「詩」 出発点

造船所のクレーンが
灰色の水肌を縫う
規則的な運針の点々は
いつのまにか霧雨となり
路面電車の端のスカートが
静かに熟れるように濡れた
雨の匂いが導く終点は
この街の行き止まり
駅舎を見下ろす崖の石には
木戸を閉じた廃屋が眠ったように張りつき
縁の下をちろちろと甘い川が流れていく

幼い夏に幾夜かをともにした
懐かしい蛍に
空き家から空き家へと案内され
わたしは年老いた百日紅の咲く裏庭で
かつて愛したはずのひとの
火影に出会う

桜の葉がかすかに見えた
黴臭い病室の窓の
染みだらけの厚いカーテンを
重たげな帆にした連絡船が
今ゆったりと黒煙を吐き
彼岸へと出発する

わたしはこのときのために
伸ばし続けた髪を
見送りのテープ代わりに
水のおもてに投げ渡す
薄く消えかかる火影が
力を出し切って
黒髪を燃やし尽くすと
わたしは安心して
見ず知らずのひと影に交じり
この港を忘れて
また歩き出す

トツトツ、トツ、ト、ツ、ト、
背後に誰かの足音
いや、雨の音
けれどもう振り返りはしない





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詩集『水版画』(2008年/ふらんす堂)より