妹が統合失調症になった①

妹が統合失調症になった。
今から遡ること10年前、当時まだ高校生だった妹は、統合失調症と診断された。

現在彼女は29歳。
私たち家族がぼやっとしている間に高校生だった彼女はアラサーになっていた。


妹と家族と幼稚園で反抗期を迎えた私

妹は、産まれつきとても美人だった。

私には姉が一人いて、姉は私とほぼ同じ顔をしていた。

二人とも顔の凹凸がまるで無く、
いわゆる黄色人種の肌の色で、目はぱっと見一重の奥二重、まつ毛は自分の目を攻撃しようとしてますか?というくらい下向きで、漆黒かつ剛毛の、とんでもない毛量の髪の毛が生えていた。

妹はしっかり顔の凹凸があり、
絹のような白い肌、目頭切開を疑うかのごときぱっちり二重、まつ毛はメイベリンラッシュニスタの広告のようにくりんと上がっていて、なぜか亜麻色の髪の乙女的な色のサラサラの髪が生えていた。

本当に私の妹か?

あまりに自分と容姿が違いすぎるため、病院で取り違えられたのではないかと思い、当時まだ幼稚園児だった私は母に聞いた。

「妹は、別の人の子供なんじゃない?本当に私の妹?だって、いくらなんでも可愛すぎるよ。」

『大丈夫、小さい病院だから、取り違えられるほど、赤ちゃんはいないのよ。お母さんが産んだんだから、あなたの妹よ。赤ちゃんの時はね、みんな同じなの。みーんな、赤ちゃんは同じ顔をしてるの。あなたも赤ちゃんの時はそうだったのよ。』

そういうものなのか、と思って自分のアルバムを見てみた。
全然違った。

悪気無く普通に大嘘すぎることを言う母である。


私には姉の他にもう一人、兄がいた。
今では珍しい4人兄妹構成だ。
兄が兄妹の中で一番年上で、私とは8歳離れている。

私が幼稚園児の頃、兄は既に小学校高学年だったので、大人に片足のくるぶしくらいをつっこみかけているくらいの年齢だった。
大人に片足のくるぶしくらいをつっこみかけるくらいの年齢の男は皆、なんとなく毎日、新聞(のテレビ欄)を読み、なんとなく朝はズームインを見ながら、なんとなく「今日朝ごはんいらね」などと言うものだ。

幼稚園児の私には、それが人生のスタンダードであるかのように見えた。
周りはみんなお歌を歌ってお遊戯をして遊ぶ年頃である。

「なぜ周りはこんなに幼稚なガキしかいないんだろう。私の居場所はここじゃない。」

はっきりとそう思ったことを覚えている。
今になって考えれば、なぜ幼稚なガキしかいないのかというと、『幼稚園』に通っていたからであることは明白だった。

ここに完全なるマセガキが誕生し、恐ろしいことに私は若干4歳にして人生の反抗期を迎えることとなった。


反抗期真っ盛りの私は、幼稚園で行われること全てが嫌で嫌でたまらなかった。
なぜこんなアホみたいな歌を歌わなくてはならないのか、
なぜこんなアホみたいな園服を着なくてはならないのか、
なぜこんなアホみたいな奴らとお昼寝をしなくてはならないのか、

全てが苦痛で、何度も登園拒否をしたり、幼稚園から脱走したりしていた。

脱走して向かう先は裏の図書館で、図書館で幼稚園をサボることが多々あった。
今思い返しても、天沢聖司的な格好良いサボり方である。

母はそんな私にどうしていいかわからないようだった。
兄も姉も、二人とも従順に幼稚園に行っていた。
『こんな子初めてよっ…!!』と頭を抱えながら言われた。

流し読みされていた方は、もう一度読んでいただきたいのだが、14歳の話ではない。
4歳の話である。
当然脱走して図書館に行ったところでなんのロマンスも起こらない。

私も後にも先にもこんな幼稚園時代を語る人間に出会ったことがない。
恐らく例が無さ過ぎて子育て本にも何の対処法も書かれていないだろうと思う。


反抗期中のマセガキは、とにかく大人に混ざりたくて仕方がなかった。
周りの幼稚な人生一桁台の幼児を相手にしている場合ではない。

近所に住む優しい女性が、当時よく私に簡単な勉強を教えてくれていた。
彼女の名前はヨシハラさんという。
脳内がマセているので、勉強の吸収力が半端じゃなかった。
ヨシハラさんのおかげで、小学校に上がる前に、50音の平仮名、自分の名前、一桁の足し算引き算はマスターしていた。

今では割と普通かもしれないが、当時は小学校前に字が書ける幼児の方が少なかった。

小学生になった私は、スタートダッシュが良すぎたおかげか、その後も勉強に苦労することが無く、中学生くらいまで勉強に対する悩みを抱えたことが無かった。
自分とは異質な、勉強が出来ない人間が理解できなかった。歪みすぎている。

勉強が出来ない人間は不思議で不思議でたまらなかったし、学力が低い子は怖い存在のようにも感じていた。

妹が産まれたときの話

妹が産まれたとき、私は4歳だった。
心の底から、可愛い妹だった。

父も母も純然たる日本人であるのだが、妹の容姿はまるでハーフの赤ちゃんのようだった。

私はマセガキが故なのか、彼女に対しての親代わりのような気持ちがとても強かった。

母が忙しい時は、私がお世話をしてあげよう。
代わりに彼女を抱いてあげよう。
この可愛い子は私の妹、私が一生懸命彼女を支えてあげよう。

妹が産まれてすぐ、産婦人科に入院中だった母を訪ねた。
その時、母の隣に眠る妹を見た。
あまりにも可愛くて愛おしくて、ただ見ているだけで時間があっという間に流れていった。
気が付くと夜になり、テレビではサザエさんが流れていた。
それまで兄も姉も妹に夢中だったが、サザエさんが始まると妹よりもサザエさんに夢中になった。
私一人がサザエさんが流れても、妹に夢中だった。
父、兄、姉は帰宅したが、私はその日母と産婦人科に泊まった。

一晩中、産まれたばかりの妹を見て過ごした。

あの時の夢中な気持ちは、いまだに覚えている。
若干4歳にして、世の中の全てが嫌でたまらなかった気持ちが、すっかり書き換えられたように感じた。

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