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成人式という呪い

 

前語り


人に執着するタイプだと思う。

1/8 成人式

それはこの見立てをより強固なものにする日だった。

楽しい成人式。
懐かしい人と出会う成人式。

そんな中で私が考えていた事を、noteに書き綴っていこうと思う。


成人式へ

 片道2時間の道のりは、時間が経つ事に緊張感を増させていく。
慣れないスーツもその協力者らしい。

それにしてもこの緊張感の正体は何だろう。

きっとあの頃の友達と楽しく遊んで最高の1日になるはずだ。その筈だ。
もちろん5年という月日はあまりにも長いから、あの頃とは皆、人柄も雰囲気も違うだろう。
それでも、この日だけは昔の様に戻って喋れるのではないだろうか。

何を緊張することがあるのだ。

そう言い聞かせながら、揺れ動く電車の中で数日前に更新されたラジオを聴く。
「あけましておめでとうございます。」
ラジオからの声に時の流れを自覚させられる。
そうか、もう今年も1週間経ったのか。
この1週間何もしてなかったな。
無駄に過ごした時間に喪失感を受けながらも、イヤホンからの声を聴いている間に、地元にはあっという間に着いた。

親の出迎えから車で会場まで移動する。
正月にも帰ってきてはいたから特に話題などなく、適当な会話を続けていた。

正月に帰ったならそのまま地元にいれば良かったのでは?と思われるかもしれない。

実の所、私は今の実家が嫌いだ。

高校1年生の頃、祖父と母の少し険悪な流れから、母と市内のアパートに引っ越した。
場所は悪くない。
様々な店にもアクセスしやすくなったし、何せ学校が近くなったのが1番の利点だ。

ただ私の部屋にはエアコンがなかった。
その対策として母の部屋からエアコンの恩恵を貰うため、部屋と部屋をドアで隔てるのではなく、ドアカーテンを用いていた。

こんなのプライバシーの欠片もない。
最悪だ。

そんな中で過ごした高校3年間は、1人が好きな私にとってそれなりに苦痛であった。

あの頃の自分に思いを馳せている間に、成人式の会場に着く。

1度来た程度の市民会館は、懐かしさを感じるには無理があるよな。
そう考えながら会場の前に向かった。

成人式とその前後

顔は覚えられない方だ。
「相貌失認」という顔を覚えられない障害をもつ人は、50人に1人程はいるらしい。
自分がそうなのかは分からないが、とにかく私はかつての友人を見つけられる自信はなかった。

茫然自失としている自分を成人式の会場に引き戻してくれたのは、Aの声だった。
人は声から忘れると言われているが、それは本当だろうか?
そう思うほど人を声で判断している自分にとって彼の声は救いだった。
様子を見ながら彼がいるグループの中に入っていく。

とりあえず安心した。

これだ。

これが私のしたかった成人式だ。

楽しい気分で話しながらそのまま会場の中に向かった。

中学の時の生徒会長が実行委員長になっていたのには驚いた。
彼の司会でトントン拍子で式は進む。
退屈な式の中で騒ぐ人も少なくなく、終始賑やかな雰囲気だけが広がっていた。

そして式典も終わり抽選会が始まる。
会場に入る頃に渡された番号と、ステージで引かれた番号が一致していれば当たりというシンプルなもの。
当たった人は名前と感想を言う流れであった。
番号が呼ばれ、名前を言う名前を聞いていく中で、聞き馴染みのある…聞き馴染みのあった声と名前が聞こえた。

かつての友人のBだった。
Bは私、及びあの頃の彼女と同じ部活で、それなりに喋っていた方だと思う。
AAAの「Horizon」をオススメされた記憶が脳裏に浮かぶ。
懐かしいという感情と同時に、心の中にしこりがのこる様な感覚を覚えた。
その正体に気づけずに抽選会も終わり、私たちは会場の外に出た。

高校が同じであった、未だに連絡を取り合っている友人、CにLINEをし、会場の端で落ち合う。
こことは、通話を2ヶ月に1度程ではあるがしているため、緊張の糸もほぐれだいぶ気楽に話すことが出来ていた。 

