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5分でアランの『幸福論』#31中間まとめ “幸福の条件を3点に要約してみた”

アランの『幸福論』を5分で読める分量で要約・考察する本連載も先日30本を迎えた。
これまで約1ヶ月かけて『幸福論』全93章の3分の1を考察してきた。
今日はこれまでの投稿を元に、一度アランの思想を自分なりにまとめる機会にしたい。
(今回は5分で読めないかもです、すいません・・・)


結論

アランの幸福論を考察した結果、幸福になるための条件として
以下3つのポイントが浮かび上がった。

 ①心は身体に隷属するという前提
 ②現実を冷静かつ理知的に把握しようとする姿勢
 ③思考よりも行動に重きをおいて解決を図る態度

以下順番に解説する。


①心は身体に隷属するという前提

アランは心と身体は密接に関係しており、身体の状態によって心は変化するという前提に立っている。
例えば運動は心を爽快にし、また儀礼など形式に即した行為をとることで心もそれに従うという。
このことは今日では科学的に証明されており、
書籍『脳を鍛えるには運動しかない!』『メンタル脳』など、心と脳、身体の関係を解き明かした本はベストセラーになっている。
アランは医者ではないので、この事については自身の感覚や他者を観察して体験的に知っていたのだろう。

朝目覚めたとき体調が悪いと気力がでない。
逆にスッキリ目覚めるとそれだけで活動量が変わってくる。
無理にでも大声を出したり笑ったり両腕を上げたりすると、
霧が晴れていくように心は楽になってくる。
逆に無理に背中を丸めて下を向けば、まず気力が湧いてくることはないだろう。

幸福に生きるためには、あくまで自分にとって良質なコミュニケーションを他者と重ねることが不可欠だ。
あれやこれやと考える前にまず身体を支配下に置くことを、
幸福になるため、幸福に生きるために大事な土台としたい。
アランの幸福論はこの前提思想を強く主張している。

健康であるならば身体は自分の意思で動かせる。
ならば強制的に気力が出ざるをえないような習慣を作りたい。
その一環として、私は毎朝ラジオ体操をしている。
どんなに寝起きが悪くても、ラジオ体操程度の運動であれば惰性でもなんとかできる。
今ではかなり習慣化したため体操をしないと何だか気持ち悪い、という感覚がある。

それが人生の幸福にどれだけ影響しているかは全く分からないが、
少なくとも体操から顔を洗うという次の動作には移りやすい。
このような小さな動作がつながって1日ができあがり、
その1日がつながって一生となるならば、
たかがラジオ体操も、されどラジオ体操なのかもしれない。


②現実を冷静かつ理知的に把握しようとする姿勢

アランが繰り返し言う意味合いに「情念に支配されるな」、というものがある。

情念とは心にとりついて離れない感情のことだが、
これは人の思考、態度、行動を縛り、
タチの悪い事に情念はそれ自身の作用で増幅していく。
だからハマると抜け出すのは容易ではない。
それはまるで蟻地獄のようなものだろう。
だからこそアランは情念のメガネで物事を見る前に、
まず落ち着いて理をもって物事を見ようと解く。

それだけで蟻地獄に自分から身を投げる行為を、
少しでも防ぐことができるというのだ。

これはまさに、言うは易く行うは難し。
頭ではわかっちゃいるが、、、というものだ。
それに対しアランは「まず原因を考える習慣をつけよう」と言う。
つまりは現実に対し反射的に反応する前に「なぜ?」と問う姿勢だ。

ノーベル経済学賞を受賞した心理学者ダニエル・カーネマンのベストセラー
『ファスト&スロー』でも似たような問題が投げかけられている。
本の内容を要約すると、

私たちには二つの思考モードがある。
システム1(速い思考)は直感や感情のように自動的に発動するもので、
日常生活のおおかたの判断を下している。
一方、システム2(遅い思考)は熟慮とでも呼ぶべきもので、
意識的に努力しないと起動しない。
システム1の判断を退けてシステム2を働かせるのは、多くの人にとって難しい。

要約サイト https://www.flierinc.com/summary/297 より抜粋

これにアランの意見を重ねると、
情念はシステム1(速い思考)。反射的な感情や反応だ。
一方で「まず原因を考えよう」という姿勢はシステム2(遅い思考)と言えるのではないだろか。
『ファスト&スロー』では速い思考の存在を認識しつつ、
それとうまく付き合うために遅い思考を重んじる習慣づけについても言及していたように思う。
まさにアランにとってみたら「ほら、言ったでしょ?」とニンマリしていることだろう。

驚くべきはここまで考察した①②のいずれも、
100年以上前のアランの見解が現代科学によって遅れながらも証明されたということだ。
『幸福論』というタイトルのみを見れば「ああ、またよくある自己啓発書、精神論の類でしょ?」と思いたくなるが(これこそまさに速い思考(システム1)だ)、
私は3分の1を読み終った今、
アランのそれはどうやら違うらしいというのが素直な感想で、正直とても驚いている。

1世紀を超えて読み継がれる名著、古典というものは、
後から科学や人間の倫理が追いつくという、そういうものなのかもしれない。


③思考よりも行動に重きをおいて解決を図る態度

アランは仕草、あいさつ、表情、声色、運動など、
誰もが日々何気なく行なう小さな行動をこそ重視している。
仕草1つで、自分が今向かい合っている他者をどう考えているかが全てはっきりと伝わる、と厳しい調子で述べている。

これはもっともなことだろう。
幸福とはもちろん自分1人で完結することも多いだろうが、
多くは他者との関係で構築されるものだ。
そして他者の気持ちや尊厳を慮らない態度をとれば、
当然人間関係は良いものではなくなる。
それは幸福な姿とはほど遠い。
だからこそたった1つの仕草にさえ注意払う。
そのために形からでも全く構わないので、礼儀を身につけることが幸せの近道と解いたのだと思う。

これは茶道や剣道など、日本の「道」文化にも同様の構図が見てとれる。
茶道には1つ1つの所作に意味があり、まず型にハマることを求められる。
茶道のこのあたりの描写は、映画「日々是好日」の黒木華と多部未華子のやり取りを見ればよくわかる。
もちろん作動は「幸福の追求」とは非直接的なものかもしれないが、
「ある決まった美しい(理想の)状態を目指す」という目的に沿って考えれば、
類似点は見出せると思う。

また剣道においては「残心(ざんしん)」という、一本を取った後も相手から気を抜かずに心を残したままにするという態度の型がある。
型にハマるという言葉だけ聞くとネガティブな印象がある。
しかし型こそが人の「その人らしさ」を作ること、
人間関係の潤滑油になっているのもまた事実だ。
そして型を持たない人は、それを自分で作らねばならない苦しさがある。
それゆえに、昔の人はそういう人を「型なし」と呼んだのかもしれない。

問題は思考によって解決の糸口が見つかることもあるが、
問題そのものの解消は行動によってのみ可能となる。
それゆえに、まず形からでもいいから行動で示す。その態度を重視する。
この連載には毎回#哲学のタグをつけていたが、
アランの『幸福論』はさしずめ「行動する哲学」といったところだろうか。
また1つ、この哲学に新たな意味づけができたように感じる。


以上が今回のまとめ投稿になる。

 ①心は身体に隷属するという前提
 ②現実を冷静かつ理知的に把握しようとする姿勢
 ③思考よりも行動に重きをおいて解決を図る態度

引き続きこの3つのポイントを念頭に置き、『幸福論』の残り63章を紐解いていきたい

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