「詩」 通路

 ホテルの食堂に向かう廊下で、知り合いに似た誰かとすれ違う。すれ違う瞬間、歩く速度を落とし、懐かしい髪や肩のまぼろしを通過させた、からだは知らぬ間に傷ついている。

 振り返っても、見覚えのある後ろ姿はすばやく角を曲がってしまい、誰もいない耳の通路を、しん、とした冷気が抜け、目の奥からしだいに音が聞こえてくる。じんじんじんじん、と、蟬の翅の震えのような、直射日光の熱の痛みが。

 これは死ぬまで寄せては返す、血液の音だろうか。この波音に気が遠くなるほど洗われては、離れてゆく足音にさえ軽く汚されてしまう、冬の神経の、疲労のような砂の広がり。訪れるひとはなく、長い漂流のすえの感情が、凍った水に削られ、流星の骨のように、点々と打ちあげられているだけの。

 誰もいない廊下は明るすぎて、血のなかの砂浜は、白にしか見えない。こうした真白い時間に、よく知る誰かと、すれ違った記憶。それぞれの旅の起点と終点が、暗いまなざしのなかでまじわり、ほどけていった、ほんの数秒間。どちらかが速度を落とし、相手をただ、風として送った。もうひとりの遅い足跡もまた、その風に消されて。ならば、砂浜に痕跡は残らない。交わされなかった声の空耳だけが、いまも波に洗われつづけて。

 朝早い食堂の窓からは、ひともまばらな海岸が見える。魚の血の匂いへ降りてくる鳥や、波打ち際を走る犬の影が、花びらを交互にひらくように、水温の輪郭を広げてゆく。もうすぐ、ここにも春がやってくるのだろうか。
 グラスや皿の触れ合う音にまじって、どこかのテーブルで、オリヴィエ、と囁く声がした。オリーヴの木、とも読める、なぜか懐かしい名前を。

 …ヴィ、エ、と歌う息が、遠くの波音からすこし遅れて、わたしのグラスの水のうえにも届く。長すぎた冬から、やっと手渡された短い伝言のように。
 かつて何度も繰り返されたように、海岸からテーブルに向かって歩いてくるひとを思う。けれど、それはもはや彼ではなく、風でしかない。疲れきったからだで、わたしは窓からの風とすれ違う。もう一度、明るすぎる砂浜に立ち、季節は、どこから来て、どこへゆくのか、を見失うために。

 気がつくと、誰もいなくなった食堂を風は通り抜け、もう二度と囁かれない南の木の名前を、朝日を浴びた波がゆっくりとさらっていった。






回廊


詩集『あのとき冬の子どもたち』(2017年・七月堂)より。