが、嬉しいです。

qbc:もしも、お姉ちゃんがいなかったらどんな人生だったんですか。

W:お姉ちゃんがいなかったら、すごい典型的に真面目な愚直な人生だったと思います。

qbc:お姉ちゃんがいることで遠くなったんですか。

W:お姉ちゃんは結構破天荒なので、自分の結構双子に近い感覚を私は思っていて。双子の人からしたら違うって言われるかもしれないんですけど、同じ箇所、同じ時期に怪我したりとか、よくしてたんですね。
私が素直に出せないような喜びとか興味とかをもっとストレートにバンっと爆発できるような人で。私自身のそういう部分を代わりに受け持ってくれてるような感じがします。

qbc:お姉ちゃん今何やってるんすか。

W:おねちゃん今ネイリストなんですけど、昔アイドルをしてて結構はっちゃける人です。

qbc:どこまでのアイドル。

W:一応1回メジャーデビューはしました。

qbc:派手な感じは持ってますね。

W:そうですね。ワンマンライブとかも結構大きなステージでやったりとか生誕ライブとかも。

qbc:ピンですか。グループ?

W:グループです。結構頑張ってたのでいいなと思ってます。元気もらってました。

qbc:中高、中学、自分の意思でいきたくないって言ったのに、行かされたとき、そのときどんな気持ちだったんすか。

W:そのときは、結局、誰かの言いなりになってるなっていう自分に落胆してました

qbc:なんで行っちゃったんですか。

W:そのときは、他に選択肢になるような種とかはあったんですけど。例えば地元の公立に行くとか、あとは当時結構体育はできる方だったので、そういうスポーツ系に強い学校とかも具体的に名前を挙げて言ったんですけど、やっぱり親を説得できなかったんですね。なんか親の主張を覆すほどの説得力のあるリサーチを自分ができていなくて。具体名を出した学校が、どこに所在していていいかとか家からどういうふうに通うかとか。学費までは中学校のとき調べなくてもよかったかなとは思うんですけど、そういう費用面のところだとか。
受験はいつ行われて、どんな試験があるのかとか、そういった中学生でも調べられるようなことを全く調べていなくて、自分の本気度が結局足りなかったなっていうのはすごく当時も痛感してました。

qbc:これを、やっておきたいなってことあります。

W:やっておきたい。

qbc:人生の中でね。

W:人生の中で何かやっておきたいことは。

qbc:見つかってますかっていう質問。

W:1個あって漠然としてるんですけど。どういう場面でもいいんですが自分より下の世代というか年が離れた人に対して何か応援するような声をかけたいなと思っていて。それが子育てなのか母校に言って後輩にお話するなのか、そういったいろんな場面は想像できるんですけど。何か自分の失敗とか自分が学んだことをそのまま伝えるとその人の成長機会を奪っちゃうかなとは思いつつ、とはいえ何か踏み台にしてもらえるようなそういう関わりを自分より若い人にしたいなと思って。

qbc:ありがとうございます。最後の質問は、最後にいい残したことはっていうもので、これも遺言みたいなってもいいですし、インタビュー振り返り感想でもいいし、読者向けメッセージでもいいので、最後に言い残したことがあればお伺いしております。

W:人の目を気にせずに自分らしく生きていきたいと思います。

qbc:ありがとうございます。

あとがき

後ずさり世界大会があったら1位になれる男、qbcです~。
~ つければなんでも許される風潮を取り入れることにしました~。
そんなことはないですけどね。
カタログスペックっていうか。トロフィーやバッジだけ見るとめちゃうまく順調に見える人でも、お話お伺いしているとそうでもなくてみんなストラッグルしてるんだな、その戦いの結果なんだな、と隣の芝生は青い理論を補強しました。
人間は、ついつい良いところばっかり見ちゃったりするからね。

【インタビュー・編集・あとがき:qbc】

【編集:さりあ】

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