Cとの共通の友人と色々話し回る。
自分から話すことに強い抵抗感じてしまう僕にとってCには感謝してやまない。
懐かしい面々と話していく中、Dに出会う。
Dは今まで出会ってきた人の中で、もっとも話のテンポが合う、阿吽の呼吸とも言える会話をしていた人だった。
日も落ちて来た為、一旦Cとは離れ、Dとその友人スタバに向かった。

スタバでの会話はあまり覚えていない。
よくある普段の生活、学校のこと、バイト、酒、そんな事だったと思う。
Dが普段酒をかなり飲んでいるということには、驚いたことだけは強く覚えている。 

同窓会


スタバで時間を潰したのは1/8のメインイベント、中学の同窓会の時間調整の為だった。
程よい時間になり会場に向かう。
会場の前では数人が煙草を吸っていた。
私の今の友人で日常的に吸っている人間はいなかった為、自分の関係者が吸っている状況は異様だった。

会場に入り、Dと話して数刻の後、同窓会が始まる。
先生の風貌の変わらなさに安心感を覚えながら各々料理を食べたり、移動して談笑したりと楽しい雰囲気が出来ていた。


怖かった。

この空間が楽しければ楽しい程、人と話せば話す程、この時間に終わりがあるのが怖かった。

人に執着するタイプだと思う。

ここでより多くの人と話をしてしまえば、より多くの人を考えて引きずって生きていかなければならない。
僕にとって今後関わることがない人、それは死んだと同義だった。
かつての彼女ともBとも話さない選択を選んだ。
CとDと話す時間の安心感に寄りかかっていた。

後悔はあった。

でももっと多くの人と話していたら、より多くの後悔が生まれていたと思う。
卒業の際に渡されたDVDと同じ内容の映像が流れ、同窓会は終了した。

帰路

C、D、その友人と7人で二次会としてカラオケに向かう。
歌は好きだ。
決して上手くなくても、決して話す内容がなくても、和やかな雰囲気が続いてくれる。
いいコミュニケーション手段だと思う。
カラオケにいた5時間という時間はあまりにもあっという間だった。

カラオケから出て帰路に着く。
運転できるCがいたものの、私がもっとも会場から家に近かったため、歩いて帰ることにした。
同じく、比較的家の近いEと話しながら帰る。
彼とは中学の頃はほぼ話してなかったと思う。
小学生の頃にたまに話す程度だった為、思い出話というよりも街の雰囲気や今後の展望について話す。
国道沿いでありながらも、田舎の深夜の街並みはとにかく暗かった。

ここから離れて2年弱、僅かな店の変化の話をしながら、この街にも行ってないところは沢山あると気付かされた。

家はもう近い。

この時間が愛おしい。

いや、この時間が終わるのが寂しいだけか。

終わりを知覚するのが怖いだけか。

Eとの会話は「またね」なんて虚言で終わった。

収まらない感情を押さえつけ、その日は泥の様に眠った。

成人式と同窓会と夢と呪い

さて、何故成人式から3週間程経ったこの日にnoteを書き綴ったかお話ししたいと思う。

昨日、教室で成人したメンバーと集まり当時の様に話す、というを見た。

私に限ることではないと思うが、人は昔楽しかったこと、その妄想を夢として引きずってしまう傾向がある。

もちろん楽しい夢だ。

ずっと見ていたいと思う。

決して今の生活に不服がある訳でもない。
むしろ1番楽しめているまであるだろう。

でもその夢をみたいと思ってしまう。

失ったものを空想で拾いあげようとしてしまう。

人に執着するタイプだと思う。

全員とずっと関わっていきたいと思う。

関わらなくなる人とその時間に強い喪失感を覚えてしまう。


だからこの楽しい記憶は、かけがえのない思い出は私にとって余りも重い"呪い"だった。


私の日常という電車から、皆は途中下車し、箱の中には一人きりの私だけが残った。


執筆者  Noi_(大学生の1人目)



使用画像
成人式に参加する着物姿の女性の足元のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20181247337post-18856.html

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