妹が統合失調症になった②

産まれた時から、これまでの妹さんの様子を教えていただけますか。
小さい頃は、妹さんはどんな子供でしたか。
妹さんは、勉強ができましたか。友達はいましたか。最終学歴は。成績は。

市の相談センターや、病院へ相談すると、決まってこのようなことを聞かれた。
主に私と母と姉の三人で、相談へ行った。
隣に母がいる状態で、妹のことをくまなく話すのは心情的に楽なものではなかった。

妹が統合失調症を発症したのは高校生の頃で、現在まで約10年、病気を抱えたまま過ごしてきた。
家族として、何もしてこなかったわけではない。
当然通院はしていたし、服薬もしていた。

ただ、この1年で病状はみるみるうちに悪化した。


統合失調症は、まだその原因がはっきりとわかっていない病気で。
遺伝なのか、環境なのか、まだ誰にもわからない。
わからないなりに妹の発症原因を探るのは、確かに子供の頃、どのように彼女が過ごしていたか、その情報が必要なのかもしれない。

どのようにお母さまはお嬢さんを育てたのですか。
過干渉ではなかったのですか。
甘やかしすぎていたのではなかったですか。

時折、こんな言葉も投げかけられた。
母がどんな思いでこの言葉を聞いていたか、子供がいない私には想像もつかない。


妹が小さかった頃の話

妹は四人兄妹の中で、とびきり可愛かった。
誇張抜きに、リアル天使だった。

と言っても、妹が赤ちゃんだった頃、正直そこまで記憶が無い。
産まれた時のあまりの可愛さや、リアル天使で日々を過ごしていたことは覚えているが、特段エピソードと呼べるようなものは思いつかない。

恐らく私も小学生に上がるタイミングで、自分のことで精一杯だったんだろうと思う。
そして、この頃からヨシハラさんがいなくなってしまった。
当時の私は母と同じくらい、ヨシハラさんを拠り所にしていたので、とても悲しい気持ちだったことを覚えている。

頼れる人がいなくなってしまった。
なのに、私は小学校という戦場で戦わなくてはいけない。
リアル天使に気を配れるほど、余裕は無かった。


私も兄も姉も、皆同じ幼稚園へ行った。
妹だけは、保育園に通うことになった。

残念ながら私は4歳で人生の反抗期を迎えてしまったため、幼稚園を謳歌できなかったが、兄と姉は幼稚園が楽しくて仕方がなかったそうである。
そんな私でもなぜだか幼稚園の園歌をいまだに覚えている。

30年近く前に嫌々歌わさせられていた歌詞は、なぜかスラスラと浮かんでくる。
ここでこのまま歌詞を書き連ねたいところだが、
万が一読んでくださっている方の中に園歌マニアの方がいた場合、一発で幼稚園を特定されてしまうので、ここでは割愛させていただこうと思う。

さすがに妹の保育園の園歌までは覚えていない。
妹は覚えているだろうか。

実は妹は保育園に通う前に2歳ごろから、【なかよし】という名前の託児所に預けられていた。
これも、他の兄弟には無かったことだ。
妹は、その【なかよし】でどうやら周りとなかよしになれていないようだった。
なかよしデビューをしくじったのだ。
リアル天使だったというのに。

何をするにもデビューというのは大事なもので、
なかよしの2年間、妹は仲の良いなかよし友達を作ることができなかった。

ちなみに調べてみたが、いつの間にかその託児所はもう無くなっていた。
今となっては彼女がどんな環境で一人戦おうとしていたのか、知る由も無いが、意外と小さい時の記憶というのは成長した後も、重たくのしかかって来るものだと思う。

思えばその時から病気の影は忍び寄っていたのかもしれない。

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