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空へと手放すために。

自分の外側にいま存在する、何かのために、誰かのために、詩を書く、のではなく。

わたしが忘れ、別れようとしていた、何かに、誰かに、わたし自身に、ふたたびふれるために。そして、ほんとうの終わり、を確かめるために。

刻一刻と移ろい続ける外の世界へと急いで飛び出すかわりに。自分の内側をどこまでも旅するように、眼を閉じる。

内側の旅の奥には、これまで通過してきたすべての風景のひかりや音、書物の文字が深く沈み、ときには気まぐれな風のように流れていて。

それらの色と囁きと痕跡の幻を追うようにして、言葉は生まれてくる。わたしの知らない姿や歌声となって。

何かを手に入れるために、ではなく。

消そうとしても消せなかった記憶を、空へと放つために。

行く先をまだ知らない小鳥のように、わたしの言葉が、より自由になるために。


明け方の夢のカーテン越しに 焚き火の気配

燃えているのは 一度も投函されなかった記憶の束

どんな思い出もいつしか 通り雨に誘われ

未完の旅の地図のなかへとふたたび流れてゆくのだから


南の窓をひらいて

もらわれていったばかりの仔犬の名前を考えていた

テーブルのミルクのなかに落ちた花びらを

かなしみ、と呼んでもいいのか迷いながら


ひとと別れた日にも

変わらずに夕刻を告げる鐘の音

誰もいない部屋で熟れてゆく

ひと房の葡萄のなかには今夜も静寂があること


星の降る音 それとも骨が軋む音

屋上の手すりにもたれ 空に散らばった兄妹を探した

別の惑星の言葉でなら

さびしい も すぐに言える気がして


「三日月を見る それだけのために家を出た

こころは 冷えた寝台に置いたままで

ほんとうの言葉は誰にも聞こえない

鍵をなくした抽斗の奥の スノードームの吹雪のように」


肉体がここにあることはさびしくて

眼を閉じて いま そこに行く

数百年前に仰いだはずの聖堂の窓からの

月光 髪にふれる指



※上記の四行詩はすべて

連作四行詩「未完の夏の眼に」(峯澤典子個人誌「glass」収載)より

「glass」については→こちら