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「人の世」にいつか戻るまで(伊藤悠子「この木を過ぎて」)

 最近、さびしい、という言葉を、数人の友人から続けて聞いた。それぞれに、親しい人と別れたばかりだった。
 さびしいという感情の根雪のような冷たさと重さに戸惑うからだろうか。衣服につく水滴を急いでぬぐうように、それが心の奥に染み込むまえに、さびしさをすぐに振り払おうとする人もいる。さびしさに囚われる時間を作らないように、あえて忙しくして。それは、自身の心身の安定を守るためには、ときには必要なことかもしれない。

 しかしわたしは、さびしいのなら、ずっとさびしいままでいればいいと思っている。さびしいという感情は、わたしに属しているようでいて、じつはわたしのものではないのだから。
 わたしは、どんな感情も、一つの花や木や生き物のように、それら自身の寿命に沿って生きているもの、と見なす。花は花として、永く続くのなら続けばいいし、消えるのなら消えればいい、と。

 とはいえ、永遠にといくら願ったとしても、どんなに咲き誇る花もいつかは散り、風に運ばれ、粉雪と見まごう軽さになるように、時が経つにつれ、どんな感情も変化してゆくのだろう。
 けれども、ひとひらの花や雪を身の内に宿した記憶だけは、死ぬまで溶け残る鉱石となるはずだ。そんな小さな瞬きのおかげで過ごせる暗い日も、この先にはあるのかもしれない。
 
 二度と会えない人に対して、あるいは、思いを決して伝えてはならない人に対して感じる「さびしさ」。それは「いとしさ」と、わたしのなかでは言い換えられる。
 世の中における一般的な「さびしい」という感情の取り扱いや用法がどうであれ、わたしは、わたしのなかの「さびしさ=いとしさ」という生き物が気のすむまで、自由なかたちで咲き、香り、生きればいいと思う。それらが育つ場所である心は痛むとしても。その痛みに耐えればいい、とも思う。

 (……もちろん、さびしい=いとしいと感じる対象(が故人であっても)を傷つける、ひとりよがりな表し方はしないことを前提として。人の気持ちを思わない用い方、表し方をすれば、自分のなかの「さびしさ=いとしさ」の命も消滅する。たとえ花が開く途中であっても、そこですべてが一瞬にして終わってしまう。あとにあるのは、それらが充分に生きなかったときにだけ見られる、残り香もない、冷たい残骸だけ……)
 
 一つの言葉にしてもそうだ。世間的に「正しい」とされる、不特定多数に通じる言葉の用法よりも、自分のなかの表し方を大切にしたい。言い換えれば、日常の言葉の用法のふくらみの予感を。そう思うからこそ、わたしはいまもまだ詩を読み、書こうとしているのかもしれない。

 そんなことを思いながらこの数日は、伊藤悠子さんの第一詩集『道を 小道を』(ふらんす堂)をくり返し開いていた。
 伊藤さんの詩は、一見、慎ましく、おとなしい。けれど、一般的な日常の言葉の用法を、この書き手ならではの慎重で繊細な眺め方で、もう一度確かめようとする静かな時間と論理がここにはある。
 この澄んだ静けさは、初めて読んだときから変わらない。この本もまた、「宝物」と呼べる、数少ない詩集のなかの一冊だ。
 周囲の喧騒から離れて、自分の内側の「いとしさ」に、静かに向き合いたいとき、わたしはこの本を開く。

 収録されたどの詩も魅力的なのだが、「この木を過ぎて」という作品について、今日は書きたい。
 本書には、伊藤さんご自身のイタリアへの旅の記録をもとにして書かれた作品がいくつか入っている。この詩もそんな作品の一つ。

 語り手は詩の最初で、「枝先までひたすら花をつけていた」一本の木を、旅先の大聖堂の裏に見つける。
 そして「風が花を啜っていく」その木を、「ただひたすらのときのなか 生まれくるもの」と見なす。

 二連目には、この木から連想したと思われる、イタリア語のある単語をめぐる考察が書かれている。

ピアンターレには
「植える」という意味と「捨てる」という意味があった
「どちらもそこでひとり生きていくようにということだから」
イタリア人の先生は説明した
はじめに 植えるという形で捨てられていた と
そのときおもったが
ただひたすらのときのなか
捨てられたのかもしれない
植えられたのかもしれない

 「植える」ことと「捨てる」ことが、一つの単語「ピアンターレ」(piantare)の意味として同時にある。これはイタリア語を知らないわたしには、意外に思えた。
 日本語のなかでは瞬時に結びつかない二つの意味。それらを結びつけるのが、「どちらもそこでひとり生きていくようにということだから」という、穏やかで厳しい論理だ。
 「捨てる」のは「ひとり生きていくようにということ」。この論理の流れは、日本語の文脈のなかでも想像できる。しかし、「植える」のも「ひとり生きていくように」という発想は、日本語のなかでは新鮮に響く。それがイタリア語では日常の用法であっても。

 語り手はまず、「捨てる」という言葉の意味の冷たさを、おそらく自らの内側で和らげるために、「植えるという形で捨てられていた」と思おうとする。
 けれど、そのあとに、「捨てられた」と「植えられた」という言葉を、切り離して捉え直している。
 「ひたすらのときのなか」、生きてきたもの自身のかたちと時間を尊重するかのように。あるいは、語り手が新しい体験として習得した外国語の一語自体の意味のふくらみや余韻を大切に思うように。

 続けて詩はこう流れ、終わる。

この木を過ぎて
ナッタ通りを下って行こう
いくつかの通りを行ったら
戻っているだろう
人の世に

 たった一語のまえで、一本の木のまえで立ち止まり、考え、また歩き出すということ。
 語り手は少しだけ「人の世」=世間(日常)から離れ、「ひたすらのときのなか」捨てられ、植えられ、生きてきた「木」の時間のなかへと、そしてある一語の意味の広がりへと旅をしていたのだろう。

 伊藤悠子さんの詩における、語り手の、旅先の光景との、言葉との距離の取り方。見つめる対象を深く思うゆえに、少し離れて見守るような。この慎ましくも、やさしい風のなかに立つたびに思う。
 「ただひたすらのときのなか」、わたしの内側の感情という花も木も、「植えられた」のではないだろうか、と。

 そう、「捨てられ」、「植えられた」一本の木を思うように、さびしさという「いとしさ」を、見守ればいいのだと。
 わたしも、遠い場所にいるあの人もきっと、ふたたび「人の世」に戻ってゆく、その日までは。



伊藤悠子『道を 小道を』(2007年 ふらんす堂)



伊藤悠子さんの第三詩集とエッセイ集について書いた記事もあります。
よろしければご覧ください。


 

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