見出し画像

宇宙の摂理の学びに向き合う、私の誤った捉え方と改まった捉え方

つい先月、私の欠点に真正面から向き合う機会が訪れた。
無責任さと自我の弱さと承認欲求の強さとが言動に顕になった行動を連発し、師匠のMotokoさんと宇宙の摂理の先輩Kanaeさんに叱っていただいた。
おかげで今までの自分を冷静に見つめる機会と、大切な2つの学びを得ることができて心から感謝しています。

叱られるに至るまでのストーリー:子供の意識

叱られることを引き起こした経緯を明らかにするには、そもそも学び始める流れを私がどう捉えていたか、私の内面がどうだったのかをお話したいと思います。今だからわかる当時の内面を6つに分けて紹介します。


1、自立せずに依存した
師匠のMotokoさんが初めにまず教えてくれたこと。それは、宇宙の摂理を生きる上で「自立」することの重要性だった。「自立」つまり私の両親が今まで作ってくれていた世界観や価値観から卒業し、自ら自分の人生を歩んでいくように、と指導してくださった。

この時、私は大学を退学したばかりで次に進むまでの荒波に揉まれているタイミングということもあり、私はMotokoさんをとても信頼し、ありがたいと思っていた。

しかし、親からの自立をする代わりにどこかMotokoさんを頼るようになっていた。これまで中途半端に学びに取り組んでいるという自覚を持ちながら、そのままにしておいたのは、おそらくMotokoさんには褒められているから、いっか、という精神だ。振り返ってみるとを私はいつでも、その時々で一番身近な大人に褒められることを基準に行動してきたように思う。今回もMotokoさんという保護者に褒められようとする意識でしか取り組んでいなかった。

2、自分のこと以外を考えない言動
退学後、いくつものプライベートレッスンを掛け持ちして勉強していくということが決まり、「己華的大学」なる枠組みを造ろうと思いついた。

そしてMotokoさんにも教授になっていただくように依頼した。この時から私はMotokoさんを師匠、と呼ぶようになっていた。つまり私とMotokoさんの関係はこの時から知人ではなく、教えるもの・教えを乞うものに変化していたが、私は師匠に対する弟子の関係について少しも考えていなかった。打ち明けると、私の心持ちはどこか、己華的大学、そして師弟関係、と名付けたおままごっこ気分だった。その状態でMotokoさんに己華的大学のアイデアを共有し、Motokoさんはサポーターとして快く形にするためにご協力してくださった。その現実に追いつかず、また追いつこうとしなかった自分がいたことは否めない。

3、プライドの高さ
私が一般よりも「感覚を敏感に使う人であるから」「逸材だから」素敵な大人になるための学びを快く伝えてくださっている、とても傲慢に、とても表面的に捉えていた。そして助言を真っ直ぐ受け止めることはせず、なんとなく常に疑いの念を持ち、本当に信じるべきかを常に念頭に置いていた。
ただMotokoさんは私を気に入っていて、たくさんのことを伝えたい、と思ってくれている。だから私が何をしても受け入れてくれるし私がこうして学ぶことはMotokoさんのためになっているのから対等な関係だと考えていました。
しかし今になってわかった、私はMotokoさんの「愛」感じていたのだった。無条件に大切にして全てを受け入れる姿勢を示していることは感じていたのに私はそれをただ、ラッキー!くらいにしか捉えていなかった。そして反対に私はMotokoさんを本当に信頼していいのか、という疑いの姿勢を持ち、Motokoさんとの関係を大切にすることについて考えたことがなかった。

一度、Motokoさんに言われたことがあった。愛は家族や恋人に対してのみ抱くものではなく、どんな人にでも抱くことができるのだ、と。そして彼女は私にもそのような愛情を抱いていると伝えてくださった。その時私は嬉しかった、けど、家族や恋人に対する気持ちは持っていないな、とただ思ったことを覚えている。


それでも、セミナーでは学び続けた。なぜなら宇宙の摂理は面白かったから。今まで勉強してきた方法とは違って、知っていることに結びつけたり頭で理解しないように、と言われがままにまるで小学生の頃、先生が歴史の話をするときにファンタジーのようなわくわくするお話を聞くように「学び」続けた。お話の時間を小さな子供が楽しみにしているように私は宇宙の摂理に取り組んでいた、と今では思う。

事実、中途半端な献身に自分自身、違和感は持っていた。30分前から自分を整えてセミナーに臨むように教えていただいていたが、それ以外の時間、またセミナー直後はパタン、とパソコンを閉じて伸びをしてすっかり学んだことは忘れている始末。今日も良いお話をしてくれた〜!楽しかった!と心の声を大袈裟にいうとこうなる。宇宙の摂理的な生き方に向かっている、という感覚や欲求がなかったことは流石に自分でも態度を態度を改めるべきなのだろう、と思うこともあったが、だからというってそれを打ち明けることも、改善する方法も思いつかなかった。

このような態度で過ごしていた私。北海道に帰省することになり、母校の学校祭や家族の仕事のイベントがセミナーと重なったと知ったとき、0.3mgの抵抗を感じながらも気軽にキャンセルをお願いした。

私の脳内天秤はこうだ。
毎週行うセミナー、楽しい勉強会、知人との約束
vs
年に一度のイベント、楽しい思い出、家族との約束。

後者を取るのが当たり前!と。

また家族時間を減らす、ということもしたくなかった。なぜなら自分のスケジュールに沿って動くということが家族との分裂に感じられたからだ。これこそが初めにMotokoさんから伝えられていた親からの自立、であったのに、、、

このように私の自我は子供で、自己中心的で、根拠のないプライドで構成されていた。

伝えていただいたこと

ついに私の自我の欠点は失礼な言動に現れ、MotokoさんとKanaeさんが注意の言葉をかけてくださった。学び始めから4ヶ月が経ち、2度の叱責を受けて、やっと学びに向き合う心持ちに問題があること突きつけられる体験をした。学び・先生との向き合い方の問題を通して、他者と向き合い方、自分と向き合い方、私の課題はまずそこにあったことを気付かされた。

叱られて私は2つの学びが私の考え方を特に変えてくれた。
一つは約束の重要性、もう一つは師弟関係について、です。

約束の重要性
特に「約束の時間」をとても表面的にしか捉えていないこと、またそのせいで私の過ごす時間の薄っぺらさに気づいた。kanaeさんは、人は約束をするとき、その約束の時間に向けて全ての時間が影響されると教えてくださった。その時間までの下準備や、精神的な動き、他の予定との兼ね合いなど、さまざまな変更がもたらされる。一つの予定変更によって全てが変わる。それなのに人の時間を気安くガラガラと動かすのはもう少し抵抗を持ってするべきなのではないか、と教えてくれた。これを聞いて私はさらに自分は過ごす時間を端的にしか捉えていないことがわかった。約束の時間前後は5分程度しか開けない、その約束の時間が終われば次の全く違う用事に切り替えてたくさんをこなすことで充実感を覚えようとしていた。
約束はそう簡単にはずらしてはいけないし、決めた時間の質を上げる方こそに豊かさや充実感を感じられるのだと気づかせていただいた。

また私自身、人のことを疑う癖、言っていただいたことを真に受けない癖もあることに気づいた。これはおそらく私自身が言うことに対して忠実でないことが多いから。補償のない、根拠のない、聞こえの良い空の約束ばかり口走る癖が他者の言葉をも軽く捉えることに繋がっていたのだろう。よって約束事に対しても心を込めないことが多かった。このことも改めようと思う。

師弟関係について
Motokoさんは実際に師弟関係を持つことは、人間関係で信頼を結ぶ基礎作りになる、と仰っていたが、その意味がようやくわかった。師弟関係には、敬愛と信頼が欠かせない要素だと本を読む中で感じた。敬愛すなわち、人を敬い、愛すること。もっと分解すると、敬うことは、価値を積極的に見つけて尊ぶこと。そして愛することは条件抜きに受け入れ、大切にすること。敬愛の上に信頼が合わさり、師弟として修行を導く者、懸命に吸収して成長していくもの、という関係が出来上がるのだと思う。しかし、敬愛と信頼は師弟関係のみならず、丁寧な人間関係に置いて必ず必要なものだと言えると思う。この精神を形式化したものを礼儀であり、だからこそ礼儀は人間関係を作るし、なくす、のだろう。礼儀のある人間関係を築きたい、とおっしゃるMotokoさんの考えもようやくわかった。

今後・改まった捉え方

この一件を通して、私はいくつか自分に必要な成長に気づくことができた。

自立をすること
これまでのようにMotokoさんには褒められているから、いっか、という承認欲求を基準にするのではなく、私の自我が見ていると意識して、私基準に宇宙の摂理を学んでいく。自分の意思でしっかりと宇宙の摂理に向き合い、魂の成長をさせ、魂のシナリオを生きる。
初級もしっかり復習し、初めて宇宙の摂理の全体像がわかった今、魂のシナリオを生きる意味がわかった。そして自らそのトレーニングに向き合う理由も持つことができた。やらされているのではない、自ら湧き上がるモチベーションによって学ぶ姿勢がやっと整った。

子供の自我を捨てる
他者からの支えがあるから大丈夫、という考えも辞める。今まで常に誰かの保護下で行動している意識だったせいで、常にどこか気を抜いていて、小さなミスをすることに躊躇がなかった。家の鍵を無くす、バイトでミスをする、時間に遅れる、仕事を終わらせない。私にはいつも何かしらの「完璧にできない・やらない」理由を持っていた。これからはそうではなく100%自分のすること・したことは自分が責任を持つ、と言う意識で生きていく。

人を信頼すること、愛すること。人と真正面に向き合うこと
誰かの言葉を疑いの姿勢で聞くのではなく、言ってくれた言葉なのだから受け止めてみる、と言う意識で言葉そのものを聞くこと。そして相手の言動そのものを素直に受け止め、自分の作り上げるイメージを外して向き合うこと。

Motokoさん、Kanaeさんは何足も先に魂のシナリオを生きている方々。私の目指す魂のシナリオを生きるという状態になる道のりを越えていらっしゃることを心に留め、今まで以上に敬愛の気持ちを大切にしていく。またお二人が私に教えてくださっていること、宇宙の摂理に則った行動をされ、さらに伝えてくださっていることに感謝をしたいと思う。

今までのように、目覚めた方がいいと言われたし、話を聞く限り良さそうだから、相手も喜んでもらえるように取り組むか、
という姿勢ではなく、
魂のシナリオを生きていきたいのは私、
その道のりを乗り越えていくのも私、
という精神を持って宇宙の摂理のトレーニングに励みたいと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?